掲示板「無煙喫茶」過去ログNo.1-No.59

金沢ひまわり平和研究室 無煙喫茶室 無煙酒房   無煙世界 セト研掲示版  無煙喫茶


目次


No.1 無煙喫茶の新装開店


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/02/25(Mon) 19:00

KMU歴史・人類学の掲示板「無煙喫茶室」あらため「無煙喫茶」を新装開店いたしました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

No.2 「古式捕鯨」ではなく「近世捕鯨」


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/02/25(Mon) 19:32

昨年12月、ある会議において、「古式捕鯨」ではなく「近世捕鯨」という用語を使ったほうがよいと申し上げたところ、反論を細かく記した年賀状を一参加者からいただきました。その反論の詳しい紹介は省きますが、要するに、明治時代になったからといってすぐさま近代捕鯨が始まったわけではなく、明治になっても「古式捕鯨」が継続して行われた時期があったのだから、政治史的な時代区分を捕鯨史に用いるのは当をえていない、という主旨のご意見でした。このご意見は、私の申し上げたことを誤解されているのではないかと思いますので、今後の共通理解のために当方の見解を少し詳しくお伝えしておきたいと存じます。

日本民族学会第28回研究大会(1994)で発表した「イルカ漁かイルカ猟か」の要旨において、私は次のように述べております。
------------------
本発表でいう原始捕鯨と古代捕鯨の定義について述べておく。この定義は、時代区分に対応したものではなく、捕鯨の発展段階を意味している。すなわち、原始捕鯨とはイルカ漁/猟(小型ハクジラの積極的捕獲)の開始段階であり、古代捕鯨とはセミクジラやコククジラなどの大型鯨類を積極的に捕獲しはじめた段階である。ちなみに、日本の場合、近世捕鯨は貨幣経済下での鯨組による商業的沿岸捕鯨、近代捕鯨は欧米式捕鯨の導入、現代捕鯨は遠洋捕鯨の開始によって特徴づけられる。捕鯨史関係の著書では、本発表における原始〜近世捕鯨を「古代捕鯨」と称している場合があるので注意されたい。
----------------------
原始〜近世捕鯨を古代捕鯨と呼んでいる例はいくつかあります。たとえば、北原武編著『東京水産大学第22回公開講座 クジラに学ぶ―水産資源を巡る国際情勢―』の「第2章捕鯨の歴史」では、「世界における捕鯨業は、漁法的に大きく三つに分類することができる。古代捕鯨、アメリカ式捕鯨、そして近代捕鯨である」と述べるとともに、日本の捕鯨、特に網取式捕鯨については特別に節を設けて紹介しています。この三つの定義によれば、網取式捕鯨が「古代捕鯨」に含まれるのは明らかです。

「古式捕鯨」であれ、「古代捕鯨」であれ、英語に直訳すればancient whalingとなりますから、日本の捕鯨史について「古式捕鯨」に先立つ捕鯨を「古代捕鯨」と呼ぶと混乱が生じてしまいます。そこで私は、「古式捕鯨」の代わりに近世捕鯨を用い、原始捕鯨、古代捕鯨、近世捕鯨、近代捕鯨、現代捕鯨という段階を設定することにしたのです。しかし、これにも問題がないわけではありません。

第一に、原始人とか原始時代という用語は、人類学や歴史学では次第に使われなくなってきました。「原始(primitive)」という言葉が、人々にある種の偏見を抱かせてしまうからです。

第二に、「原始捕鯨とはイルカ漁/猟(小型ハクジラの積極的捕獲)の開始段階であり、古代捕鯨とはセミクジラやコククジラなどの大型鯨類を積極的に捕獲しはじめた段階である」と私はいちおう定義し、縄文時代については、イルカ猟が行われていたことは証明されたものの、大型鯨類の積極的捕獲が行われたかどうかについてはまだ不明であることから、現時点では原始捕鯨の段階にあるとみなし、古代捕鯨は弥生時代または古墳時代になってからと考えたわけです。しかしながら、将来、縄文時代においても大型鯨類の積極的捕獲が行われていたことが証明されれば、当然、話は違ってきます。

そこで、捕鯨の実態がよく分っていない時代については、縄文時代捕鯨とか弥生時代捕鯨のように呼称して、それが実際どのようなものであったかを研究していくほうがよいかもしれない、ということを会議で述べた次第です。そのような話の流れにおいて、現在の日本考古学における時代区分(旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、古代、中世、近世)を紹介し、この考古学的時代区分における古代とは、飛鳥・奈良・平安時代のことだ、と述べたわけです。この飛鳥・奈良・平安時代や中・近世の鎌倉・室町・江戸時代は政治史的な時代区分です。

政治史的な時代区分と文化・技術史的な時代区分が一致しないのは当然です。しかしながら無関係とはいえないでしょう。たとえば、明治時代になっていきなり近代捕鯨が成立したわけではないにしても、明治維新がなければ捕鯨の近代化はずっと遅れたに違いありません。したがって、捕鯨史においても明治維新は重要な意味を持つのです。

No.3 金子みすゞ


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/02/26(Tue) 20:34

昨年12月バンクーバーから帰ってきてまもなくのことですが、たまにお付き合いするチャットで金子みすゞのことが話題になっていました。高校の音楽のペーパー試験で、みすゞの歌詞にシンガーソングライターの沢知恵さんが曲を付けたものを聞かせて、歌詞の書き取りをするということを試みてみたところ、以下のような答案例があったそうです。使われた歌詞は「みんなを好きに」です。 

「私は月になりたいな 何でもかんでもみんな」
「私は好きになりたいな 誰でも金でもみんな」

で、私もつられて以下のように書き込みをしてしまいました。

「私は好きになりたいな 難でも関でもみんな」
「私は好きになりたいな 彼でも彼女でもみんな」
「私は好きになりたいな 舐めても噛んでもみんな」
「私は好きになりたいな ダレても枯れてもみんな」
「私は好きになりたいな 南でも寒でもみんな」
「私は好きになりたいな タレでもカレイでもみんな」
「私は好きになりたいな 鈍でも感でもみんな」
「私は好きになりたいな シャレでもダジャレでもみんな」

こういうダジャレを書いてしまったのは、昨年7月に釜山からの帰途、長門市くじら資料館を訪ねた際、そこに掲示してあった金子みすゞのポスターを見て、彼女が長門市仙崎の出身だということを初めて知り、ちょっとした関心を寄せるようになったからです。

彼女の詩は、とてもリズム感があり、テンポにのって朗誦できます。最近話題になっている斎藤孝著『声に出したい日本語』(草思社)にも、みすゞの「朝焼小焼だ、大漁だ」が収録されています。

KMUのカリキュラムが4月から大幅に変わるのを機に、私も第2学期に「朗読と作文」という授業を50分×12回の予定で持つことになっています。歴史・人類学の担当者がなぜ国語の先生みたいなことをするのかと思われるかもしれませんが、このような授業の必要性を日ごろ感じていましたし、経験を生かして担当可能だと思いましたので、自発的に申し出た次第です。

No.4 映画「みすゞ」


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/03/05(Tue) 14:21

田中美里が演ずる「みすゞ」の映画については、いくつかのサイトで紹介されています。

田中美里は金沢出身、私の息子とは十一屋小学校の同期生です。卒業アルバムにかわいらしい彼女の写真が載っていますよ。この小学校は私の母校でもありますから、美里は後輩にあたることになります。

美里とみすゞとでは見た目のイメージは違いますが、テレビドラマ「一弦の琴」で主人公を演じた美里の雰囲気からすれば、キャストに選んだ理由も分るような気がします。

No.5 自由と言う単語について


投稿者名: bigpapa
投稿日時: 2002/03/06(Wed) 23:57

みなさんはじめまして...【土下座】

実は約30年前ころから ある単語について
実態を探しているのですが...
どなたかご存知のお方がいらっしゃいましたから
教えてください...【土下座】

沖縄(琉球国)には有史以来「自由」と言う意味の言葉が存在せず...
自由と言う言葉は 多分明治ころ大和(他府県)から
琉球国(沖縄)に入ったと思われます。

歴史や考古学を研究しているお方で...
日本に自由と言う言葉が存在したのは
何時頃かご存知ありませんか。

ご存知のお方がいらっしゃいましたから
教えてください。お願い致します。

出来ることでしたらメ−ルにてお願い致します。

では お願いまで...

No.6 Re: 自由と言う単語について


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/03/07(Thu) 14:29

>実は約30年前ころから ある単語について
>実態を探しているのですが...

「自由」という言葉が日本で使われるようになったのはいつ頃からか。この問題に30年間も取り組んでおられるのなら、もうかなり詳しい情報をお持ちなのではないかと推察します。

>沖縄(琉球国)には有史以来「自由」と言う意味の言葉が存在せず...

「自由」という熟語は、漢語ですから、沖縄に限らず本土にも本来なかったのは当然ですが、「自由」という意味の言葉が存在しなかったとは必ずしも言えないのではないでしょうか。「自由」にも、いろいろな意味がありますから。

>自由と言う言葉は 多分明治ころ大和(他府県)から
>琉球国(沖縄)に入ったと思われます。

幕末から明治にかけて、欧米の自由民権思想が日本に紹介される過程で、freedomやlibertyの訳語として「自由」という熟語が選ばれたのでしょう。しかし、「自由」という熟語自体は、すでに『後漢書』に登場していますので、幕末以前においても中国古典に詳しい日本人ならばこの言葉を知っていたはずです。この場合の「自由」とは「我が意の欲するまま」「思うまま」「気まま」「他の束縛を受けないこと」という意味でしょうから、そのような意味を示す和語は日本でも古くからあったのではないでしょうか。そのような意味ではなく、近代思想の脈絡で使われる「自由」という言葉については、お察しの通りであろうと思います。

この程度のコメントではお役に立たないかもしれませんが、とりあえず・・・・・・。

No.7 Re: Re: 自由と言う単語についてありがとう。


投稿者名: bigpapa
投稿日時: 2002/03/09(Sat) 00:08

> 中国古典に詳しい日本人ならばこの言葉を知っていたはずです。

感謝致します。 中国古典のことはよく知らないので
その線は初めてです...【汗】
と言うことは図書館に行けばその書物は日本語に訳したものがある
と言うことでしょうか。


それで日本では自由のことを「身勝手」と解釈している
節がありますが その点についての コメントを
もらえませんか...【土下座】

どう考えても「身勝手」イコ−ル「自由」とは思えないのですが...【汗】
もしそれであれば 憲法の条項に「自由を保障する」は「身勝手を保障する」
と解釈出きるのですが... んんっ がてんが行かない...【汗】

過去の「歴史」と日本語「言語」との矛盾があるとおもうが...【汗】

んんんんっ...

ご指導お願い致します。

No.8 「自由」という言葉の意味


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/03/09(Sat) 19:49

>図書館に行けばその書物は日本語に訳したものがある
>と言うことでしょうか。

たぶん注釈書があると思いますが、まずは漢和辞典で調べてみるのがよいのではないでしょうか。たとえば、諸橋著『大漢和辞典 巻九』で「自」という字を繰りますと、「自由」という熟語の意味と使用例(漢籍)が示されています。

>それで日本では自由のことを「身勝手」と解釈している
>節がありますが その点についての コメントを
>もらえませんか

先のコメントにも記しておきましたように、「自由」にもいろいろな意味があり、「思うまま」、「気まま」という意味に解すれば「身勝手」というふうにも受け取ることができるわけです。

>どう考えても「身勝手」イコ−ル「自由」とは思えないのですが

もちろん、近代自由思想としての「自由」の意味は、「身勝手」ということではありません。

>もしそれであれば 憲法の条項に「自由を保障する」は「身勝手を保障する」
>と解釈出きるのですが

日本国憲法で保障された自由は、あらゆる意味での「自由」ということではないのですから、「身勝手」な解釈をされては困りますね。

>過去の「歴史」と日本語「言語」との矛盾があるとおもう

それは矛盾というよりも、一つの言葉にはいろいろな意味があり、その意味が時代によって変化したり、使われる分野や文脈によって違う場合があるといったほうがよいのです。

たとえば、人類進化の分野で「新人」といえばホモ・サピエンス・サピエンスのことですから、私たちはみな「新人」です。ところが、勤務先などで「新人ですか」などと問われれば、「はい、入社したばかりです」、「いいえ、昨年入社しました」とかいう話になるでしょう。

No.9 Re: 「自由」という言葉の意味感謝致します【土下座】


投稿者名: bigpapa
投稿日時: 2002/03/12(Tue) 00:03

いろいろありがとうございます。

私が知りたいことの一番は... 日本で何時ごろから「自由」と言う
単語を使用しだしたかです...【汗】

琉球の言葉で 大和から「自由」と言う単語が入って来るまでは
それらしき言葉に...

「るぅんかってぃ〜」と言う言葉があります が
その意味は 自分勝手 身勝手 と言う意味です。
他にはそれらしき言葉は今のところ見当たりません。

「るぅ」とは「自分自身」 「かってぃ〜」は「勝手」

と言うことで「自由」と言う言葉はたぶん明治頃
沖縄(琉球)に入って来たと思われます。

アメリカやフランスはじめ民主主義の国では...

「自由を勝ち取った」とか「自由を守る」と言う言葉が
日常化しているが その辺も「自由」の意味からすれば
あいまいに取れますね...【汗】

共産圏含め自由と言う意味は世界共通と思うのですが...【汗】

いろいろありがとうございました...【土下座】
大変勉強になりました。

No.10 聖書に出てくる「自由」という言葉


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/03/12(Tue) 11:10

>私が知りたいことの一番は... 日本で何時ごろから「自由」と言う
>単語を使用しだしたかです

近代の自由民権思想が最初に紹介された経緯を調べれば手がかりが得られるかもしれませんが、もうひとつ別の面から検討してみるのも面白いと思います。それは聖書です。聖書には「自由」という言葉がけっこう出てきます。たとえば新訳聖書ルカ伝4章18節(新共同訳)には、

主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、

とあります。この箇所の英訳(NKJV)は、

He has sent Me to heal the brokenhearted,To proclaim liberty to the captives And recovery of sight to the blind, To set at liberty those who are oppressed

です。「解放」も「自由」も英訳ではlibertyという言葉が使われていることにご注目ください。聖書では「奴隷」・「囚人」と「自由」とが対をなして使われていることが多いのです。このことは、自由民権思想の由来を考える場合にも重要です。奴隷や囚人のように束縛された状態からの解放を求めるということが大きな要因になっているからです。

したがって、「自由」という言葉に似た意味の言葉を日本語に探す場合には、「自分勝手」という意味よりも「束縛された状態からの解放」という意味合いの言葉を探したほうがよいと思います。

No.11 Re: 聖書に出てくる「自由」という言葉


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/03/12(Tue) 23:39

>聖書では「奴隷」・「囚人」と「自由」とが対をなして使われていることが多いのです。このことは、自由民権思想の由来を考える場合にも重要です。

「自由は土佐の山間より」とは、土佐出身の自由民権運動理論家、植木枝盛が1887年(明治10)『海南新誌』に発表した文章に見られる言葉です。その土佐の1887年(明治20)三大事件(租税軽減・言論集会の自由・外交失策の挽回)建白書にも「生きて奴隷の民たらんよりは死して自由の鬼たらん」とあります。

No.12 Re: Re: 聖書に関して感謝致します【土下座】


投稿者名: bigpapa
投稿日時: 2002/03/13(Wed) 23:57

> 「解放」も「自由」も英訳ではlibertyという言葉が使われていることにご注目ください。
> 聖書では「奴隷」・「囚人」と「自由」とが対をなして使われていることが多いのです。
> このことは、自由民権思想の由来を考える場合にも重要です。
> 奴隷や囚人のように束縛された状態からの解放を求めるということが大きな要因に
> なっているからです。

ありがとうございます【土下座】

聖書の中の自由に関しては3年頃前... 当方で働いたことのある広島のお方から
その件にかんしては聞きました(キリスト教の伝導関係者)

> 「解放」も「自由」も英訳ではlibertyという言葉が使われていることにご注目ください。
> 聖書では「奴隷」・「囚人」と「自由」とが対をなして使われていることが多いのです。

日本の憲法学者と知識人はそれを理解して欲しいものです...【汗】
(仏教や儒教等々とキリスト教の違いを...)

それで... 私のHPの「竹ヤリでミサイルを串刺し」と言う
タイトルの「表現の自由は制限出来ない理論」でキリスト教云々
と1〜2行書いてあります。

こんな感じ...

「キリスト教を信じる戦勝国から押しつけられた憲法だが
 基本的人権に関しては世界に誇れる憲法である云々」と...【汗】

元来イギリスもアメリカも人種差別(黒人や黄色人種差別)の国であった
が しかし 日本に押しつけた憲法はそれを完全に払拭している。
しかし アメリカは黒人差別を近年まで続いた矛盾。


いろいろありがとうございました。
大変感謝致します。

    遅れて来た竜馬が行くことbigpapaより...

No.13 戦争をなくすために学びたい若者へ


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/03/14(Thu) 13:30

日本民族学会のホームページには文化人類学/民族学についての質問を受け付ける窓口が設置されています。質問の内容によっては、当方に回答を求めるメールが広報委員会から寄せられることがあります。

最近、戦争をなくしたいという思いから文化人類学を学んでみる気になったという浪人中の若者から質問がありましたので、私も返信を出しておきました。以下に一部省略・改変して紹介いたします。

なぜ戦争は起きるのか、民族間紛争をなくすにはどうしたらよいか、といったような問題を、私は担当授業の試験問題に出していますので、とりあえず返信してみることにした次第です。といっても、直接それに答えるのはお預けにして、どうしてそういう問題を出すことになったのか、という話をいたしましょう。

私は1945年4月4日生まれなのですが、生まれて100日目に空襲にみまわれ、母親の実家は焼失、なんとか命だけは助かったという「経験」があります。よく母親から聞かされたその頃の話は、私が物心ついてからの平和で民主的な日本とはまるで違う、嘘みたいな話ですから、どうしてああゆう愚かで恐ろしい戦争が起きたのかという問題意識が子どもの頃からありました。

紆余曲折をへて、私は文学部で考古学を専攻し、大学院を出たあと医科大学に就職、考古学が歴史学や人類学との境界領域であることを生かして、次第にその三つを統合したような授業を一般教養として医学生や看学生にするようになったのです。平成13年度に担当した人類学の授業の一般目標(GIO)は「医学・医療の問題を全体論的(holistic)な視点から考えることができるように、文化人類学の見方や考えかたを身につける」とし、三つの行動目標(SBO)を掲げたのですが、その二番目の行動目標が「戦争という‘社会的病気’の予防についておもに異文化理解の観点から述べることができる」でした。しかしながら、「異文化理解だけでは戦争を予防することはできない」ということも、受講生には認識してもらいたいと思っております。

戦争を扱った人類学関係の本が何冊か紹介されていますが、人類学者だけでなく考古学者や歴史学者も加わって書かれた国立歴史民俗博物館監修『人類にとって戦いとは』全3巻(東洋書林)の第1巻『戦いの進化と国家の生成』を読むことをお勧めします。また、この全3巻が下地になっている松木武彦著『人はなぜ戦うのか』(講談社選書メチェ)も読むとよいでしょう。この本の最終章のタイトルは「戦争はなくせるか―考古・歴史学からの提言―」です


No.14 長門市再訪


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/03/24(Sun) 17:42

> 昨年7月に釜山からの帰途、長門市くじら資料館を訪ねた際、そこに掲示してあった金子みすゞのポスターを見て、彼女が長門市仙崎の出身だということを初めて知り、ちょっとした関心を寄せるようになった

その際に通りすぎた湯本温泉・大谷山荘に今年3月20・21日の二日間、泊まりました。このホテルにも「みすゞコーナー」があり、詩集などが販売されていました。

金子みすゞ記念館が発行している絵葉書「思い出の絵」に「鯨捕り」の詩が掲載されていましたので、これを購入してきました。この絵葉書、筆書きの文字が小さすぎて読みにくいのが難点です。『金子みすゞ童謡集』(ハルキ文庫,1998)に掲載されているのを以下に引用させていただきます。本書では、新かなづかいに改められています。

---------------------

◇ 鯨捕り

海の鳴る夜は
冬の夜は、
栗を焼き焼き
聴きました。

むかし、むかしの鯨捕り、
ここのこの海、紫津(しず)が浦。

海は荒海、時季(とき)は冬、
風に狂うは雪の花、
雪と飛び交う銛の縄。

岩も礫(こいし)もむらさきの、
常は水さえむらさきの、
岸さえ朱(あけ)に染むという。

厚いどてらの重ね着で、
舟の舳(みよし)に見て立って、
鯨弱ればたちまちに、
ぱっと脱ぎすて素(す)っ裸(ぱだか)、
さかまく波におどり込む、
むかし、むかしの漁夫(りょうし)たち―
きいてる胸も
おどります。

いまは鯨はもう寄らぬ、
浦は貧乏(びんぼ)
になりました。

海は鳴ります。
冬の夜を、
おはなしすむと、
気がつくと―

---------------------

なお、本書には「鯨法会(くじらほうえ)」も掲載されていますので、ついでに紹介しておきます。

---------------------

◇ 鯨法会

鯨法会は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。

浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面(みのも)をわたるとき、

村の漁夫(りょうし)が羽織着て、
浜のお寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、

死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしと泣いてます。

海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。

-----------------------

この二つの詩は、みすゞの作品のなかでは比較的大人びた表現が使われていますので、童謡の域を越えているように思います。

No.15 琵琶湖周航の歌


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/04/12(Fri) 19:52

先日、カーラジオを聞いていたら、加藤登紀子が登場していて、「琵琶湖周航の歌」には第6番まであり、旧制三高ボート部ゆかりの人たちが、最後まで歌わないと歌ったことにならないと言うものだから、最新のTokiko Today My Best Albumでは第6番までを収録したというような話をしていました。

「琵琶湖周航の歌」は私の愛唱歌のひとつであり、飲んだときのカラオケでは必ず歌うことにしているのですが、ふつうは第4番までしか収録されていません。そこでさっそくこのCDアルバムを香林坊109地下街にあるレコード店で買いました。第5番と第6番を以下に紹介しましょう。


矢の根は深く 埋もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇めば
比良も伊吹も 夢のごと

西国十番 長命寺
汚れの現世 遠く去りて
黄金の波に いざ漕がん
語れ我が友 熱き心
語れ我が友 熱き心


ちょっと残念なのは、このアルバムの写真です。私の姉さんがバスタオルをまいてポーズをとっているようで、どうもいただけません。そんな姿は、歌のイメージにあいませんよ。

No.16 日本列島における和泉の歴史と文化


投稿者名: 資料室(和泉市立人権文化センター)
投稿日時: 2002/04/27(Sat) 21:21

(突然の書き込み失礼します。事業のご案内です。)
公開講演会・シンポジウム「日本列島における和泉の歴史と文化」のお知らせ。

▼公開講演会
平成14(2002)年5月25日(土)13:30−17:30
「日本人はどこから来たか」
  尾本惠市 (桃山学院大学教授)
「池上曽根遺跡の文化史的意義」
  金関 恕 (大阪府立弥生文化博物館館長)
「古代史における和泉」
  上田正昭 (京都大学名誉教授)

[参加定員] 1200人
[参加費 ] 無料
[申し込み] 不要です。当日会場におこしください。
[会  場] 和泉市立市民文化ホール(ゆう・ゆう・プラザ2F)


▼公開シンポジウム

平成14(2002)年5月26日(日)10:00-17:00
「日本列島と朝鮮半島の神話-その比較研究-」
  吉田敦彦 (学習院大学教授)
「『安倍晴明伝説』の成立」
  諏訪春雄 (学習院大学教授)
「説経節『小栗判官』-和泉から熊野へ-」
  沖浦和光 (桃山学院大学名誉教授)
「『しのだ妻』説話と歌舞伎・浄瑠璃」
  田口章子 (京都造形芸術大学助教授)
「和泉地方の賤民史と南王子村」
  寺木伸明 (桃山学院大学教授)
コーディネーター : 深澤 徹 (桃山学院大学教授)

[参加定員] 300人
[参加費 ] 無料
[申し込み]
 往復はがきに、氏名、住所、連絡先、昼食の申し込み希望の有無を明記の上、「和泉市立人権文化センターシンポジウム担当」宛でお申し込みください。昼食は弁当(800円程度)を手配します。ご希望の方は事前にお申し込みの上、代金を当日お支払いください。
[会  場] 桃山学院大学2号館ハイビジョンシアター 

[主催] 和泉市
★問い合わせ・申込み先
ゆう・ゆう・プラザ(和泉市立人権文化センター)

No.17 被差別集団についての考古学的研究


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/04/30(Tue) 23:01

公開講演会・公開シンポジウムのご案内、ありがとございました。恥ずかしながら「和泉市立人権文化センター」の存在をはじめて知りました。5月26日の公開シンポジウム、聴いてみたいと思いますが、多忙のため、会場まで出かけるのはちょっと無理かもしれません。

「考古学から見た動物利用」という論文が掲載された『部落解放なら』第8号(奈良県部落解放研究所)という雑誌を知人からもらったことがあるのですが、被差別集団の歴史を考古学的に研究していく道もあることを知らされました。人権という観点から地域の歴史を解き明かしていくという「和泉市立人権文化センター」の視点は傾聴に値します。この視点からの取り組みに考古学も大いに貢献できるのではないでしょうか。


No.18 「再葬土器棺墓の研究」刊行案内


投稿者名: 児玉大成
投稿日時: 2002/05/19(Sun) 06:10

突然の書き込み失礼します。
私は、考古学の方を勉強しております児玉と申します。
本文献は、東北地方北部を中心とした再葬土器棺墓いわゆる甕棺墓の集成を通じて、その分布や編年、埋納状態、人骨、一時埋葬施設(石棺墓等)、洗骨葬との関連、系譜などについて詳細に論究したものです。
考古学だけではなく、人類学にも関連があるものと投稿させていただきました。

著者 葛西 勵(青森短期大学助教授 考古学)
頒価 3,000円(送料別)
体裁 B5版 約160頁 図・写真約250点
お申し込み方法:氏名、お届け先、電話番号、部数等をご記入の上、FAXまたは郵送・Eメールでお願いいたします。発行部数が限定されておりますので、品切れの際にはご容赦下さい。
発 送:お申し込み後、一週間前後に発送いたします。
お支払い方法:後払いです。送料実費とあわせ請求いたしますので、お受け取りの後、同封の振込用紙にてお支払い下さい。

お申し込み先: 〒038-0042
        青森市新城平岡151-172
        児玉大成 方
        TEL&FAX 017-787-0898
        Eメールtopo@f3.dion.ne.jp

No.19 ドイツの週刊誌に掲載されたイルカ漁批判


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/05/20(Mon) 19:05

Googleで海生哺乳動物をキーワードに検索していたら、「イルカ殺し・・・何千頭ものイルカを屠殺する日本の漁師」というどぎつい表現のサイトがあることに気づきました。

2000年7月20日発行の週刊誌シュテルンの表紙・記事内容を批判的に紹介しています。異文化理解というものがなかなか容易なものではないことを痛感させられます。

No.20 Re: 「再葬土器棺墓の研究」刊行案内


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/05/20(Mon) 19:23

ご投稿、ありがとうございます。著者の葛西 勵(かさい つとむ)氏は、日本考古学協会の会員です。また、この本を紹介したサイトは、「こまきのいせきものがたり」というホームページの下位に設置されています。

http://www.komakino.jp/index.html

青森市小牧野遺跡は、縄文時代後期の環状列石として知られ、私も現場を見学したことがあります。

No.21 Re: Re: 「再葬土器棺墓の研究」刊行案内


投稿者名: 児玉大成
投稿日時: 2002/05/21(Tue) 19:00

気を使っていただき、ありがとうございます。
小牧野遺跡はいかがでしたか?山の中にあって、交通の便はかなり悪いのですが、豊な自然に囲まれた静かな遺跡です。私は、そこを調査しているものです。
今回の再葬土器棺墓の研究には、環状列石との関連や、石棺墓など、配石遺構に興味を持っている方や、墓制を勉強している方などにお勧めです。
よろしくお願いいたします。

No.22 金子みすゞの世界―朗読の旅―


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/05/29(Wed) 22:10

>この二つの詩は、みすゞの作品のなかでは比較的大人びた表現が使われていますので、童謡の域を越えているように思います。

標記のCDを入手しましたが、やはり捕鯨関係の2編の詩は収録されていませんでした。ちょっと残念!

No.23 セト研第13回大会発表要旨集ウエッブ版


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/06/22(Sat) 15:57

セト研第13回(東京)大会の発表要旨集ウエッブ版を上記サイトに掲載しました。まだ工事中ですが、特別講演要旨などを見ることができます。

No.24 Re: セト研第13回大会発表要旨集ウエッブ版


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/06/25(Tue) 11:58

『鯨ポータル・サイト』
URL http://www.e-kujira.or.jp/
のクジラTOPICにも第13回大会のことが紹介されています。

No.25 Re: 被差別集団についての考古学的研究


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/06/29(Sat) 19:24

考古学研究第48巻第2号(2001)に積山洋氏が「考古学から探る被差別民の歴史」と題して投稿されていることに気づきました。その締めくくりの言葉を引用しておきます。

〔考古学が中近世分野に進出して久しいが、「ついに部落史まで課題になってきたか」と言われたことがある。文献史に比べ、考古学の側がこのテーマに対して鈍感・無自覚な現状をよく示すものだ。大阪府では「大阪の部落史」というプロジェクトに、1996年から考古学の者が少数参加しているが、実はこれも文献史側からの要請であり、こうした試みはまだ始まったばかりなのである。遅まきながら、かくして考古学の新たな可能性が試される。そのためにはタブー視をやめ、自由で積極的な議論が望まれるのである。〕

No.26 マヤ文明を学びたい若者へ


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/06/29(Sat) 19:52

同じ窓口を通して当方に送られてきた質問に、マヤ文明を民族学で学ぶことができるかという高校生からの質問がありました。以下は、その質問にたいるする私の答えです。

-------------------
「文化人類学(民族学)科に進んでマヤ文明を専攻することができるか」という質問に置き換えて考えてみましょう。日本では、マヤ文明をはじめとする中南米の古代文明の研究は、東京大学の文化人類学関係者が中心となって行われてきました。そのような研究の歴史からすれば、文化人類学科に進んでマヤ文明を専攻することはできるといってよいでしょう。一方、マヤ文明は中南米考古学の研究対象でもありますから、考古学科に進んで専攻することもできるわけです。

そこで問題になるのは、自分が受験しようと思っている大学の関係学科に中南米考古学やマヤ文明を専門とする先生がいるかどうかということです。その分野の専門でなくても中南米考古学やマヤ文明の話を授業でする先生は少なくありませんから、ただ学ぶだけでしたら専門の先生がいなくてもかまいません。しかし、卒業論文の指導をうけるという場合、専門の先生が身近にいないと不利ですね。

(以下省略)
-------------------

No.27 Re: マヤ文明を学びたい若者へ


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/07/02(Tue) 20:11

まだその高校生がその掲示板に投稿した様子がみられないので、おせっかいかもしれませんが、代りに私が投稿しておきましたら、古代アメリカ研究会の若手研究者からご返事がありました。

No.28 Re: Re: 被差別集団についての考古学的研究


投稿者名: amuro
投稿日時: 2002/07/21(Sun) 11:53

初めまして!m(_ _)m

遅れての書き込み申し訳ございませんが、積山論文に取り上げられた遺跡の記事がWEB上にあります。
ご参照ください。(私が書きました。(..ゞ アセ  )

No.29 考古資料の解釈の難しさと意義


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/07/22(Mon) 19:04

mauroさん、ご投稿ありがとうございます。

1996年12月から翌年3月にかけて実施された東遺跡発掘調査で、中世後半の集落跡が確認され、その一角からウシ・ウマを主体とする骨の廃棄土坑が発見されたわけですが、この遺跡が近世に「嶋村」と呼ばれた「かわた村」とほぼ重なっていることから、注目を集めたのでしょう。

「本調査成果については、資料の一部が一人歩きしている。獣骨廃棄土坑だけが取り上げられ、調査成果の考古学的位置づけが反映されているとは言い難い状況にある」というご指摘は、考古資料の解釈の難しさを感じさせます。しかしながら、インパクトのある観点が生まれたことは、この種の遺跡・遺構を注意深く検討する姿勢を喚起したという点で意義あることだと存じます。

No.30 出版で環境問題を真剣に考えています。


投稿者名: yononaka
投稿日時: 2002/07/28(Sun) 12:15

今一人ですが 唯一私が出来る環境問題を手掛けています。それは月刊誌です。皆さんに試読していただきたく、無料でお送りしますので 是非皆さんに貰ってほしいのです。お題は創刊号『世の中を良くしたい』です。

No.31 『アメリカ史評論』から


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/08/10(Sat) 17:03

『アメリカ史評論』第19号(2001)に掲載された北川千恵「17世紀ニューイングランドにおける戦争記憶と自己認識」の別刷を著者からいただき、その読後感を手紙に書きました。以下はその一部です。

恥ずかしながら「書評」を読むまで著者Jill Leporeのことを知らず、ましてやその著書を読んだこともない私ですので、アメリカ先住民とピューリタンとの関係について知らないことがいかに多いかをあらためて知らされた思いがいたしますし、「書評」を評する資格がないことも自覚しておりますが、多少感想めいたことを以下に記すことにいたします。

インターネットの検索エンジン‘Google’でJill Leporeをキーワードに検索し、ボストン大学歴史学科のホームページに掲載されたジル・レポールの写真と履歴・業績を記したサイトを見つけることができました。1987年にTufts UniversityでB.A.を取得と記されていますから、現在たぶん40歳前後の年齢ではないかと推察します。 アメリカ人のアイデンティティとかナショナリズムの形成について斬新な提言をしている新進気鋭の歴史学者という感じですね。

北川さんは、The Name of War: King Philip's War and American Identity について、「書評」冒頭で、本書が高く評価された理由として@ピューリタンの戦争記述に焦点をあてることによって、フィリップ王戦争研究に社会・文化史研究の可能性を切り開いた、A植民地・インディアン双方における相互作用的文化変容の視点からニューイングランドを捉えようと試みた、B「アメリカ人」の原型が戦争の残虐性・記憶・言語化の3段階を経て形成される過程を描くことによって、アメリカ史研究全体で共有しえる重要問題を提起している、以上3点を指摘しておられます。

このうち@について気になるのは、「ピューリタンの戦争記述」を中心に研究せざるをえないという資料的限界です。無文字社会のインディアンに「インディアンの戦争記述」はありませんから、それは、植民地文化の教育を受けて読み書き能力を獲得したごく限られた数のインディアンによってしか残されなかったことでしょう。その点、「読み書き能力が歴史叙述を不可能にするという矛盾」を指摘した第1部第2章ならびに「植民地人、インディアン双方が戦争にどのような意味づけを行なっていたか、その類似点、相違点について」論じた第2部の内容に関心を寄せております。

Aについては、従来の「初期アメリカ研究」が「ピューリタン研究とインディアン研究は別個のものとして行われ、一方で植民地側の強圧的政策を批判しインディアン社会の壊滅を強調する傾向に、一方で白人文化に抵抗したインディアン伝統文化研究に偏重する傾向にあったが」と書いておられます。しかしながら、従来の「植民地側の強圧的政策を批判しインディアン社会の壊滅を強調する傾向」もしくは「白人文化に抵抗したインディアン伝統文化研究に偏重する傾向」をもった研究はピューリタン研究とインディアン研究を別個のものとして行ったものだ、と断言できるのかどうか多少疑問に思います。そのような「傾向」をもった日本人研究者には、しばしばピューリタンというものを一面的にしか理解しないでインディアンの歴史を語る人がいるようですが。本書がピューリタン研究とインディアン研究の統合を促進したということは確かでしょう。

序章紹介のくだりで、「17世紀ピューリタンたちの文明への自信、非文明への嫌悪こそ、現代アメリカ人のなかにも見出されるアメリカン・アイデンティティのルーツである」とずばり書かれていることは、「文明」を「アメリカ文明」に置き換えてみるならば、現代アメリカを頂点とするグローバリゼーションについても示唆的であるように思います。

「相互作用的文化変容」という視点は、現代アメリカ文化を考察するうえでも重要でしょう。インディアンの言葉・思想を紹介した本がいろいろ翻訳されていますが、それを読むと旧約聖書の詩篇などを読んだときと同様の印象をうけることがあります。そのような印象をうけるのはなぜなのかと考えてみると、さしあたって二つの要因を仮定することができます。一つは宗教のもつ普遍性、もう一つは原書がインディアン本来の言葉・思想を伝えているのではなく、すでにキリスト教とインディアン宗教との相互作用による文化変容がもたらした結果である可能性です。

No.32 学生による授業評価


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/09/07(Sat) 18:43

最近は、文部科学省の指導もあって、日本の大学でも「学生による授業評価」というのが行われるようになりました。今年度第1学期「総合人間科学」において、私は二つの授業を担当したのですが、私の授業にたいする学生評価は15点満点中9.78、つまり100点満点に換算すると65.2、可の評価ということになります。私が学生たちにつけた成績の平均はこれよりも良い点数ですから、ちょっと不満ですね。もちろん、評価と成績は相互に比較できるような性格のものではないのですが。

評価項目は五つあり、各項目ごとに0〜3の4段階評価(3点が満点)という方式です。項目1は授業内容の難易度、項目2は学生の理解度、項目3は板書・話し方・マイクの使い方などの良し悪し、項目4は興味・刺激度、項目5は教員の熱意を問うものです。どうも学生たちの多くは、内容が難しい、理解しにくいという印象を私の授業にいだいているようで、項目1と項目2の評価はいわば不可の点数でした。かといって、内容やレポート課題や試験問題をやさしくすればよいという性質のものではありません。自由意見欄に書かれた下記のような学生コメントは、私の授業の性格をよく理解しているといえましょう。

「簡単に答えられない問題を扱う授業だから自分で考えなくてはいけない。授業内容を理解するには自己学習が必要だったので大学に来たなという感じで興味深かった。」

5項目中もっとも高い評価が示されたのは、項目5であり、少なくとも熱意は伝わったようです。といっても、3点中2.33、つまり100点満点に換算すると77.7ですから、いわば良。自己評価は優なんですけどね(^^;

下記のような学生コメントがあったのが救いです。

「とても面白かった。話題の選び方も最適だったし、一番楽しみにしていた授業でした。」

No.33 池澤夏樹「新世紀へようこそ」


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/09/18(Wed) 12:49

2001年9月11日のテロ事件をきっかけに池澤夏樹氏が始めたメール・マガジン「新世紀へようこそ」については、新聞報道で知って、私もNo.010から配信を受けています。読者から寄せられた返信を含めて、一部が1冊の本として刊行されています。池澤夏樹『新世紀へようこそ』(光文社,2002)です。これに掲載された私のコメント(「032 神学論争 2001-10-25」にたいする返信)は以下のとおりです。

> 日本国憲法第9条の論議が「神学論争」になりやすいということは理解できるのですが、世間では「神学論争」という言葉に否定的なイメージをもたせて揶揄する傾向が見られることに問題を感じます。原理主義(ファンダメンタリズム)がもともとアメリカ国内のキリスト教用語であったというご指摘もその通りなのですが、「旧約聖書」「新約聖書」といっても、それがすべて契約文で構成されているわけではないのですから、宗教的な原理主義と憲法論議における「原理主義」とを同列に扱われては困ります。近代的な法の世界で原理・原則が軽んじられるようでは、無法世界みたいになってしまいますから。

ネット上では、上記の本に未収録のコメントを読むことができます。

メール・マガジン「新世紀へようこそ」のことを知るまで、失礼ながら池澤夏樹氏のことは私の眼中にはありませんでした。にもかかわらず配信を受けることにしたのは、9月11日テロについて一般報道とはちがった筋からの情報をもえながら考える必要性を感じたことと、もうひとつ、池澤氏が私と同じ1945年生であるということからくる身びいきです。私は4月4日生まれですが、池澤氏は7月7日です。下記サイトに1945年生として紹介しておきました。「1945年生の会」でも立ち上げようかと思いつつ、なかなかそのひまがなく「光陰矢のごとし」です。

池澤氏の書いたものは、まだ新聞・雑誌などに掲載された評論・随筆しか読んだことがありませんが、平易な文章を通して「しなやか」な思考力が感じられ、しばしば基本的なところで共感を覚えます。中央公論2001年12号に「新訳・試訳 日本国憲法前文」という特集記事がありますが、池澤氏による訳にいちばん感銘をうけました。

日本国憲法前文については、中学3年生の社会科の時間に習いました。別のクラスでは、前文をぜんぶ暗誦させられていました。暗誦しないまでも、子どもたちが池澤夏樹氏訳の日本国憲法前文を高らかに朗誦するなら、愛国心や国にたいする誇りというものがおのずと形成されるのではないかと思います。

No.34 広島平和宣言と長崎平和宣言


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/09/24(Tue) 22:05

『軍縮問題資料』2002年10月号(No.264)に本年8月の広島平和宣言と長崎平和宣言が収録されています。両宣言には、アメリカ政府ならびに日本政府にたいする批判がこめられています。その箇所を以下に紹介しましょう。

広島平和宣言(抜粋)
 アメリカ政府は、「パックス・アメリカーナ」を押し付けたり世界の運命を決定する権利を与えられている訳ではありません。「人類を絶滅させる権限をあなたに与えてはいない」と主張する権利を私たち世界の市民は持っているからです。
 日本国憲法第九十九条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し援護する義務を負ふ」と規定しています。この規定に従うべき日本国政府の役割は、まず我が国を「他のすべての国と同じように」戦争のできる「普通の国」にしないことです。すなわち、核兵器の絶対否定と戦争の放棄です。その上で、政府は広島・長崎の記憶と声そして祈りを世界、特にアメリカ合衆国に伝え、明日の子どもたちのために戦争を未然に防ぐ責任を有します。

長崎平和宣言(抜粋)
 米国政府は、テロ対策の名の下にロシアとの弾道弾迎撃ミサイル制限条約を一方的に破棄し、ミサイル防衛計画を進めています。さらに核実験全面禁止条約の批准を拒否し、水爆の起爆装置の製造再開、新しい世代の小型核兵器の開発、核による先制攻撃などの可能性を表明しています。また、ロシアと締結した戦略攻撃兵器削減条約も、取り外す核弾頭の多くを再び配備できるようにするなど、国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行しています。こうした一連の米国政府の独断的な行動を、私たちは断じて許すことはできません。(中略)
 本年五月の、日本政府首脳による非核三原則見直し発言は、被爆地長崎の心を踏みにじりました。我が国は唯一の被爆国として核兵器廃絶の先頭に立つ資格があります。そのためにも、核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」とする非核三原則を直ちに法制化すべきです。

 「大量破壊兵器」を他国に持たせまいと思うのなら、核兵器最大保有国の米国がまず核軍縮の範を世界に率先して示すべきです。それをせず、「大量破壊兵器」を準備しているというだけでイラクを武力攻撃するというのは、あまりにも身勝手で乱暴なふるまいです。ブッシュ政権は、「国益に反することは認めない」と事あるごとに主張していますが、各国がそのような態度に出たならばいったいどういうことになるのでしょうか。世界の平和が保たれるはずがありません。被爆国日本は、「普通の国」になってはいけない使命をおびており、米国の国連軽視には「ノーと言える国」になるべきなのです。

No.35 補完代替医療学会


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/09/28(Sat) 13:42

第5回日本補完代替医療学会が下記のごとく開催されます。日本民族学会のメーリングリストJSENETにも紹介しておきました。当方には「VIPとして、各会場free pass」という案内をいただいたのですが、あいにく当日は他の講演会・学会等の先約があり、出席できそうにありません。

そういえば、先日、東洋医学研究会の学生が当方にやってきて、大学祭で代替医療をとりあげるので参考書がないかと言っておりました。ないわけではないけれど、これ1冊で世界の代替医療のことが分るという便利なものは持っていませんので、いろいろなものに当たって調べるように勧めておいたのですが、2年生になると解剖学などでけっこう忙しいらしく、調べる閑がないような口ぶりでした。

T 会議概要
    会 期 平成14年11月9日(土)・10日(日)
    会 場 金沢市文化ホール
        〒 920-0864 金沢市高岡町15-1
        TEL:076-223-1221
    会 長 山口 宣夫(金沢医科大学血清学教授)
    テーマ 「代替医療とエピメディスン」
    懇親会 金沢ニューグランドホテル

    問い合せ先
     金沢医科大学血清学 助教授 清水昌寿
     〒 920-0293 石川県河北郡内灘町大学1丁目1番地
     TEL:076-286-2211 ext3924 FAX 076-286-2841 
     E-mail: kessei@kanazawa-med.ac.jp
    
U プログラム
 1)一般演題:口演・ポスター

 2)特別プログラム

シンポジウムT
「Alternative medicine and Epimedicine」
Organizer
 Dr. Edwin L. Cooper. USA
  Dr. Michael Irwin, USA
 Dr. Nicola Fabris, ITALY
 Dr. George Lewith, UK
 Dr. Lianhong Jin, CHINA
 Dr. Haruki Yamada, JAPAN
  Dr. Shinghyang Yang, TAIWAN

シンポジウムU
「日本の漢方医学と代替医療 −21世紀のイメージを求めて―」
 山田 陽城 (北里大学・北里生命科学研究所 副所長/教授)
  「漢方薬の免疫系に対する作用と作用成分」
赤尾 光昭 (富山医科薬科大学・薬学部 助教授)
 杉山 清  (星薬科大学・薬学部 助教授)
 清水 昌寿 (金沢医科大学 助教授/金沢大学大学院 客員教授)

シンポジウムV
「鍼灸の科学化 ― 臨床経験からエビデンスへ ―」
オーガナイザー
川喜田 健司 明治鍼灸大学 教授
多留 淳文先生
山下 仁先生 「経験からエビデンスへ、何をどうしたらよいか」
北小路 博司先生 「一般の臨床家のできるRCTプロトコール(排尿障害)」
鍋田 智之先生 「風邪の予防・臨床試験の多施設RCTの紹介」

特別講演
聖路加国際病院 理事長 日野原重明先生
特別教育講演 (公開講座)
 金沢医科大学・病理学 田中 卓二教授
    「天然物によるがん予防:その基礎的研究」

V 費用
学術集会参加費 事前 : 8,000円 (会員)
              10,000円 (非会員)
              1,000円 (学生)
  当日 : 10,000円 (会員)
      12,000円 (非会員)
      1,000円 (学生)
 
懇親会費  事前 : 10,000円 (会員・非会員・学生)
       当日 : 11,000円 (会員・非会員・学生)

払込方法:学術集会参加、懇親会参加申込者には振込用紙を送付します。

W 学術集会参加、 抄録集、懇親会参加申込
1.申込方法:申込用紙にご記入の上、所属機関ごとにまとめて郵送、FAX又はE-mailにてお申し込み下さい。 

2. 申込先:〒920-0293 石川県河北郡内灘町大学1丁目1番地
金沢医科大学血清学教室内
第5回日本補完代替医療学会学術集会事務局(担当 清水昌寿)
TEL:076-286-2211 ext. 3924 FAX:076-286-2841

No.36 ★小栗判官伝承の深層(講演)


投稿者名: 資料室
投稿日時: 2002/09/29(Sun) 11:49

★小栗判官伝承の深層(講演)

【日時】 2002年 10月 26日(土)14:00-16:00
【講師】 松原右樹さん(民俗学者・大阪府立高校教員)
【会場】 大阪府・和泉市立人権文化センター(ゆう・ゆうプラザ) ※参加無料

No.37 Re: ★小栗判官伝承の深層(講演)


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/09/30(Mon) 21:56
URL:

要旨を簡単にでも紹介してくださるとありがたいのですが。


No.39 講演「小栗判官の深層」趣旨


投稿者名: 資料室
投稿日時: 2002/10/05(Sat) 17:16

(※ゆう・ゆうプラザだより掲載文章転載※詳細はリンク先をご覧下さい。)
 今回の講座では、小栗街道の名前の由来になった小栗判官伝承をテーマにした講演会を実施します。小栗判官伝承は、中世・説経節として芸能民に語られ、浄瑠璃、文楽、歌舞伎などにも取り入れられ発展し、現代では市川猿之助さんが率いるスーパー歌舞伎でも演じられるほど多くの人に愛されている物語です。
 この物語は現代社会にも重要な問いかけを発しています。物語の主人公小栗は重度の病気と障害を持つ「餓鬼阿弥」という姿に変えられ、街道沿いの民衆にささえられながら熊野を目指し蘇生します。小栗が蘇生した熊野には、「ケガレ」にこだわらない熊野信仰の拠点である熊野本宮大社があり、歴史的に「癩(ライ)病」患者(現在のハンセン病)をはじめ、病者、障害者、女性など、社会的弱者が現世の苦しみからの解放を求め熊野詣をしました。また、かつて熊野・湯峰温泉にはハンセン病患者の湯治場がありました。以上のような点を考えると、小栗判官伝承は社会的弱者であった人びとの思いが架空の主人公である小栗込められ、語り継がれてきたのでしょう。民衆の芸能として語り継がれてきた小栗判官の物語には、実は現在でも通じる差別問題・人権問題が大きなテーマとして含まれています。
 今回、民俗学者である松原右樹先生をお招きし、この小栗判官伝承の深層について話していただきます。松原先生は、長年人権の観点から民俗学を研究し、特に「ケガレ」についての研究には造詣が深く、今回の講演でもこうした観点から小栗判官伝承について語っていただきます。


No.40 Re: 講演「小栗判官の深層」趣旨


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/10/05(Sat) 22:22

>(※ゆう・ゆうプラザだより掲載文章転載※詳細はリンク先をご覧下さい。)

演劇「餓鬼阿弥の道」公演と連動した催しであることが理解できました。 

No.41 若狭の海とクジラ


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/10/07(Mon) 12:13

敦賀短期大学地域交流センターの主催により、以下のように講演会・シンポジウムが開催されます。

若狭沿岸地域総合講座
テーマ:若狭の海とクジラ
開催日:2002年11月8日(金)
開催時間:18:00
終了時間:20:50
場所:敦賀短期大学 階段教室
講師:平口哲夫
   C・W・ニコル
   岡田孝雄
日程
18:00 開会挨拶 敦賀短期大学 学長 佐久田昌昭
18:10〜19:00 講演 平口哲夫「クジラを食う民食わぬ民―民族考古学の視点から―」
19:10〜20:00 C・W・ニコル「勇魚―人と自然の共生―」
20:10〜20:40 パネルデスカッション「江戸時代の若狭とクジラ」
           コーディネーター:敦賀短期大学 地域交流センター長
                       多仁照廣
           パネリスト:平口、ニコル、岡田
20:45 閉会挨拶 多仁

No.42 二人展 GROUND ZERO /平口幸枝×平口泰夫


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/10/19(Sat) 13:26

建築家の弟が、去る7月31日に亡くなった母(画家)の大型作品展を兼ねて、標記の催しを以下のごとく行います。

日時:2002年11月11日(月)〜17日(日) 9:00〜21:00
場所:金沢市香林坊ハーバー(旧プラザ劇場)/片町2-9-2
◇入場無料
◇会期中毎夜19:00〜21:00「建築しゃべり場」を開催、みんなで建築を語り合います。建築家・陶芸家・画家など多彩な方々をゲストに迎える予定。
◇11日(月)18:00〜21:00 オープニング・パーティー。会費無料。お気軽にお越しください。
◇主催:(株)平口泰夫建築研究室
◇共催:(株)龍文社

No.43 ウイルス・デマ情報


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/10/25(Fri) 15:03

知人から以下のようなEメールが届きました。

> 実は今回まわりまわってウィルスに感染してしまった模様です。
> 感染ルートより、以下のような
> ウィルスの駆除方法に関するメールが届きましたので、
> お知らせ致します。申し訳ございません。

>> テディーベア―ウイルスに感染している可能性がありますので下記の方法で駆除し
>> ていただきますようお願いいたします。
>>
>> ウイルスは電子メールを送付したかどうかにかかわらずアドレス帳に登録されてい
>> る全てのアドレスに感染するそうです。
>> ウイルスはjdbgmgr.exeという名前で14日間静かにしていて14日後にシステムを破壊
>> するそうです。
>>
>> 以下駆除方法です。
>> ノートンやMCAfeeのワクチンソフトでは検出できません。
>> メッセンジャーを通して自動的にアドレスブックにあるアドレスに送付されます。
>> 自分も下記の要領で調べましたところ、感染していましたので削除しました。
>> 恐れ入りますが下記の要領でプログラムの存在を発見し・削除しアドレスブック
>> に記載されている全ての人に警告してください。
>>
>> 1.画面下のスタートをクリックし検索からファイルやフォルダをクリックして下
>> さい
>> 2.検索するファイル名としてjdbgmgr.exeと書きます。
>> 3.ドライブCを検索してください。
>> 4.「検索」をクリックします。
>> 5.ウィルスにはjdbgmgr.exeのファイル名の頭にテディベアのアイコンがついてい
>> ます。絶対あけないようにしてください!!!!!!!
>> 6.右クリックして削除。ゴミ箱に入れます。
>> 7.ゴミ箱をクリックしてそこでも削除してください。
>>
>> ウィルスが発見された場合は必ずアドレスブックに記載されている人全て連絡してく
>> ださい!!!!!
>> (マックのパソコンには関係ないと思うのですが…)貴方様も直ぐにお調べ下さい。
>> しつこいかも知れませんがウィルスが発見された場合は必ずアドレスブックに記載さ
>> れている人全てに連絡して下さい。この文章をコピーして送って頂くといいでしょう。
>> お手数をかけますが何卒よろしくお願いいたします。

勤務先のサーバーを介してのメールは、厳重なウイルスチェックがなされているので、上記のようなウイルスに感染する心配はないはずだと思いつつ、ともかくjdbgmgr.exeをファイル検索してみると、テディベアのアイコンがついているjdbgmgr.exeがWINDOWS SYSTEMのフォルダー中に存在するではありませんか。これは変です。そこで、デマ情報ではないかと思い、ネットワーク・サポート課に問い合わせてみましたところ、案の定、ニセのウイルス情報とのことです。このデマ情報は以前にも流布したことがあり、最近、また出回っているようです。

このことを、発信者だけでなく、併記してあったすべてのアドレスに宛ててEメールで知らせておきました。発信者からはもちろんお詫びのメールがきました。また、受信者からも返信が一通ありました。この受信者は、jdbgmgr.exeを削除してしまったそうです。

見ず知らずの人からきたウイルス情報ならば警戒心をもって対応しますが、信頼している友人からきたりすると、ついうっかり騙されてしまいがちです。この点、「旧石器時代遺跡の捏造事件」の経緯と共通するところがあるように思います。

No.44 jdbgmgr.exeを削除した場合


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/10/28(Mon) 16:02

jdbgmgr.exeは、Microsoft 仮想マシン (Microsoft VM) で使用されるファイルですが、このファイルを削除してもWindows の動作に影響を与えることはないそうです。

No.45 池澤夏樹「新世紀へようこそ」へのコメント


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/10/30(Wed) 16:09

ネットサイトに掲載されている当方のコメントは7例です。

No.46 「二人展 GROUND ZERO」会場


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/11/01(Fri) 19:46

>場所:金沢市香林坊ハーバー(旧プラザ劇場)/片町2-9-2

No.47 「日本海」名称問題


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/11/11(Mon) 12:45

11月9日に出張から帰ってきてメールボックスを開いてみたら、下記のようなメールが入っていたのでびっくりしました。

-----------------------------

To Webmaster

Recently I visited your organization's website, and so supprised because I detectted in your organization's korea and japan maps and some publications showed "Sea of Japan" clearly instead of "East Sea" at your webpage.

Such a failure on the website in your organization comes as a surprise since we regard you as one of the world's influential website.

As you are aware, it is improper naming used the name of a country like "sea of Japan" for a sea surrounded several countries.

The name "sea of Japan" must be corrected because the name gained international currency by an unilateral persistence of Japanese imperialism in 1920s, when Korea was under the rule of Japanese imperialism.

Korea had no diplomacy power, and Japanese imperialism exploited the opportunity.

So, I call on your organization to use the name "East sea" in any official documents and world atlases.

I would be grateful for your explanation.

-----------------------------

この抗議メールは、当方勤務先が管理しているメーリングリスト宛に送られたため、当方に転送されてきたものです。韓国では、日本海のことを東海と呼んでおり、日本海という名称に不快感をもつ人が多いことについては承知していましたが、「東海」が正しく「日本海」は間違いだとか、「日本海」は日本帝国主義によって押し付けられた名称だとか主張されると、いやそうじゃないよと反論したくなります。

日本海という地理的名称そのものは「日本帝国主義」とは関係なく、命名者も日本人ではありません。たとえば、すでに1798年フランス軍人ラ・ペル−ズ作成の「オホーツク海周辺発見地図」にSEA OF JAPANと記されています。19世紀前半、世界の8割近い地図が「日本海」を使用していたのですから、「日韓併合」(1910)の約1世紀前に「日本海」は国際的に定着していたことになります。

方角による命名は国際的には相容れないことが生じます。韓国が韓半島(朝鮮半島)の近海を西海(黄海のこと)、南海(東シナ海のこと)、東海(日本海のこと)と呼ぶのは自由であり、こういうローカルな呼称が生まれるのは自然な成り行きでもありますが、それを国際的に通用させようというのは無理な試みです。ある国・地域を中心とした方角による命名は、基本的にはその国・地域においてのみ通用するものだからです。日本海は日本側から見れば「西海」になるばかりでなく、実際、日本で「西海」といえば九州の西側の限られた海域を意味します。

方角による命名で国際的に定着した例として北海と東シナ海をあげられますが、北海の名称についてはこれに面する国々のあいだで議論になった経緯があります。結局「北海」に落ちついた理由については詳しい事情は知りませんが、ヨーロッパ全体としては比較的北に位置し、かつ北欧諸国が面する海ですからあまり抵抗がなかったのかもしれません。韓国が「日本海」についてのみ抗議を表明し、「東シナ海」については不問に付しているのは、日韓の特殊事情によるのでしょうが、公平に欠ける感がいたします。

No.48 Re: 「日本海」名称問題


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/11/11(Mon) 12:58

国際水路機関(IHO)が海図の指針から「日本海」という名称を外すよう提案、11月末までに加盟72ヵ国の投票により過半数の賛否で決まるということになった、という報道にびっくりした方も多いと存じます。1921年にIHOの前身「国際水路局」ができ、7年後に標準名称や境界の指針を定めた「大洋と海の境界」初版が発行、その初版から第3版(1954)まで一貫して「日本海」(JAPAN SEA)が使われてきたのですが、2003年改訂予定の第4版からその表記を削除するというのです。この提案は、日本側の抗議によって9月19日に撤回されたとのことです。

外務省見解にも触れられているように、18世紀末〜19世紀初に日本海域を探検したヨーロッパ人のうちの一人、ロシアのクルーゼンシュテルンは、航海記のなかで「人はこの海を朝鮮海とも名づけたが、この海は朝鮮の海岸にはごくわずかな部分しかあらわれていないので、この海は日本海と名づける方が良いであろう」 と述べています。この海域に面する日本列島、プリモルスキー(沿海州)、朝鮮半島のなかで、もっとも長い沿岸を占めるのが日本列島であり、朝鮮半島は3番目なのですから、クルーゼンシュテルンの見解はなかなか的を射ています。大洋からその海域を隔離する主要な列島弧や半島の名による命名は、日本海だけでなく、アンダマン海、カリフォルニア湾、アイリッシュ海などの例があります。

No.49 Re: Re: 「日本海」名称問題


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/11/11(Mon) 13:26

VANK(Voluntary Agency Network of Korea)という民間団体が"Sea of Japan"という名称を載せている地図を見つけては、「Sea of Japan は間違い、 East Sea が正しい」というメールを送りつける運動を展開しているようです。抗議Eメールをハングルと英文で準備し、誰でもこのキャンペーンに手軽に参加できるようにワンタッチ発送システムを構築しているということが、ウエブサイトに書いてありました。

国際水路機関(IHO)による「大洋と海の境界」第4版草案ができた1986年当時、韓国は特に異義を唱えなかったにもかかわらず、1992年になって「東海」に改めるように主張し始めました。一種のナショナリズム的な運動の表れでしょうが、竹島(独島)をめぐる領土問題もからんで政治的意図も見え隠れしています。

No.50 Re: 会場スナップ写真


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/11/14(Thu) 14:31

会場で撮った写真を当方のサイトに掲載しておきました。

No.51 「外務省見解」英語版


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/11/16(Sat) 20:27

>外務省作成パンフレット「SEA OF JAPAN」(和訳)

英語版(PDF)は、アクセスしてみたのですが、地図画像のせいか重すぎて時間がかかり、パソコンがフリーズしてしまいました。こういうことでは肝心の外国人に広く読んでもらえないでしょうね。つてを頼んでテキストファイルを送ってもらいました。

No.52 Re: 「外務省見解」英語版


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/11/20(Wed) 19:44

>英語版(PDF)

デスクのパソコンではフリーズしてしまうものですから、昨年12月に私費購入したノート型で試してみたら、時間はかかりましたが、全部読み込むことができました。つまり、わが研究室の旧式パソコンよりも、ふつうの人が購入する新式パソコンのほうがずっと性能がいいということ。


No.53 平口幸枝の略歴


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/11/21(Thu) 09:19

以下のサイトをご参照ください。

“華徳”―画家・平口幸枝の生涯―
http://sophiruka.sakura.ne.jp/Katoku/index.htm

No.54 関連サイト


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/11/21(Thu) 21:14

ART CYTY「展」の「展覧会訪問」にGROUND ZEROならびに一創会小作品展のことが紹介されています。
後者では、平口幸枝のことが詳しく記され、絵も2点掲載されています。

No.55 Re: 若狭の海とクジラ


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/12/04(Wed) 11:20

当方のサイトに講演会の様子を少しばかり紹介しておきました。

No.56 Re: 平口幸枝の略歴


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/12/05(Thu) 22:12

“華徳”―画家・平口幸枝の生涯―をフレーム形式にしました。

No.57 朝日新聞朝刊「惜別」欄2002年12月10日


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/12/10(Tue) 21:45

10日の朝日新聞大阪版朝刊(東京版9日夕刊)「惜別」欄に「東洋史学者江上波夫さん」96歳、「平和運動家岩倉務さん」68歳、「京大大学院教授外山義さん」52歳、「高円宮憲仁さま」47歳の逝去を悼む記事が掲載されていました。

この4人の方々の中で、私が君付けで呼ぶことができるのは「外山さん」です。博士課程1〜2年時に東北大学基督教青年会館(渓水寮)の主事として学生たちと共同生活をしていたのですが、そのとき外山君は工学部建築学科の学生でした。

新聞には、『岡山市に牧師の長男として生まれ、教会に集まるお年よりに囲まれて育った。東北大学で建築学を学んでいた頃から高齢者の住環境にこだわってきた。福祉先進国スウェーデンに留学して研究を深め、「相部屋が当たり前」という日本の高齢者福祉施設の「常識」を覆す活動を始める。』と書かれてあります。その分野で高く評価されているという話を元寮生たちから聞いていたのですが、詳しいことは知りませんでした。数年前に東京YMCA会館でOB会があったときに、ほんとうに久しぶりに会ったのですが、列車の都合で途中退席したため、ろくに話し合うことができませんでした。そのうちまた機会があるだろうと思っているうちに、突然訃報がもたらされたものですから、とても驚きました。あらためて心より哀悼の意を表します。

No.58 三岸節子さんのこと


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/12/21(Sat) 18:23

亡き母が生前、よく三岸節子さんのことを話題にしていたというので、姉がインターネットで調べて女子美1924年卒ということを知らせてくれました。1924年卒ですと、女子美が専門学校に昇格する前の女子美術学校時代の人ですね。母は専門学校になってからの入学生で、1934年卒です。10年先輩の三岸さんの活躍ぶりは母にとっても憧れの的だったことでしょう。

そこで私もインターネットで検索して下記サイトなどを見ました。
三岸節子美術館
http://s-migishi.com/

それを踏まえて年表
http://sophiruka.sakura.ne.jp/Katoku/yukie-nenpyo.htm
を更新した12月18日の帰宅途中、夜11時過ぎだったと思いますがカー・ラジオで、「名古屋市にあるヒマラヤ美術館に展示の絵の所有者、老舗洋菓子店が経営難に陥り、借金の担保になっていた三岸節子作品などが大量に流失、美術館として維持できなくなったため閉館することになった」という嘆かわしいニュースを聞きました。

No.59 小田実著『戦争か、平和か 「9月11日」以後の世界を考える』


投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2002/12/29(Sun) 22:43

年末、部屋に缶詰になって待機していなければいけない仕事があって、その時間に表記の本(大月書店、2002.12.8)を読んでしまいました。

小田氏の『なんでも見てやろう』は私が高1のときに出版されたベストセラー、べ平連活動は私が大学入学の年から始まっています。その小田氏が「9月11日」以後の世界についてどう考えているのかと思って読んでみたわけです。

校正不十分なところが目立つものの、内容的には特に若い人に読んでもらいたい本です。わかりやすく書かれています。小田氏は中学生のときに大阪大空襲にあって、もう少しで死ぬところだったという体験の持ち主で、そのことが思考や行動の根っこにあるのですが、「体験的平和主義」にとどまらず、それを思想化しないと「戦争主義」に負けてしまうと言っています。私も「戦争と平和」について考えるときにゼロ歳のときの「空襲体験」が根っこにあるのですが、自信がもてるほど思想化しているわけではありませんから、ご指摘を謙虚にうけとめたいと思います。

小田氏の言葉を借りるならば、日本国ならびに日本人は、「良心的兵役拒否国家」をめざしてなすべきことが多いといえましょう。