Web日記“無煙喫茶”


筆者 平口 哲夫
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2008年8月6日(木)
元沖縄県知事・大田昌秀先生のご講演
この日記、1年近く書くのをサボっておりました。8月2日(土)17:30から石川県教育会館で開催された、第8回「大東亜聖戦大碑」の撤去を求める全国集会における大田昌秀先生(元琉球大学教授・元沖縄県知事・元参議院議員、大田平和総合研究所主宰)のご講演がとても感銘深かったので、久しぶりに日記を書く気になりました。

沖縄師範学校生のときに鉄血勤皇隊に動員され沖縄戦を体験、大学教授・県知事・参議院議員という豊富な経験、ならびに最近の調査・研究に基づく実証的なお話しは、まことに説得力がありました。また、よどみなく次々と話しを展開していくご健在ぶりに舌を巻きました。ちなみに先生は1925年生まれです。

「新しい教科書をつくる会」による歴史的事実の捉え方がいかにいい加減かは、その教科書の初版における考古学関係の記述を読んだだけでもよくわかりますが、沖縄戦についての捉え方もずいぶん間違っているということについても大田先生の指摘によってさらに納得がいきました。

私は先生とは初対面でありましたので、ご講演が終わったあと、控え室でご挨拶し、世界連邦運動協会に入会した経緯などを話しましたが、打てば響くように対応してくださり、円滑に対話が進むことに、とても好感がもてました。犀川河畔の料亭での懇親会もそのような雰囲気で話しが進み、お別れするのが惜しいくらいでした。
2007年9月9日(日)
芙蓉とバラ
我が家の玄関脇に植えた芙蓉が今年急に大きくなって沢山花をつけました。この芙蓉は、平和町官舎の窓下に植わっていた芙蓉の孫に相当します。つつじが丘から移植した樹木についていた土壌から芽生えた苗木3本のうちの1本です。この芙蓉の実から芽が出れば曾孫誕生ということになります。
 
つつじが丘から移植したバラも健在です。金沢犀川ワイズメンズクラブ8月例会「俳句入門」で、「亡き母の愛でしバラの木伸び伸びと」と詠ったら、講師に 「亡き母の愛でし紅バラ生き生きと」 と直されました。「バラの木」では季語にならないからです。
 
この句会では、事前に一人三句提出しておくことになっていて、当日互選の結果、「葉隠れに梅の実ひとつ若木かな」という自句が一位になりました。この梅の木もつつじが丘から移植したものですが、今年、はじめて一つ実をつけたものの、収穫する前に落ちてしまいました。
 
2007年3月21日(水)
ピースウォーク「踊るように歩こう」

石川県中央公園13:30集合のピースウォークに参加。右膝を痛めたのが治ったばかりなので、集会にだけ付き合うつもりだったのが、結局、行進にも加わり、一回りしてきました。

フィギュアスケートの選手のようないでたちのヤングママが先頭に立っての行進は、かなり人目を引いたようです。

2007年2月12日(月)
水永牧子チェンバロ・コンサート

2月10日(土)、こまつ芸術劇場うらら小ホールで開催された「水永牧子チェンバロ・コンサート:チェンバロ音楽の万華鏡」を聴いてきた。チェンバロの生演奏を聴いたのも、「こまつ芸術劇場うらら」に出かけたのも、今回がはじめて。巧みな演奏に聴き惚れただけでなく、大島正隆先生のご親族の方々にお目にかかることができたということもあって、感銘深いひとときだった。

私が学生・院生時代、通算6年間を過ごした東北大学基督教青年会渓水寮の大先輩・大島正隆先生について記したページが、その姪御さんに当たる榊原晴子さん(米国在住)の目に留まり、Eメールを寄せてくださったことがあるのだが、今回、久しぶりに下さったメールに晴子さんの姪御さんのコンサートのことが記されていたので、急遽、インターネットで予約申し込みをし、妻と連れ立って出かけたのであった。午前中、小松市立博物館で開催中の「県文化財指定記念特別展 八日市地方遺跡」を見学、昼食を小松駅内でとり、最寄のデパートで時間つぶしをしてから、開演時間の14:00に間に合うようにコンサート会場に向かった。小松駅周辺を訪れたのは久しぶりのことで、辺りがすっかり一新されているのに驚いた。

舞台に向かって右手、前から2列目、B18・19が予約で割り当てられた席であった。この位置からは奏者の手元が見えないが、奏者から伺った話によれば、音は右手のほうがよく聞こえるとのことだ。演奏曲は以下のごとくであった。

J・ブル(c.1563-1628) イギリス
 イン・ノミネ(]U)
G・ファーナビー(c.1563-1640) イギリス
 オールド スパニョレッタ
T・モーリー(c.1557-1602) イギリス
 アルメイン
W・バード(c.1540-1623) イギリス
 ラ・ヴォルタ
 深い緑の森よ
G・ピッキ(1600-25年活躍) イタリア
 トッカータ
武満 徹(1930-1996) 日本
 夢見る雨
B・バルトーク(1881-1945) ハンガリー
 「ミクロコスモス」より
  78番「5音音階」
  79番「バッハに敬意を表して」
  77番「小さなエチュード」
  126番「変化する拍子」
  113(33)番「付録練習」
J・S・バッハ(1685-1750) ドイツ
 フランス組曲 第6番 ホ長調
 アルマンド‐‐クーラント‐‐サラバンド‐‐ガヴォット‐‐メヌエットポロネーズ‐‐ブーレ‐‐ジーグ
G・Ph・ラモー(1683-1764) フランス
 鳥のさえずり
 つむじ風
F・クープラン(1668-1783) フランス
 プレリュード第7番
 神秘のバリケード
D・スカルラッティ(1685-1757) スペイン
 ソナタ K.213 ニ短調 アンダンテ
A・ソレール(1729-1783) スペイン
 ファンダンゴ ニ短調

最後の曲は、作者が神父さんだそうで、とても情熱的な曲だけに、どんな神父さんだったのか会ってみたいとの奏者の解説に笑いを誘われた。これとはうって変わって、アンコールの曲はおだやかな雰囲気であった。このように選曲にコントラストのあるのが印象深かった。

チェンバロの実物を見るのはめったにない機会なので、演奏が終わったあと、何人かの観客が舞台に上がって楽器を取り囲んだ。触れられては困るという表情で係員が心配そうに見守るなか、私も近寄って見て、写真も撮らせていただいた。このチェンバロは、こまつ芸術劇場備え付けのものである。

ホールの入り口付近で奏者のCDが販売されており、それを購入した客の希望に応じてサインをしている奏者にご挨拶したところ、ご両親の水永さんご夫妻をすぐご紹介くださった。奏者の母君が榊原さんのお姉さんに当たるのだが、 母君の従兄弟に当たる大島さんご夫妻も会場に来ておられたので、お揃いのところを写真に撮らせていただき、また、1階の喫茶店でみなさんと歓談のひとときを持たせていただいた。

2006年10月17日(火)
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」

日本国憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と記されている。これに対して、「北朝鮮を見てみろ。こういう国があるというのに、諸国の公正と信義に信頼して安全をまかせておられるか。」などと批判する人がいる。

しかしながら、前文では「諸国」ではなく「諸国民」と記されており、英語の原文では、「平和を愛する諸国民」は"the peace-loving peoples of the world"(平和を愛する、世界の人々)となっているのである。ろくでもない支配者に牛耳られた国であっても、その国には信頼できる人たちが必ずいるのであり、その人たちと連帯して安全と平和を保持していくことを前文は決意しているのだ。


10月14日(土)に石川県教育会館で開催された、世界連邦運動協会石川県連合会主催の講演会で、国際基督教大学の最上敏樹教授が「いま平和とは―人権と人道のために―」と題して講演をし、「人権と人道をテコにした、人間の連帯」、「国家間のではなく人間間の世界連邦」を説かれた。その主旨は、前述の日本国憲法前文に相通じるところがあると思う。

2006年10月12日(木)
北朝鮮の核開発と核保有国の核軍縮

北朝鮮が核兵器を開発し、核実験まで行なった。これに強く抗議し、対策を講じるのは当然だが、核保有国、特に核大国が自らの核保有や核開発を不問にして、核は持つな、核実験はするなと他国に迫るのは、まったく身勝手というものだ。いまや核保有国もそうでない国も、世界全体の核軍縮、核廃絶を前提にして話し合わないかぎり、説得力がないのではないだろうか。

2006年9月25日(月)
音楽文化国際交流06in石川

9月24日(日)午後、金沢市文化ホールで開催された第27回金沢市民音楽祭・第35回石川県音楽祭・大韓民國仁川廣域市延寿区立WIND ORCHESTRA金沢講演を聴きに行ってきた。妻の妹が琴で演奏参加するというので、招待券をいただいたからである。

李鐘官氏指揮によるWIND ORCHESTRAの演奏は、なかなか力強く迫力があった。また、フルート・ソロの崔銀庭さんは、フルート演奏はもちろんのこと、ご自身もなかなか美しく、魅了的であった。左の写真は、石川県合唱協会ならびに金沢児童合唱団のコーラスも加わって、Johann Strauss作曲の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」を歌い終わったところを写したもの。さらに筝合奏が加わっての曲は、吉澤検校作曲の「千鳥の曲」であった。

音楽を通しての日韓交流もなかなかよいものだと感銘をうけた。ただ、司会者や解説者については、もっと話上手な人が担当したほうがよいように思う。

2006年9月22日(金)
ワイズメンズクラブ第10回中部部会

9月18日(月・祝)、四日市シティホテルで開催された標記集会に出席した。これまでワイズメンズクラブの行事には、地元金沢で開催される例会にしか出席したことがなかったが、今回、初めて中部部会に出席したことになる。金沢犀川クラブからは私を含めて6名が参加した。受け付けでいただいた参加者名簿には101名の氏名が掲載されていたが、私のように申し込みが遅れたせいで未掲載の会員もいるから、実数はこれを上回ることだろう。

なかなか賑やかで、友愛感に満ちた楽しいひと時であったが、西日本区理事の森本榮三氏が挨拶の中で触れたエイズ問題は、会場の雰囲気とは裏腹に、困った事態が日本でも進行していることを示していた。たとえば、高校生を対象としたアンケート調査の結果では、一人の女子高生が20人の男性と性交した経験があるという例が報告されており、若者のHIV感染者の急増と合わせて考えると由々しき事態であるというわけだ。確かにストップ・ザ・エイズの運動も、ワイズメンズクラブが取り組むべき重要な課題といえよう。

ところで、金沢から高速バスで四日市に着いてすぐ、昼食をとるために入ったレストランは喫煙対策がまったくなされていなかった。犀川クラブのメンバーと同行していなければ、私は踵を返して逃げ出したことだろう。禁煙席がなく、あちこちで吸われるタバコの煙がたちこめていたからである。

2006年9月13日(水)
美しい芙蓉

左の写真は9月4日に撮影したものである。木がまだ小さいせいか、いまのところ花は一つ咲きで、複数の花が同時に咲くということがない。

芙蓉の花は頼りない感じがするが、可憐で美しくもある。

2006年9月12日(火)
美しくない発言

9月11日に日本記者クラブ主催で行われた自由民主党総裁選3候補討論会の詳報(毎日新聞2006年9月12日朝刊)によれば、谷垣氏の「中国が戦争指導者と一般国民を分けて国交回復したことを安倍氏はどう考えているか。」という問いかけに対し、安倍氏は「その文書は文書として残っていないと思う。国と国とが国交を正常化する、あるいは講和条約を結ぶ時、これを交わした文書がすべてなんだと思う。日本国民を二つの層に分けるということは、それは中国側の理解かもしれないけれども、日本側はそれで皆が理解していることではない。やや階級史観風ではないかという議論もあるのではないか。」と答えたという。この安倍氏の発言は、「美しい日本」を主張する方にしては美しくない発言である。

戦後、中国の指導者は、将来の日中関係を見据えて、報復主義ではなく寛容な態度で日本に対することにし、この方針に反発する自国民に対して、多くの「日本人民」もまた一握りの「軍国主義者」の犠牲になったのだから、多くの「日本人民」をこれ以上苦しませるような賠償請求はしないでおこうと説得したのである。おかげで日本は、莫大な賠償金を背負うことなく、速やかに戦後復興を遂げることができた。このような事実があるにもかかわらず、国交正常化や講和条約の文書に記されていないからといって、これを無視する、あるいは軽視するというのはいかがなものであろうか。「美しい国」でありたいのならば、こんな恩を仇で返すような発言はするべきではない。

2006年9月10日(日)
かみ合わせぬ議論

靖国神社問題にしても何にしても、国の指導的立場の人の発言が荒っぽく、争点をきちんとふまえずに紋切り型の受け答えしかしないことに減滅を感じる。議論がかみ合わぬというより、意図的にかみ合わせようとしないのではないか。かみ合わせれば分が悪いことを知っているからであろう。

2006年8月23日(水)
芙蓉の花

玄関先の芙蓉は、二日前にひとつ花が開いた。同時に三つくらい花が開いたら再度写真を撮ってみることにする。

母は身近な花をよく絵に描いたが、芙蓉を描いたものは数点しか残されていない。そのうちの一つが我が家の吹き抜けホールに飾ってある。芙蓉の花と枯れヒマワリとの組み合わせで描かれたものだ。

母が亡くなったときに自宅に残された遺作は、兄・姉・弟と私の四人で分かち合った。小型作品については比較的早い段階で所有者のもとに送られたが、大型作品については手軽には運ぶことができないので、まだかなりの点数が専用ロッカーからあふれる形で手元にある。この大型作品の整理がつけばロッカーにだいぶゆとりができ、引越しの後始末にけりをつけることができるのだが、忙しくてなかなか作業が進まない。定年退職まで5本の指で数えられる歳になっているので、勤務先の研究室に置いてある蔵書のことも考えながら整理を進める必要がある。

2006年8月20日(日)
BBSからWeb日記へ

BBS無煙喫茶は、管理者以外の人からの投稿がめったになく、一人舞台になってしまっている。それならいっそのこと日記にしてしまったほうがいいだろう。そう思って、BBS無煙喫茶は閉店にし、代わりにWeb日記“無煙喫茶”を開設することにした。

写真は、自宅の入り口付近に植えてある芙蓉を写したものである。これはただの芙蓉ではない。私が6歳から18歳ころまで住んでいた平和町官舎の窓辺の下に、母が知人から芙蓉の苗木をもらって植えたのが大きく育ち、毎年、多くの花を咲かせていた。この官舎は、私が仙台で大学生をしている間に金沢大学教育学部附属高等学校のプール建設のために取り壊しになり、両親は涌波の公務員アパートでの生活をへて、つつじが丘に新居を構えることになったのだが、この芙蓉の種から育った苗木がつつじが丘に移植され、また、毎年、多くの花を咲かせることになった。

母が亡くなってから、つつじが丘を引き払い、現在の地に移り住む際、この芙蓉の移植は諦めざるをえなかった。ところが、移転の翌年、移植した別の草木に付いてきた土から芙蓉が3本、芽生えてきた。これを植木鉢に植え替えたところ、翌年春に芽吹いたのは2本だけだった。そのうち、1本を姉に譲り、1本を自宅の庭に植えたのである。

その年の夏、我が家の芙蓉はかろうじて二つ花を咲かせたが、翌年の春、地上部分が完全に枯れてしまっていたので、これはもうだめになってしまったのかと思っていたら、根のほうは生きていて、新たに芽吹いたのである。この植物の生命力の強さに感心している。今はまだつぼみの段階であるが、花が満開になったらまた写真に撮って掲載してみたい。


金沢ひまわり平和研究室 筆者 平口哲夫