日本海セトロジー研究グループ
第9回研究会ポスター発表要旨



(In English)

目次


P1 シロナガスクジラの写真撮影を用いた調査報告

荻野みちる・荻野友希 (国立科学博物館友の会)


研究目的 あまり知られていない世界最大の,海棲哺乳類シロナガスクジラについて生態を少しでも明らかにすること。

方 法 私たちは過去四年間バハカリフォルニアのコルテス海において,シロナガスクジラの目視調査を行った。調査に用いた船は約80フィートである。観察と写真撮影,ビデオ撮影を私たち2名で分担した。発見時からサーフェスタイムとあわせてダイブタイムを測り記録した。写真を個体別にわけ,特徴を比較した。4年間にわたって目撃した海域を地図に記した。

      シロナガスクジラの背びれには形に個体差がありさらに、いくつかのグループに分けられると考えられる。背びれの周辺のかすり模様と合わせて個体識別に有効である。

結 果 コルテス海で毎年調査を行った。3月中旬から4月初旬まで,シロナガスクジラを観察することができた。私たちの観察したシロナガスクジラのうち,子ども連れは,まだミルクをもらっているような小さな子どもから,親とかなり離れて泳げるほどの大きなものまでいて,子どもの大きさによって潜る時間が異なった。大きな子どもでも,親と離れて泳いでいるとやはり親が子に近寄っていき守るようにして泳いでいる例が見られた。親によっては,子を置いて25分近くも潜って餌を食べていたりするなど,様々であった。親,子にかかわらず,個体によって背びれの形,大きさも異なり,個体識別が可能である。シロナガスクジラの外部に寄生する生物がおり,一部のシロナガスクジラの尾びれや背びれに多く寄生している。子ども大人を問わず,クジラによってはまったく着いていないものもいる。

 コルテス海で観察されたシロナガスクジラの親子と思われる2頭。すでに子クジラの背びれにはエボシガイと思われる寄生生物が付着している。

考 察 観察記録の中から,いくつかのことが確認できた。まず,一般的にヒゲクジラは低緯度での出産子育ての時期には餌を食べないと言われている。しかし,1998年3月のコルテス海における調査で,子ども連れの母クジラがフィーディングをしている様子を目撃した。また,シロナガスクジラは背びれのまわりのかすり模様で個体識別されている。加えて背びれの形が個体ごとに特徴的なので個体識別にとても有効と考えられる。 私たちがこれまでに撮影した背びれのかたちによる個体識別の結果,コルテス海のシロナガスクジラの背びれの形はいくつかのタイプに分けられるということを確認した。今後さらにコルテス海でフィーディングなどの写真撮影による調査を継続し,成果をまとめていきたい。

(撮影7枚共に荻野みちる)

P2 福岡県沿岸における鯨類の漂着・迷入・混獲の記録(1987〜1996)−写真を中心として−

蛭田 密(海の中道海洋生態科学館)


 福岡県沿岸で1987年から1996年の10年間に合計35例(9種36頭)の鯨類の漂着・迷入・混獲を確認した。種類別ではスナメリが最も多く全体の51.4%(18例),ミンククジラ 11.5%(4例),バンドウイルカ・カマイルカ各々8.5 %(各々3例),オガワコマッコウ・ハナゴンドウ・オキゴンドウ各々5.7 %(各々2例),コマッコウ・シワハイルカ各々2.7 %(各々1例)。漂着例数は60%(21例),迷入例数11.5%(4例),混獲例数28.5%(10例)であった。今回はこれらの記録の写真を中心に報告する。


P3 門前町に漂着したナガスクジラの骨格収集

佐野 修・国本昭二・斉藤 豊・金山順子・角田和嘉・南 栄作・宮下達雄・丸銭 肇・川島法夫(門前ナガス保存会)

 石川県の門前町黒島に1996年12月21日,体長15mのナガスクジラが漂着した。日本沿岸におけるナガスクジラの漂着記録は8例あり,うち5例が日本海沿岸からである(石川,1994)。しかし,きちんとした生物学的記録が残っている例は少ない。しかも全身骨格標本となると大阪市立自然史博物館が一体保存しているに過ぎない。日本で2個体目,日本海沿岸からは初となる全身骨格標本を作製すべく,町当局に対し,遺体を砂中に埋めるよう要望した。しかし,対応は遅く,付近住民が肉をそぎ取る中,夜間のしけで翌朝には海中に消えた。幸いにして,現場は岩場が点在する遠浅の砂浜海岸で,沖へ流される可能性の低い海底地形である。我々は,浜に打ち上がる骨格の収集を主に,小船からの探索回収,スク−バ潜水や素潜りによる回収作業を続けてきたので,その経過を報告する。

・漂着時に右手羽を切り取り,後日近くの砂中に埋めた。
・海に戻されて4日後の12月25日から骨の打ち上げが始まり,2月15日まで続いた。
・右上顎骨と間顎骨だけは表皮が着いたままの状態で打ち上がったが,他の骨格に肉片は認められなかった。ヨコエビ類などによる食害と考えられた。
・冬が過ぎ,海も凪いできた3月から打ち上げは無くなった。以後,船および潜水による探索と回収に努めた。
・船および潜水で回収した骨格は,すべて水深2mより浅い海底で発見された。
・ 収集した骨格は,頭骨を中心に左右の肩甲骨,脊椎骨20個などである(表1)。

表1 収集した骨格
収集年月日     主要部位 脊椎骨の数 肋骨の数        備  考
 96・12・21 右手羽     −    − 後に砂中に埋める
 96・12・26     9     − 打ち上げ
 97・ 1・ 4       2       − 打ち上げ
 97・ 1・15     3       − 打ち上げ
 97・ 1・28 頭骨基部,左右下顎骨    −    − 波打ち際から拾い上げる
 97・ 2・10 右上顎骨,間顎骨    −    − 打ち上げ,表皮は重油まみれ
 97・ 2・15     −     2 打ち上げ
 97・ 3・12  右肩甲骨    −    2 船上から採集
 97・ 4・26      2    4 船上から採集
 97・ 6・13     2    2 潜水採集
 97・ 6・22  左肩甲骨    2    2 潜水採集

P4 三河湾にストランディングしたスナメリ2例の症例報告

田島木綿子(鳥取大農・獣医病理)・大池辰也(南知多ビーチランド)・島田章則(鳥取大農・獣医病理)

緒 言 昨年末から今年の初めにかけて三河湾にストランディングしたスナメリ2個体を病理解剖する機会を得た。それらの症例について病理学的検索を実施し,得られた所見について検討を試みた。材 料 三河湾にストランディングしたスナメリ2例。No.1:97/10/27 東幡豆猿ヶ島沖の角建網に入網,雌,体長120 cm,体重30.0 kgNo.2:98/2/6 伊良湖港内の砂のたまり場に漂着, 雄, 体長108 cm,体重22.8 kg

方 法
 肉眼的検索:身体検査, 病理解剖。光学顕微鏡的検索:HE染色, 必要に応じて各種特殊染色実施。免疫組織学的検索:ポリクローナル抗体 (イヌジステンパーウイルス, インフルエンザA型ウイルス, イヌヘルペスウイルス)。分子生物学的検索:RT-PCR法 (上記ウイルスに対するプライマー)。寄生虫学的検索。

結果及び考察

《No.1》 肉眼所見:外貌-著変なし。第1胃内容物-未消化な底生性の魚類数匹確認。臍帯部脂肪層の厚さ-2cm。肺-高度うっ血水腫および微小膿瘍を伴う大豆大に至る白色結節多発。肝臓-門部に限局した吸虫結節散発。組織学的所見:肺-多発性化膿性肉芽腫性肺炎(寄生虫虫体を取り囲む多核巨細胞, マクロファージおよび肉芽組織による肉芽腫が多発, 病巣内には細菌魂, 好中球および好酸球の高度の浸潤を認む)。肝臓-寄生虫性肉芽腫。全身性リンパ節炎(胸腺および腸間膜リンパ節における多核巨細胞および好酸球を主体とする炎症性細胞の出現,下顎リンパ節におけるリンパ小節の活性化)。免疫学的および分子生物学的検索:陽性所見なし。寄生虫学的検索:肝臓内吸虫(Campula oblonga),肺内線虫(Pseudliiidae 科に属するHalocercus sp.および Pseudostenurus sp.)。

 第1胃内に魚類が確認されたため少なくとも捕食できる一般状態であったと考えられる。肺全葉にわたり細菌の2次感染を伴う慢性的な寄生虫感染病巣(慢性化膿性肉芽腫性肺炎)が認められたが, 本所見と入網との関連は不明である。

《No.2》 肉眼所見:外貌-著変なし。第1胃内容物-未消化な底生性の魚類数匹確認。肺-高度うっ血水腫および辺縁に限局した大豆大に至る寄生虫性白色結節散発。気管支から肺胞において白色泡沫状物高度貯留。心臓-右心室高度拡張。肝臓-門部に限局した吸虫結節散発。第1胃内-線虫多数確認。組織学的所見:肺-高度うっ血水腫および限局性寄生虫性肉芽腫性肺炎。肺付属リンパ節, 腸管膜リンパ節および脾臓-リンパ小節過形成。肝臓-寄生虫性肉芽腫。

 肺のうっ血水腫が直接の死因であった可能性があるが, 肺のうっ血水腫の根拠(例えば心不全による全身性循環障害)となりうる所見は認められなかった。また,寄生虫性肉芽腫性病巣は肺の辺縁に限局していたため肺への影響は比較的乏しかったと思われる。


 陸生哺乳類において, 寄生虫感染症の進行には免疫力低下(ウイルス感染症,ストレス,移行抗体レベルの低下および栄養不良等)が関与する事が一般に知られている。今回の2症例には, ウイルス感染を含む免疫力低下の原因となりうる所見は特に認められなかった。


P5 富山市北代遺跡(縄文時代中期)掘立柱建物の柱穴から出土した鯨椎骨

古川知明(富山市教育委員会)・平口哲夫(金沢医科大・人文)

 1996年7月富山市北代遺跡の史跡整備に伴う発掘調査において,縄文時代中期後葉の掘立柱建物の柱穴(SB01-P1)から出土した鯨骨椎体片1点について報告する。当資料は,ナガスクジラ(Balaenoptera physalus)尾椎の左椎頭・背面部に相当する可能性が高く,その特異な出土状況から地鎮祭のような祭祀的性格をもつことが指摘されている(富山市教委,1997・1998)。

掘立柱建物と鯨骨出土状況 鯨骨が出土したのは1996年検出の第1号建物跡からであるが,翌年の調査においても,これと同一の棟方向でかつこれに近接して,2棟の掘立建物跡(第2号・第3号建物)が重複して検出された。周辺には柱穴と考えられる小ピットが数多く存在することから,さらに多くの掘立柱建物があった可能性が考えられる。同一箇所ないし近接した位置で建て直されていることについては,日常性と祭祀性との両面から検討する必要がある。

 第1号は,南北に長い長方形をした6本柱建物跡で,第2・3号よりも大きく長辺3.6m,短辺3.4m(外形)を測る。柱間の距離は長辺で1.6〜2.0mである。東側柱列の3本は,径60〜70cmの掘り方をもち,径20〜25cmの柱を埋めたとみられる。掘り方は深さ35〜40cm,黄色土と黒色土を交互に埋めた部分もみられる。柱穴内からは縄文中期後葉(約4000B.P.)の土器が出土しており,この建物の所属時期を示していると考えられる。

 問題の鯨骨は,第1号建物跡の北東隅に位置する柱穴P1の掘り方上部から磨製石斧といっしょに出土した。

鯨骨の概要と同定 椎体破片の現状における大きさは,椎端面の最大長9.3cm,最大幅5.4cm,頭尾方向の最大長(椎体長)5.8cm,質量85gを計る。全体に白っぽく変色しているが,破損面はやや灰褐色をおびている。椎端板は椎体本体に完全に融合している。

 多孔質でかなり大きな椎体の破片であることから,ナガスクジラ級の大きさの鯨類のものであろうとの見通しをえた。さらに,門前ナガス保存会(セト研のサブグループ)が収集したナガスクジラ骨(1996.12.21.石川県門前町黒島に漂着)のうち,本資料に近い部位と思われる尾椎骨1点と比較した。

 尾椎は背面に棘突起のついた前半グループと棘突起のつかない後半グループとに二分することができる。比較に用いた現生標本は,前半グループの中ほどの部位に相当するものと思われる。椎端板は遊離,欠如している。この状態で,椎体長20cm,椎頭(椎体前端)面幅30.5cm,椎頭面高28.5cm?,棘突起・腹面間距離44.6cm,左右横突起間距離50.5cmを計る。

 これと比較したところ,当資料はナガスクジラ尾椎の左椎頭・背面部に相当する可能性が高いという判定結果をえた。現生標本は,体長15mのナガスクジラであり,椎端板が遊離していることからも分かるように比較的若い個体である。一方,当資料は,椎端板が完全融合しているので,十分成熟した個体であるとみてよい。性成熟に達する10歳前後の平均体長は約18mであるから,当資料はそれを上回る体長のナガスクジラ個体に属するものと思われる。


P6 天草のカツオ漁

山下義満(熊本県教育庁文化課)

 カツオはサバ科に属し,水深100m以浅,主に表層を回遊する。春に黒潮に乗り北上,秋に南下する。天草地方・牛深のカツオ漁は江戸時代中期に創業したと伝えられ,以来カツオ漁は天草漁業の一つの特色であった。

 江戸時代には日唐貿易の見返り輸出品として,俵物:煎海鼠(いりなまこ)・干鮑(ほしあわび)・鱶鰭(ふかひれ)と諸色(しょしき):昆布・天草(てんぐさ)・鯣(するめ)・干魚・干海老・鰹節・鶏冠草(とさかくさ)・その他が全国に公定されており,牛深漁民がエネルギーを注いで追い回したカツオは,鰹節として姿を変え商品として流通したのである。文政5年(1822)の全国カツオ節番付表に「天草節」としてその名が見えるほど盛んであった。

 カツオ漁は,個人の力量が漁獲に反映される漁形態であり,腕の良い漁民が参加した。時には大漁のため船の沈むおそれもあったという。
「鰹というやつは,鯨一頭見つけたら,必ず船に積み切らん如と釣ったもンです。鯨は鰯を一遍に三石六斗飲むて,言いますもンな。朝日の出る時,下から立ち上って鰯を追い上げてな。水面に一杯糊のように固めよったですたい。そして大きな口で立ち飲みすると,三石が腹に溜まって,六斗がフーッち,飲む息つくとき,口からペラペラ ペラペラ出よったそうですけンな。朝日の出るとき,何様鯨の口から落ちる鰯が銀の星の如たったそうです。……… 鯨がペラペラ出したやつのこぼれを貰ろうて食うとたい,鰹は。鯨に追い着いたときには,鯨から鰹を取らにゃいかんわけですたい。鯨の鼻を突っ切らにゃ鰹は獲りきらんち,言うもン。」(『近代民衆の記録 7漁民』より)

 鯨に伴うカツオのことを「クジラ付き」と呼んだ。クジラを見つけると大漁が約束された。

 慶応元年に建造された牛深のカツオ船は,長さ五丈(15m)・幅1丈2尺(3.6m)と江戸期を通じて全国最大であったという。明治期には五島・平戸方面にまで操業し,行く先々に鰹節製造納屋を進出させていたほどであった。カツオ漁の性格が組織漁,且つ沖合漁業の性格を持ち,魚群を求めて他地区に進出していたためである。漁民は海を縦横無尽に走った。この漁民の動きを理解することは,天草の漁業のみならず,他地区との交流・漁法の伝播などの解明に繋がるのである。

 まだ学生だった頃,実家近くの神社に江戸末期の鳥居が倒してあった。その中に「牛深村 鰹舩元締中」とあり,多くの鰹船主の中に「加世浦 武喜弥」とあった。これが先祖の名だと大伯父から教えられたことが,私の中での「カツオ漁」の始りである。その後,天草の民俗の調査・研究を目的とする「天草の民俗と伝承の会」(昭和47年結成,代表 浜崎栄三,現会員19名)に入会し,天草漁業の検討を続けている。
私事で恐縮だが,父方,母方の祖父はともに漁民として生活し,カツオ漁でそのスタートをきったという。私の記憶にある晩年の祖父たちは好々爺の印象が強いが,海上では血気盛んな人たちであったろう。天草のカツオ漁はすでに操業を中止したが,豊富な海上体験を経ないと漁撈という生業の理解には困難を伴う。しかし古漁師に会うと,カツオ漁のみならず,「海」というものが輪郭を現してくる。南海の波涛を越え,自らの技術をもってカツオを釣り上げた時は,実に爽快であったろう。 


P7 鯨骨の圧痕が残る縄文土器

金田一精(熊本市教育委員会)

 西北九州の縄文時代中期を代表する阿高式土器の底部には,よくアバタ状の凹凸があるものがみられる。この凹凸は,研究者の間では「鯨底」と呼ばれている。鯨底は,鯨の椎骨に付いている椎端板を土器製作時に台として使用したために残った圧痕で,椎端板の両面を使うため,凹凸が激しいものと,同心円的なしわが見られるものとの2種類がある。

 この土器の底部と鯨の椎端板との陰陽関係を最初に指摘したのは三島格氏で,昭和35年に行なわれた西日本史学会考古学部会で発表され,翌年,「鯨の脊椎骨を利用せる土器製作台について」のタイトルで文章化している(三島,1961)。

 鯨底がみられる阿高式土器は,太線で描いた幾何学的文様が特徴的な土器で,縄文時代中期の後半に並木式土器を祖形として成立した。そして南福寺式,出水式と変化しながら後期の初頭まで続く。この阿高式・南福寺式・出水式を一般に「阿高式系土器」と呼ぶ。阿高式系土器が使用されていた時代の文化内容はまだ不明瞭な部分が多いが,貝塚が多く残されている点,漁労具が発達していた点などから考えて,かなり海に慣れ親しんでいた時代のようである。鯨底は,阿高式系土器以外の土器にはごく少数の例を除いてみられないものであり,阿高式系土器の一つの特徴である。

 鯨底が出土した遺跡は九州内で約60ヵ所ある(平成4年時,現在はさらに増加している)。当然,阿高式系土器の分布と重なり,壱岐対馬・五島列島などの島嶼部から南九州まで広がる。貝塚など海浜部の遺跡に多いが,海とはかなり離れた内陸部の遺跡にも分布している。また,外洋に面していない有明海・八代海沿岸にも分布している。しかし,異なった土器文化があった東九州にはみられない。

 鯨底から派生する問題の筆頭に当時の捕鯨の有無があげられる。鯨底の観察から復元される椎骨の椎体直径は10cmから20cm前後まであり,大型鯨のものであることが窺える。漁労具の分析では,海浜部の遺跡から出土する石銛の対象動物としてイルカや鯨が想定されているが,大型鯨に対する有効性は実証されてはいない。また,椎端板は椎体と椎体との間の肉質が腐敗しない限り剥離しない。そのため,捕獲直後に利用されたものでないことは明らかで,鯨底からストレートに捕鯨の存在につなげることはできない。その結果,縄文時代の鯨利用は,寄り鯨の追い込みや,ストランディングなどの偶発的なものの利用という結論に収束しがちである。

 しかし,赤道直下の島々で現在も行われている捕鯨は,その道具や漁法が原始的な点,一集落ではなく複数の集落の集団によるものである点,食糧確保と同時に精神的な面が窺える点など,縄文人でも可能と思われる捕鯨のイメージと見事に一致する。よって,捕鯨が行われた可能性を否定することはできない。縄文時代捕鯨の可能性は考古学からだけでなく,学際的な研究が必用であろう。また,精神性の強い縄文文化の中の鯨底も,単なる製作台以上の性格を持つ可能性も探らなければならない。

 以上,縄文人と鯨のかかわりについて,重要な意味を持つと思われる鯨底を紹介し,その問題点を指摘した。阿高式では支配的であった鯨底も,南福寺式→出水式と変化するにつれて比率は低くなり,阿高式系土器から磨消縄文系土器への転換とともに消滅していく。生活舞台の中心が再び海から台地へ向かう時期である。


P8 セトケンニューズレターに見る日本海の鯨たち

国本昭二(セトケンニューズレター編集室)・佐野修(いしかわ動物園)・西脇茂利(日本鯨類研究所)

 セトケンニューズレターは,クジラ情報紙として第11号を重ねている。イルカやクジラの情報を得るには,文献や漂着・迷入のデータベースを参考にすることになるが,一般の方がそれを手に入れることは時間と労力が必要である。また,映像やマスコミの情報は,容易に手に入る反面偏った見識をもってしまう場合がある。「セトケンニューズレター」の掲載記事は,会員諸氏にイルカやクジラに関するジャンルを問わず情報を提供していることは間違いない。日本海におけるイルカやクジラの分布及び回遊に関する情報はまだまだ少ないが,セトケンニューズレターのシリーズやトピックを眺めてみるだけで,太平洋の付属海としての位置づけではなく日本海という個性的な海洋がおりなすイルカやクジラの分布や回遊についてふれることができる。セトケンニューズレターでは,第10号より「日本海の鯨」シリーズが掲載され,日本海におけるミンククジラとツチクジラの分布及び回遊について紹介した。掲載記事にもとづく日本海におけるミンククジラ及びツチクジラの現況を解説する。次号には,日本海セト研の生みの親ともいえるオウギハクジラ(Mesoplodon)が紹介される予定である。また,掲 載記事は考古学・古生物・文化芸能等と多岐にわたっており,各々の分野に見る日本海の鯨たちを紹介する場としてポスターセッションが活用されることを期待する。


表紙 プログラム あいさつ 記念講演 口頭発表
第10回大会 第11回大会