日本海セトロジー研究会第10回大会
口頭発表要旨

(In English)

目次


O1 のとじま臨海公園水族館における鯨類の漂着及び入網の記録 V

桶田俊郎(のとじま水族館)

 のとじま臨海公園水族館では,1982年7月の開館以来,石川県沿岸に来遊する魚類,海産哺乳動物等を対象に種々の調査,研究を行っている。この鯨類の漂着及び入網の確認などもその1つである。今回は,1991年4月から1999年3月までの8年間に当館で確認した鯨類の漂着及び入網状況について報告する。

 今回確認できたのは,表1に示した8種,24件,42 頭で,内訳は,ハクジラでは,カマイルカ(14件−27頭),オウギハクジラ(3−3)及びアカボウクジラ科SP(2−2),バンドウイルカ(1−5),オキゴンドウ(1−1),ハナゴンドウ(1−1)で,ヒゲクジラでは,ミンククジラ(2−2),ナガスクジラ(1−1)の記録があったが,ハクジラ類が圧倒的に多かった。

 更にこれらの記録から,石川県沿岸における漂着,入網例は,
(1) 冬季から春季にかけての例が多い。
(2) 1993年中の漂着,入網例がなかった。
(3) 過去に例があったイシイルカとマイルカの漂着,入網例を確認できなかった。
(4) ナガスクジラやミンククジラなど大型鯨類の確認が多かった。
(5) 飼育展示を目的として,定置網に入網したカマイルカを保護したため,件数,頭数とも増えたこと。
などの傾向がみられた。





表1 のとじま臨海公園水族館の漂着及び入網記録(1991年4月1日〜1999年3月31日)
確認年月日 漂着・入網の場所 種    名 体長(cm) 備 考
1 91/ 4/ 5 能登島町長崎                アカボウクジラ科sp ? 漂着,腐敗
2 91/ 4/30
  〃               
能登島町えのめ
   〃
カマイルカ
   〃


197.5
196
入網,保護
 〃   〃
3 91/ 5/14 珠洲市三崎町小泊 アカボウクジラ科sp 430 漂着,腐敗
4 92/ 1/10 能登島町えのめ ミンククジラ 399 漂着,処理依頼
5 92/ 4/26 富来町増穂が浦 カマイルカ 漂着,写真確認
6 92/10/30
  〃
能登島町曲沖
七尾北湾
バンドウイルカ
オキゴンゴウ
4〜5
1

?

迷入,泳ぎ去る
 〃   〃
7 94/ 3/ 3 能登島町えのめ ミンククジラ 入網,死亡
8   〃 羽咋市千里浜 カマイルカ 210 漂着,ヤセ
9 95/ 1/23
  〃
能登島町えのめ
   〃
カマイルカ
   〃


201
128.8
入網,保護
 〃   〃
10 95/ 3/23 能登島町八ヶ崎 カマイルカ 200 漂着,腐敗
11 95/ 3/31 志賀町甘田海岸 オウギハクジラ 458 漂着,埋設
12 96/ 2/16 能登島町えのめ カマイルカ 194 入網,保護
13 96/ 2/19
  〃
  〃
  〃
七尾市庵町
   〃
   〃
   〃
カマイルカ
   〃
   〃
   〃






186
187
226
197
入網,保護
 〃   〃
 〃   〃
 〃   〃
14 96/ 2/20
  〃
  〃
  〃
  〃
  〃
七尾市庵町
   〃
   〃
   〃
   〃
   〃
カマイルカ
   〃
   〃
   〃
   〃
   〃










182
199
201.4
203
182
185.5
入網,保護
 〃   〃
 〃   〃
 〃   〃
 〃   〃
 〃   〃
15 96/10/25 珠洲市正院町 オウギハクジラ 458 漂着,埋設
16 96/12/21 鳳至郡門前町千代 ナガスクジラ 1500 漂着,処理依頼
17 97/ 2/12 富来町増穂が浦 カマイルカ 207 漂着,埋設依頼
18 97/ 2/20 羽咋市千里浜 カマイルカ 190 漂着,腐敗
19 97/ 5/ 2 七尾市庵町 カマイルカ 磯の岩場に漂着
20 98/ 3/ 6
  〃
七尾市庵町
カマイルカ
   〃


195
201
入網,保護
 〃   〃
21 98/ 3/ 9
  〃
  〃
七尾市庵町
   〃
   〃
カマイルカ
   〃
   〃




194
210
206
入網,保護
 〃   〃
 〃   〃
22 98/ 3/18 押水町米出 オウギハクジラ 514 漂着,科博へ
23 99/ 1/23 輪島市大野町 カマイルカ 223 漂着,埋設依頼
24 99/ 3/17 珠洲市仁江町 ハナゴンドウ 306 漂着,埋設



O2 主として1998年 6月以降に得られた新潟県沿岸・沖合における鯨類等の目撃・漂着記録

箕輪一博(柏崎市博)・中村幸弘(上越水族博)・青柳 彰(寺泊水族博)・進藤順治(新潟水族館)・本間義治(新潟大医第三解剖)・古川原芳明(佐渡汽船)

【目 的】
 前報(本間ら, 1998; 1999)に引き続き,地元の研究者が協力し合い,主として1998年 6月以降における新潟県沿岸へ漂着した鯨類の記録を整理して報告する。また,佐渡航路のうち,ジェットフォイルが運航している新潟〜両津航路と,直江津〜小木航路で,1998年 2月〜11月までの間の就航中に,乗組員によって目撃された鯨類の記録も整理してみた。このような作業を積み重ね,漂着傾向や鯨類回遊の機構の一端でも明らかにしようと意図した。

【方法】
 漂着記録は,演者らが現場に出向して測定したり処理した個体のほか,報告(資料の提供など)を受けたものを纏めた.目撃記録は,ジェットフォイルと衝突した相手が特定できた例(Honma et al.,1999,オウギハクジラ)もあることから,障害物情報として運航時に課せられた目視例を纏めたものである.今回は,障害物監視義務の課せられていないフェリ−の資料も合わせて整理・解析してみた。

【結果と考察】
 今回の漂着個体は,オウギハクジラとカマイルカが最も多く,両者で大半を占めた。一方,定置網等への入網はほとんどミンク(コイワシクジラ)であった.従来と同じく,漂着は 2〜4月に多く,罹網例は冬季に多い.罹網したものは,地元消費に廻されたりするので,漁業組合等からの情報が入らないこともあり,残念である。

 佐渡汽船運航中の目撃例は,前報(本間ら, 1998; 1999)同様に,直江津〜小木航路の方で多く,新潟〜両津航路の倍に達しており,いずれも 4〜6月に集中している.これらは,北上中の群れが主体を成し,大型の群れクジラは多分ツチクジラの可能性が高く,便数の最も少ない寺泊〜赤泊航路でも,一回目撃例がある.時間帯は 7時台から17時台にわたり,直江津〜小木航路では午前,新潟〜両津航路では午後に多くみられている傾向がある。しかし,同一個体(もしくは群れ)が時間差を介して佐渡海峡の両航路で目撃されたという確実な証拠は無い。今回も,新潟地方におけるオウギハクジラの漂着例が最も多いという例証が補強されたといえる。

 なお,今期にはジェットフォイルとの衝突は無く,ことに1999年 4月〜6月には例年より鯨類の目撃が多い。そこで,運航に際してことさら減速や回避など,安全に留意しているところである。



O3 黒部海岸(富山湾)へ漂着したゴマフアザラシの死因を組織学的に探る

本間義治・牛木辰男・人見次郎・武田政衛(新潟大医第三解剖)・吉田 毅(富山東部家畜保衛所)・加野泰男(魚津水族博)

【目 的】
 北陸地方沿岸各地へ漂着したり事故死した鯨類の組織学的研究成果は幾つか発表されているが,鰭脚類に関するものは無い(Honma et al.,1992; Honma,1994; Honma and Yamada,1995; Honma et al.,1997; Honma et al.,1999a,b,c; 進藤ら,1994)。今回,ゴマフアザラシについて観察する機会に恵まれたので,報告する。この個体は若い2〜3歳の♂で,1998年 3月 2日に黒部市石田漁港の船揚場へ揚がったが,著しく衰弱し,痩躯体であった。獣医等による真摯な手当てを施したが,翌 3日に死亡したので,4日に剖検し,臓器はフォルマリンで保存した。その際,腎臓上の砂粒状結節と胃外表の鶏卵大腫張が注目されたので,死因を病理組織学的観点から追及してみた。

【材料と方法】
 供試材料のゴマフアザラシ(Phoca vitulina)の体長は1.35m,体重は44kgであった。各器官は,パラフィン切片を作成した後,ヘマトキシリン・エオシンの二重染色と,マッソン・ゴルドナ−の三重染色を施して観察した。

【結果と考察】
 直腸温は35.5℃と低く,皮下脂肪と筋肉層は薄かった。精巣は,卵形ないし長卵形の精細管に管腔が形成されておらず,管壁には少数の精原細胞と一次精母細胞が配列しているのみで,間質のLeydig細胞も分化しておらず,未成熟個体と目された。肺胞壁のsphincterには,鯨類のような軟骨片がみられなかった。皮膚は,円滑な鯨類と異なり,表皮が角質化し剥離していた。心筋には,横紋のほかに介在板が存在し,筋繊維先端は分岐したり吻合し合っていた。膵臓には,Langerhans小島が多く目についた。肝臓の肝小葉は不明瞭であった。脾臓は赤脾髄と白脾髄の,副腎は,皮質部と髄質部の別が明瞭であった。以上の器官・組織には,異常が見当たらなかった。しかし,消化管のうち,回腸の絨毛の粘膜固有層にはリンパ球の浸潤著しく,上皮は炎症を起こし,融合し合ったり,崩壊していた。腎臓の砂粒状結節は,腺腫であった.次に,胃の鶏卵大の腫脹(膿瘍)は,印環細胞癌であり,一般型から微嚢胞型,さらには印環型にまで進んでいる細胞も認められた。これらの細胞からの粘液産生は顕著で,さらに間質組織内に侵入して繊維芽細胞の反応を引き起こし,大量のコラゲンの産生が行われ,結 局硬癌となっていた。したがって,この胃癌は進行性癌の一種であろう。ヒトでは,印環細胞癌が10歳児くらいから発生するといわれているので,今回の幼ゴマフアザラシで発見されても格別異とされるほどのことはない。しかし,鰭脚類でも鯨類でもこのような症例は報告されていないようであり,あるいは初めての記録かもしれない。腎の良性腺腫も,ヒトでは良くしられているが,海生哺乳類では未発表と思われる。このゴマフアザラシは,多分胃癌に罹病することにより,著しく衰弱して沿岸へ寄ったもので,斃死の一因として注目されてよかろう。


O4 カリブ海ベクウェイ島の捕鯨の現在:1991−1999年

浜口 尚(園田学園女子大学短期大学部)

【概 要】
 本考察の対象とするベクウェイ島は北緯13度、西経61度15分に位置する面積18.1ku,人口4,874人(1991年)の小さな島で,独立国「セント・ヴィンセント及びグレナディーン諸島」(以下,セント・ヴィンセント国)の一部を構成している。ここでは1875年にアメリカの捕鯨船より捕鯨技術を習得した島民によってザトウクジラ捕鯨が開始され,手漕ぎ・帆推進の捕鯨ボートに手投げ銛という原初の姿の捕鯨が1999年の今日でも行われている。

 発表者は1991年以降,計5回現地調査を実施し,ベクウェイ島の捕鯨文化の理解に努めてきた。今回の発表では1999年5月にセント・ヴィンセント国の隣国グレナダで開催された第51回国際捕鯨委員会年次会議(発表者も参加)での議論をも含めて,ベクウェイ島での捕鯨の最新情報を提供したい。

【ベクウェイ島の捕鯨の現況】
 ベクウェイ島の捕鯨は,ベクウェイ島とその南東に位置するムスティック島との間の海域をザトウクジラが繁殖海域に向けて南下する2月上旬に始まり,同海域を北上していく5月下旬に終わる。捕鯨ボートは全長約8.2m,幅約2.1mで6人のクルーが乗り込む。捕獲法は捕鯨ボートで鯨を追跡,手投げ銛を打ち込んだ後,ヤスで仕留めるという形態である。捕鯨ボートは1990年から1995年までは1隻,1996年以降は2隻となっている。

 1991年以降のザトウクジラの捕獲数は,1992年1頭,1993年2頭,1998年2頭,1999年2頭の計7頭である。1994年から1997年までの4年間は,旧世代(創業4世代目)から新世代(5世代目)への捕鯨技術の移行期にあたっており,捕鯨従事者にとっては捕獲数ゼロを耐え忍ぶ時期でもあった。1998年に新世代の銛手が初めて2頭のザトウクジラの捕獲に成功,21世紀を目前にしてベクウェイ島の捕鯨は新世代の手に移りつつある。捕鯨文化の絶滅の危機はどうやら乗り越えたようである。

【ベクウェイ島の捕鯨の将来】
 ベクウェイ島のザトウクジラ捕鯨は国際捕鯨委員会によって1987/1988年シーズン(実質は1988年、以下同様)より「原住民生存捕鯨」として3年間,年間捕獲枠3頭が容認され,1993/1994年シーズン以降は年間捕獲枠2頭となり,1999年の今年が捕獲枠の最後の年であった。セント・ヴィンセント国は本年の第51回国際捕鯨委員会で引き続き1999/2000年シーズンからも3年間,年間捕獲枠2頭を要求したが,米英豪NZ等に代表される反捕鯨国が1998年,1999年の捕獲を問題視し,議論は紛糾した。結局,コンセンサスで捕獲枠は認められたが,従来以上に厳しい条件が付けられた。当該海域のザトウクジラの資源量は10,600頭以上と推定されており,年間2頭の捕獲は鯨類資源を持続的に利用できる数であるが,欧米の反捕鯨国は捕鯨文化の存在そのものが我慢できないようである。
 
 ベクウェイ島においては上述のように捕鯨技術は既に新世代に継承されており,捕鯨の存続に関して島内的には何ら問題はない。しかしながら,本年の国際捕鯨委員会の議論を受けて,反捕鯨国及び反捕鯨環境保護団体からのセント・ヴィンセント国及びベクウェイ島への圧力は強まると思われる。1994年には反捕鯨環境保護団体によって,日本の捕鯨政策を支持するセント・ヴィンセント国等カリブ海諸国4か国に対して「観光ボイコット・キャンペーン」が実施された。反捕鯨国及び反捕鯨環境保護団体の今後の動向に十分注意する必要がある。


O5 東京湾・相模湾沿岸地域の縄文時代イルカ捕獲

田邊由美子(京大大学院人間・環境)

 日本の先史時代遺跡からは多くの鯨類遺存体が出土しており、捕獲対象となった種、捕獲時期、捕獲場所、捕獲方法、解体後の分配・交易等々について、様々な論考がなされている。縄文時代遺跡で、ある程度のまとまった量の鯨類遺存体を出土する遺跡は、北海道の道東・道央地域、東京湾・相模湾沿岸地域、富山湾沿岸地域に存在し、それらの地域でイルカ捕獲活動が盛んに行われていたことが考えられている。

 本発表では特に、縄文時代後期の東京湾・相模湾沿岸地域に焦点を当て、イルカをめぐる様々な問題について考察を行う。


表 主な縄文時代イルカ遺存体出土遺跡
遺跡名 時期 優占種 捕獲道具 立 地
釧路市東釧路貝塚 前期 ネズミイルカ モリ 祭祀 釧路湾
虻田町入江貝塚 中〜後期 カマイルカ 内浦湾
館山市鉈切洞窟 後期初頭 マイルカ モリ 館山湾
館山市大寺山洞穴 後期 カマイルカ? モリ 館山湾
横浜市称名寺貝塚 中期末〜後期 カマイルカ モリ 旧平潟湾
伊東市井戸川遺跡 晩期 マイルカ モリ 祭祀 伊東湾
能都町真脇遺跡 前〜中期 カマイルカ 石槍・錘 祭祀? 富山湾



O6 能登・関野鼻のオウギハクジラ

国本昭二 (文化の中に潜む数学を探る会)


1.セトケンのキーワード "メソプロドン "
 日本海セトロジー研究会第10回大会を期に,日本海セトロジー研究グループの「慣れ初め」の頃を語ってみよう。日本海セトロジー研究グループが誕生する前年のことである。
 1989年(平成元年)3月上旬,能登珠洲の長手先沖で漁船と衝突して死亡した吻の細い中形クジラの写真が北國新聞夕刊に掲載された。故山田致知金沢大学名誉教授は,その写真を見るなり私のところへ「メソプロドンではないか。頭骨を入手できないか」という電話がかかってきた。私は,その旨を当時北國新聞の論説委員であった米田満さんに依頼した。宇出津から頭骨が届いたのは夜半過ぎだった。解剖の結果予想通り,当時珍鯨と言われていたメソプロドン属オウギハクジラのメスであることが判明した。
ところが,それより1年ほど前,1988年(昭和63年)2月6日に,これとよく似たクジラが能登・関野鼻の海岸にすでに漂着していたという情報が入った。このクジラも,山田先生には頭骨だけで,メソプロドン属オウギハクジラであることがわかった。砂浜に散らばる骨を回収して頭骨,頚推,胸推,腰推,尾推の順に並べてみた。背の高い棘突起がオブジェのように並んだ。
  頚推 7個
  胸推(肋骨)10個
  腰推 8個
  尾推 9個
 この他に,肋骨は7個回収できたが,V字骨は1個も回収できなかった。尾推も9個までで,まだあるはずの数個は回収できなかった。頭骨だけは金沢へ持ち帰ることにして,あとの骨は後日標本にするために浜に埋めて帰った。帰路,山田先生がこう言われた。「こんな貴重なものが放置されていていいんだろうか。何かをやろう」。山田先生の呼びかけで,日本海セトロジー研究グループ(現在日本海セトロジー研究会)が発足したのはその翌年だった。
この日,砂浜に並べた骨格を見ながら,山田先生が語られた所見のビデオを参考資料として会場で放映する予定。

2.標本作成
 それから1年半後、山田致知先生と2人で再び関野鼻を訪れた。砂浜に埋めてきたメソプロドンの骨の標本を作るための下見だった。
7本あったはずの肋骨は波にさらわれたのか1本も残っていなかった。
その日は2人で持てるだけの骨は持ち帰ったが,残った骨は後日,自然人という雑誌が企画した鯨探検隊の人たちの人海作戦で,崖の上まで運び揚げ,車で山田先生宅まで届けた。
 こうして,1年半かけた体長4.5m,体重2トンのメソプロドンの骨の回収は終わった。10年あまりも昔の話である。

3.山田先生の所見から
 関野鼻のメソプロドンについて書かれた山田先生のメモを紹介する。



O7 オウギハクジラの歯の形態と年齢査定

長澤一雄(山形県博)・山田 格(国立科博)

 よく知られるように,オウギハクジラのオスの個体における歯の形態の加齢変化は特異である。しかしながら,ある時期から急速に成長するようにみえる歯の成長過程や,成熟個体における歯の磨耗の原因など必ずしも明らかではない。特にオウギハクジラの年齢自体はほとんど明らかでなく,その年齢査定の検討例も乏しいのが現状である。そこで今回,オウギハクジラの歯について,形態の検討と歯の内部構造からの年齢査定を試みた。ただし,結果についてはいくつかの未解決の仮定が含まれるため,今後さらなる検討が必要ではある。

 今回検討した材料は,いずれも山形県に漂着したオスの3個体の歯(鈴標本:右,高さ80mm,長さ83mm,厚さ15mm;油戸標本:右,高さ137mm,長さ84mm,厚さ19mm;釜谷坂標本:右,高さ146mm,長さ97mm,厚さ20mm)であるが,オウギハクジラの歯の成長ステージにおいて,若年から老齢にかけてのほぼティピカルな形態を示す。すなわち,鈴標本は,歯肉からわずか歯冠が露出する程度の小さな歯である。油戸標本は,歯の成長がほぼ完了した大きな歯であるが,近心側の磨耗はまだ開始されていない。そして釜谷坂標本は,大きな歯で特徴的な近心側の半円形状の磨耗が顕著に進行している。

 一般に歯鯨類における年齢形質は歯に現れやすく,その年齢査定は歯の硬組織の成長層を用いて行われる。しかし,硬組織のうち,年齢査定に用いられるのは,種や属によってかなり特性が異なるため,何を用いるのが妥当なのかは,構造の観察と成長層の形成率の確定などとともに慎重に行われるべきである。なお,オウギハクジラにおいては,エナメル質は歯冠頂部をわずかに薄くおおう程度の発達であり,それを年齢査定に用いるのは妥当でない。

 今回はこれら3標本について,それぞれ歯冠の最大高付近を縦断面で切断した厚さ数mmの薄片の研磨標本を作成し,ごく弱い酸による表面のエッチングを行った後,ヘマトキシリンによって染色した。そして,実体顕微鏡によって反射光で内部構造の観察を行うとともに,年齢査定を予察的に試みた。内部構造において,象牙質は歯冠上部の中心部を占めている。鈴標本ではわずかに歯髄腔が開いているが,油戸標本と釜谷坂標本ではすでに歯髄腔が閉じている。このことから,象牙質は比較的若い時期に歯髄腔を満たして沈着が停止すると考えられる。象牙質にくらべて,各標本のセメント質の発達は良好であり,内部構造は歯の成長が主としてセメント質の沈着によることを示している。従って,オウギハクジラの年齢査定は,セメント質の沈着の停止する段階まで,その成長層を用いて行うことが可能であろう。

 3標本を観察すると,それぞれ細かなセメント質の成長層を含め,鈴標本では15層前後,油戸標本では22層前後が観察される.釜谷坂標本は歯の磨耗がかなり進行しており,また歯冠の溶脱もおこっているため,セメント質の成長層が10層以上であることがわかるが正確な数はわからない。ただし,保存される歯冠の最外層を構成するセメント質には,最大15層の薄層が確認でき,セメントの沈着が引き続いて継続されている可能性が大きい。いまオウギハクジラのセメント質成長層の形成率を他の歯鯨類の例にならって1年で1層とすれば,鈴標本は約15歳,油戸標本は約22歳であり,釜谷坂標本は油戸標本より高齢であり,その段階からさらに15歳以上経過していると推定して40歳以上?かも知れない。



O8 オウギハクジラの分布について

山田格(国立科博)

 本研究会の活動はオウギハクジラ(Mesoplodon stejnegeri)に関する知見を中心に展開されているといっても過言ではない。昨年秋から本年6月25日までのオウギハクジラおよび種不明のオウギハクジラ属のストランディングデータを集計すると,北海道2(2),青森県1,秋田県2(1),山形県3,新潟県2,鳥取県1(カッコ内はオウギハクジラ属・種未確認)で,オウギハクジラ11例,オウギハクジラ属3例が報告されている。

 注目されるのは1997年以降,従来漂着報告のなかった地域からの情報が得られていることで,本種の分布域の再検討が必要になっている。これまで本種の漂着域で確認されていたのは鳥取県から稚内(あるいは利尻島)までの日本海沿岸の各地であった。一部,津軽海峡から遠くない太平洋側にも漂着があり,これらは死後あるいは臨死期に海峡から太平洋側に出た可能性も考慮されていた。

 しかし,1998年春から初秋にかけて静内,根室でも本種と確認される個体が漂着し,さらに斜里では1997年に1例オウギハクジラの漂着があったことが最近確認された。また,国立科学博物館所蔵の古い標本の中に,金華山沖で漁獲され宮城県鮎川に水揚げされた個体で本種と記載されているものが確認された。一方,西の方でも新聞記事の写真のみの情報として本種の可能性が高いと思われる個体が1997年1月に福岡県に漂着しており,1998年には山口県の油谷湾にも本種の可能性がある個体の漂着があった。このほか韓国の釜山付近などでの漂着データも報告され(P6参照),戦前千島列島でもオウギハクジラ属の漂着があったことを示す写真の存在も確認されている。

 以上のことからすると,オウギハクジラの分布域は従来考えられていたよりもかなり広いようである。すなわち,本州の西端あるいは北九州沖から稚内までの日本海沿岸,そしてオホーツク海沿岸地域の北海道東端付近から太平洋側と,津軽海峡の東側を中心に襟裳岬付近から宮城県沖までの太平洋側にも分布の可能性が広がっている。

 これらのデータ蓄積は,斜里町立知床博物館の宇仁義和学芸員,根室市博物館開設準備室の近藤憲久学芸員をはじめとする各地の協力者の力によって初めて可能になったものであり,情報収集には多くの人々の協力が欠かせないことが痛感される。


O9 金沢地域の前期更新世の大桑層産鯨類化石

松浦信臣(白山恐竜パーク白峰)・長澤一雄(山形県博)

 金沢地域からその東北部にかけて広く分布する大桑砂岩層は多量の貝類化石を産出し,従来から多くの研究がなされてきた(Kaseno and Matsuura, 1965; Ogasawara, 1977; 松浦,1985など)。大桑層の大型無脊椎動物化石については,貝類が約250種,ウニ類・フジツボ類・腕足類が約20種記録されている(松浦,1996a)。

 大桑層から産出している脊椎動物化石は比較的多いが,その内容についてはあまり検討されていなかった。近年,松浦(1996b)はその概要をまとめたが,そのなかで鯨類15例,アシカ類4例,海牛類1例,象類2例,鹿類1例,鳥類1例,硬骨魚類8例,軟骨魚類4例の計36例を報告している。今回の報告は,上記の鯨類のほかにその後に確認された鯨類7例を加えて,計22例の断片骨化石を次表のようにまとめたものである。これらの鯨類化石産地は,金沢地域に限定されており,他地域の大桑層にも含まれていると思われるが確認していない。
大桑層の年代は,模式地の大桑町犀川河床で,不整合の基底が約130万年前,上限が約80万年前の前記更新世であると考えられている(高山ら,1988)。鯨類化石は大桑層内の中・下部に多く産出し,上部からはほとんど知られていない。
 
 表示の22例のうち,今回は演者の1人長澤が検討した4,6,12,13の4例について多少詳細に,他は簡単に報告する。
[4]大桑層基底部付近から産出した,長さ34cm・幅17cmのヒゲクジラ類の下顎骨断片化石である。断面で観察される下顎管が大きいことから,下顎体の中〜後位の部位である。その断面形は内側に平たく,外側が膨隆する半楕円形を示し,ナガスクジラ科に属すると判断される。さらに下顎体の高さの変化に注目すると,ザトウクジラ属に分類される可能性がある。

[6]この産地の層準は確定できないが,貝化石の種類から大桑層中部あたりと推定している。標本は,長さ27cm・幅16cmのヒゲクジラ類の下顎骨断片化石である。部位は筋突起直後から関節突起にかけての左の下顎骨後位部である。筋突起から関節突起にかけての背側形態,特に関節突起の張り出し状態などから,コククジラ科に属すると判断される。現生のコククジラとは,別属の化石の可能性がある。
[12]大桑層下部分布地から産出した,長さ34cm・幅20cmの断片骨化石である。表面の磨耗も進んでいるが,交差するやや複雑な海綿質の発達が観察されることから,いくつかの骨が組み合わされている骨と考えられ,頭蓋の一部と考えられる。比較されるのは,ヒゲクジラ類の後頭骨の一部である。

[13]大桑層下部分布地から産出した,長さ64cm・幅41cmの保存良好な頭蓋の化石である。この化石は,上顎骨・前頭骨・上後頭骨などの諸形態や分離している頚椎などから,ヒゲクジラ類ケトテリウム科に属するやや古いタイプのものである。ケトテリウム科はほぼ前期鮮新世に絶滅しているグループで,前期更新世の大桑層からの産出は絶滅時期の変更を意味している。しかし,この化石に付着している母岩や含まれる貝類化石から,中期中新世の犀川層からの転石であると考えている。大桑河原産の大桑層分布地の鯨類化石には,このほかにも,いくつかの化石が下位層から移動してきた可能性のあるものが含まれていると考えている。

表 金沢地域の大桑層産鯨類化石
分     類 部   位 産    地
(いずれも金沢市)
1 ヒゲクジラ亜目の一種
Mysticeti fam.gen.et sp.indet.
下顎骨の一部 御所町〜卯辰山間
*2 ヒゲクジラ亜目の一種
Mysticeti fam.gen.et sp.indet.
下顎骨の一部 大桑町犀川河原
*3 ヒゲクジラ亜目の一種
Mysticeti fam.gen.et sp.indet.
下顎骨先端部片 大桑町犀川河原
4 ヒゲクジラ亜目 ナガスクジラ科ザトウクジラに近い
Megaptera(?) sp.
下顎骨の一部 大桑町犀川河原
5 ヒゲクジラ亜目 ナガスクジラ科の一種
Balaenopteridae gen.et sp.indet.
下顎骨
東長江町南東方の谷
6 ヒゲクジラ亜目 コククジラ科の一種
Eschrichtiidae gen.et sp.indet.
左下顎骨後部 東長江町南東方・大滝
7 ヒゲクジラ亜目の一種
Mysticeti fam.gen.et sp.indet.
胸椎の一部 夕日寺町
8 ヒゲクジラ亜目 ナガスクジラ科の一種
Balaenopteridae gen.et sp.indet
棘突起 小二又町・子落
9 ヒゲクジラ亜目 ナガスクジラ科ザトウクジラに近い
Megaptera(?) sp
橈骨 大桑町犀川河原
*10 ヒゲクジラ亜目の一種
Mysticeti fam.gen.et sp.indet.
尾椎の前部 大桑町犀川河原
*11 ヒゲクジラ亜目の一種
Mysticeti fam.gen.et sp.indet.
尾椎の破片 大桑町犀川河原
*12 ヒゲクジラ亜目の一種
Mysticeti fam.gen.et sp.indet.
後頭骨の一部 大桑町犀川河原
*13 ヒゲクジラ亜目 ケトテリウム科の一種
Cetotheriidae gen.et sp.indet.
頭蓋 大桑町犀川河原
(下位層からの転石)
14 クジラ目の一種 
Cetacea subor.fam.gen.et sp.indet.
椎骨の突起の一部 館町地内
15 クジラ目の一種 
Cetacea subor.fam.gen.et sp.indet.
肋骨の一部 館町地内
16 クジラ目の一種 
Cetacea subor.fam.gen.et sp.indet.
尾椎の前部 夕日寺町
*17 ハクジラ亜目の一種 
Odontoceti fam.gen.et sp.indet.
脊椎骨・突起・肋骨など 大桑町犀川河原
18 ハクジラ亜目の一種 
Odontoceti fam.gen.et sp.indet.
尾椎14個 夕日寺町地内
19 ハクジラ亜目 イルカ科の一種
Delphinidae gen.et sp.indet.
胸椎後部 大桑町犀川河原
20 ハクジラ亜目 イルカ科の一種
Delphinidae gen.et sp.indet.
脊椎骨4個 大桑町犀川河原
21 ハクジラ亜目 イルカ科の一種
Delphinidae gen.et sp.indet.
右上腕骨近位端 大桑町犀川河原
22 ハクジラ亜目 ゴンドウクジラ科の一種
Globicephalidae gen.et sp.indet
大桑町犀川河原

[注] *印は,松浦(1996b)以降に確認されたものである。


O10 能登半島富来沖と北陸沖の海底から採取されたヒゲクジラ類の鼓室胞化石および現生標本

平口哲夫(金沢医科大・人文)・大石雅之(岩手県博)・松浦信臣(白山恐竜パーク白峰)・山田 格(国立科博)・佐野 修(いしかわ動物園)

 1998年2月26日,石川県富来町の砂走俊六氏は,同町西海漁協の西北西約40km沖の水深約400m〜600mに位置する通称「穴」と呼ばれる海底から刺し網を引き上げた際,2個の化石らしきものを発見した(富来沖第1標本,第2標本)。また,同氏は1999年2月24日にも同町海士岬の西北西約44km,水深約450mの海底から同様の標本を採集した(富来沖第3標本)。これらはその都度,北陸中日新聞志賀通信部の松本芳孝氏を通じて平口に届けられ,ヒゲクジラ類の鼓室胞であることが判明した。これを報道で知った加賀市の中島亀男氏は,1974年に北陸沖で操船中,底引き網に同様の標本が2個掛かり,うち1個を所有していることを思い出し,北陸中日新聞社を介して平口へ届けた(北陸沖標本)。これらの標本は,鮮新世以降の日本海の鯨類群集の変遷史を明らかにする上で重要であると考えられるので報告する。

 富来沖第1標本と北陸沖標本は淡黄白色ないし淡灰白色を呈することから現生標本,富来沖第2標本と第3標本は黒褐色を呈することから化石標本であると考えられる。富来町では,笹波から風無あたりにかけて中・低地の海成段丘堆積物(後期更新世)が発達し,低地部には未固結の沖積堆積物(完新世)が分布している。隣接する門前町剣地ではナガスクジラ科に属すると思われる鼓室胞が発見されており,採集者によれば産出層は沖積堆積物のようであることから,縄文海進期の堆積物に含まれていた可能性が高い。関野鼻石灰質砂岩層(中期中新世)の下部から産する鯨類化石は,固い岩石に取り囲まれている。能登島の野崎シルト岩層(鮮新世)産のハクジラ類耳周骨や珠洲市北方海底産のアカボウクジラ科頭蓋骨(新第三紀後期?)は,化石化の程度が高く,叩くと金属的な音がする。富来沖第2,第3標本の付着堆積物は,中期中新世の例ほど固結が著しいわけではないが,完新世の場合ほど未固結でもない。また,化石化の程度からすれば中期中新世から前期更新世の間に入る可能性が高いが,断定はできない。いずれにしても,富来沖海底には陸上の鯨類化石産出層の延長部が分布しているか,な いしは陸上の化石産出層から洗い出された鯨類化石が再堆積している場所があると考えられる。

 4標本とも概形が卵形であり,総苞隆起 (involucral elevation) が存在して鼓室腔(tympanic cavity) が深いことからナガスクジラ科に属し,総苞稜 (involucral ridge) が主稜 (main ridge) とほぼ平行で背側後突出 (dorsal posterior prominence) がほとんど膨らまないことからザトウクジラ属 Megaptera とは異なるものと判断される。富来沖第1標本は中型の右鼓室胞で,ほぼ完全に保存され,円錐突起 (conical process) は後端から長軸の長さの約1/5付近にあり,S状突起 (sigmoid process) の後縁は外側に向かって一貫して前傾し,外側溝 (lateral furrow) は長軸の長さの約1/2付近にあって長軸にほぼ直交し,総苞 (involucrum) の前部の幅はエウスタキオ切痕 (eustachian notch) の幅の2倍以上であることから,ミンククジラ Balaenoptera acutorostrata に同定される。富来沖第2標本も中型で左鼓室胞であり,第1標本と同様の特徴があることからミンククジラに含まれる可能性が高いが,外唇 (outer lip) の大部分を欠いているので,Balaenoptera sp. cf. Balaenoptera acutorostrata としておく。富来沖第3標本は右鼓室胞,北陸沖標本は左鼓室胞である。ともに大型〜特大型であり,外側溝が長軸の長さの約1/2より前にあるという点で,ミンククジラやニタリクジラとは異なる。また,総苞の前部の幅が大きいシロナガスクジラとも異なることからイワシクジラかナガスクジラのどちらか,ないしはそれらに近縁な種と考えられるが,S状突起や円錐突起が残されていないので Balaenoptera sp.というにとどめる。

 ミンククジラに同定される富来沖第1標本は,現在の分布から考えてとくに問題はない。北陸沖標本については,イワシクジラが日本海にほとんど回遊しないことからナガスクジラである可能性が高い。これらの標本は日本海の鯨類の分布を知る上で貴重である。富来沖第2標本は,従来ミンククジラに比較されて報告されたどの化石標本よりもミンククジラに近縁であると考えられ,ミンククジラの起源を探る上で重要な標本である。千葉県銚子市長崎鼻には300個以上の前期鮮新世のヒゲクジラ類鼓室胞化石の産出が知られているが,富来沖第3標本はこの群集の中のナガスクジラ属 Balaenoptera と考えられるどの鼓室胞より大きく,後期鮮新世から第四紀にかけて巨大化するナガスクジラ属の進化を考える上で重要である。これらの標本は,能登半島沖に多数の鯨類化石が集積していることを示唆するとともに,今後の資料の蓄積よって当時の日本海に棲息したヒゲクジラ類の群集組成とその変遷を明らかにすることができるという期待を抱かせる。


Left upper: Togi-1, Right upper: Togi-3
Left lower: Togi-2, Right lower: Hokuriku

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