日本海セトロジー研究グループ第9回研究会
創立10周年記念講演 

(In English)


ヒゲクジラの起源と適応

ロバート・イーワン・フォーダイス
(ニュージーランド,オタゴ大学地質学科)


 現生ヒゲクジラ(鯨目の中のヒゲクジラ亜目)はかつて生きていた中で最大の動物を含んでいる。彼らは水中での動き・温度および生物学的な様々な戦略という点に関して,水中の生活によく適応している。しかしながら,はるかな陸上生活をしていた頃の遠い起源を偲ばせるいくつかの典型的な哺乳類の特徴を残している。その特徴というのは:空気呼吸・卵生ではなく他の哺乳類のような胎生・4つの心室・温血性・耳小骨が挙げられる。特殊化した索餌に関する適応はヒゲクジラで特に顕著である。彼らには歯がなく,その代わりに水中から食物(主に動物プランクトン)を漉すのにクジラヒゲを用いる。クジラヒゲは独特の構造をした頭骨の上顎から垂れ下がっている。現生のヒゲクジラの中で,ナガスクジラの仲間は高速で泳ぎ,プランクトンを海水ごと口の中に含んでヒゲ板の間から海水を押し出す、いわゆる"飲み込み型"の捕食者であり,それに対してセミクジラの仲間は泳ぎが遅く,"スキミング"と呼ばれる方法(口をあけながら泳ぎ、海水中からプランクトンをこしとる)を採用し,コククジラは海底を掻き取ってそれをこしとる形で食べ物を得ている。ヒ ゲクジラの多くは極域で索餌し,繁殖のために年に一度熱帯域へ回遊する。

 長い間,ヒゲクジラはどのように進化してきたかについては,はっきりした見解はなかった。しかし近年になって,化石の記録は数多くのヒントを与えてくれるようになった。ニュージーランドや南大洋(周南極海)の縁辺部から発見される化石,そしてまた北太平洋から産出するものは,とりわけ重要なものである。餌を濾す形で食物を得るタイプの最古のクジラで南半球産のものは,およそ3,400 万年前頃のもの,つまり始新世 (Eocene) と漸新世 (Oligocene) の境界部とされている。これらのものは絶滅した原始クジラ (archaeocetes) と現生のヒゲクジラの移行段階を示す動物であった。彼らはおそらく歯を用いて餌を濾し取っていたのであろうし,"原始的なヒゲ板"でそれを補助していたのかもしれない。この時期,南大洋は大陸移動の結果として,開き始めていた。それに伴い,気候,海水循環,海洋生態系が変化した。多分,ヒゲクジラはそういった海洋変化事象に対する反応として,進化してきたのだろう。

 ヒゲクジラは後期漸新世 (Late Oligocene: 2,300〜3,000 万年前) の間に非常に多様化した。歯のあるヒゲクジラは色々なところから知られている(例えば,北太平洋のエティオセタス [Aetiocetus] や南西太平洋のママロドン [Mammalodon])。また,3,000 万年前頃までに最初の歯を持たないヒゲクジラ(セトセリウム類)が進化していた。現生種のように,それらは薄くて平たい上顎骨にヒゲ板を持ち,歯のない丸太状の下顎骨を持っていた。とはいえ,構造的にはかなり原始的であった。例えば,噴気孔は現生種に比べて頭骨の前方に付いているし,耳域はそれほど進化的ではなく,頸椎はあまり圧縮されていない。これらの初期のヒゲクジラはおそらく現在生きているナガスクジラ類の祖先を含んでいただろう。今は絶滅してしまった他のグループは,早い段階で起こった"生態的な実験"を示している。ただ,消え去ってしまった理由ははっきりしない。

 中新世 (Miocene: 500〜2,300 万年前)の間に現代型のヒゲクジラは多様化した。セミクジラ類は2,000 万年以上前には現れており,ナガスクジラ様の動物は1,500 万年前までにはたぶん進化していた。中新世の終わりまでには,つまりはヒトの祖先が直立歩行をするもっとずっと以前に,ヒゲクジラは現生種のものと構造的に近かったのである。最近の500 万年のうちに,(分類学的に)問題のあるヒゲクジラのセトセリウムグループは最終的に消滅してしまったが,それは世界規模の寒冷化と関係がある可能性がある。現生するヒゲクジラで,それぞれがはっきりと区別できる2種類のものがいるが,よい化石が見つかっていない。それらはコククジラとコセミクジラで,各々が独自の科として分類されている(コククジラ科:Eschrichtiidae; コセミクジラ科:Neobalaenidae)。

 ヒゲクジラの進化に対して,一般的に言えるものが幾つかある。食べ物を濾過するという特徴がヒゲクジラの鍵となる。(ハクジラは餌を濾し取ることはせず,エコロケーション能に支えられた捕食者であり,原始クジラは濾過食やエコロケーションをしたという証拠はない。)ヒゲクジラは科ごとに索餌のための器官の構造が互いに大いに異なっている。もっとも,詳しい機能的な意義の面から,そういった違いを理解するのは難しいけれど。ほとんどのヒゲクジラは夏の間,極域に移動し,動物プランクトンを食べる。たぶん回遊という習性は,最初のヒゲクジラの中に現れた非常に古い行動なのだろう。食物の性質,量,分布といったものは世界的な地形や海洋循環に支配されているので(例えば,動物プランクトンは南極収束線や融氷域あたりで豊富である),地質時代を通じた地理や循環の変化はヒゲクジラの進化や絶滅に主要な役割を果たしたことだろう。化石は,ナガスクジラ類がセミクジラ類よりも多様化したことをほのめかしているが,おそらくはナガスクジラ類の索餌様式がより多くのニッチを利用することを可能にしたせいだろう。ハクジラと違って,ヒゲクジラは彼らの歴史を通して 淡水に進出したことはなかったように見える。彼らは海で特異的なニッチを獲得したのだろうか?たぶんそうだろう。濾過食という生活様式を採った海棲哺乳類は他には見当たらないのである。


訳者:一 島 啓 人
(福井県教育庁・恐竜博物館建設準備グループ)
Translated by Hiroto Ichishima
(Dinosaur Museum Project Group, Fukui Prefecture)


講師紹介
 フォーダイス博士は,1953年2月ニュージーランドのクライストチャーチに生まれ,1979年カンタベリ大学で Ph.D.(動物学)を取得,スミソニアン博物館のpostdoctoral fellowなどを経て現在ニュージーランドのオタゴ大学地質学科助教授。とくに鯨類の進化と多様性に取り組む新進気鋭の研究者として知られており,論文・著書多数がある。
 最新著書:Whales, dolphins & porpoises (Nature Company Guides), Time-Life Books, 1998(共著)。


Dr.Robert Ewan Fordyce
Associate Professor
Department of Geology, University of Otago, PO Box 56, Dunedin, NZ
fax 64-3-479-7527, tel 64-3-479-7510
e-mail: ewan.fordyce@stonebow.otago.ac.nz
web:
http://www.otago.ac.nz/Geology/

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