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世界連邦運動協会石川県連合会
 
2019年度理事会・総会

日 時 : 2019年6月29日(土) 14:00〜16:00 (受付開始13:30)
会 場 : 香林坊アトリオ4階アトリオサロン

議事に入る前に講話



講 師 / 平野 喜之 氏 石川県かほく市 浄専寺住職
演 題 / 憲法前文と願生浄土
 【講話の要約】


お寺はブッダ(仏陀 真理に目覚めた人)の教えを学びお伝えするところである。もし今、ブッダがおられたらどのようなことを考え表現されただろうかという問いを持たざるを得ない。日本国憲法(特に前文)が示す理念を生きるということと、浄土を願って生きる(願生浄土)ということにはどのような関係があるのだろうか?

浄土とはどのような世界か、浄土を願って生きるとはどういう生き方か。浄土とはバラバラでいっしょの世界であるということができる。浄土には、@個性・独自性が輝く、?自由であり、しかも互いに妨げ合わない、B絶対の権力がなく、秩序が自然に形成される、という三つの特徴がある。@と?は、憲法で言えば、基本的人権の尊重につながり、Bは国民主権につながるだろう。また、浄土とは、『仏説無量寿経』の「有無相通 無得貪惜」「当相敬愛 無相憎嫉」という言葉に基づけば、財産と武器をもつ必要がないところということができる。

浄土を願って生きるということは、互いに信頼し合うことによって、経済力と軍事力(武器・ 暴力)に頼らず、済力(お金)と軍事力(武器・暴力)によって勝負を決するような戦争を放棄して、外交上のトラブルを対話によってのみ解決しようと努力することである。

憲法前文においては「平和」という概念は、@安全を守る手段も平和的でなければならない、A構造的暴力(専制と圧迫と偏狭、欠乏)がない状態こそ平和、B「全世界の国民が」平和に暮らしてこそ、本当の平和 という三つの意味がある。

『往生要集』には、「地獄」を「互に常に害心を懐けり」、「餓鬼」を「之を食らえども常に飢乏(きぼう)す」、「畜生」を「常に怖懼(ふく)を懐けり」とある。「地獄」とは平和でない状態、互いに常に傷つけ合おうとしている者たちの関係、「餓鬼」とは常に飢えている状態、満足のない状態、「畜生」は常におそれをいだいている状態、何かに支配されている状態である。

憲法前文の第二段落と、地獄・餓鬼・畜生という言葉を照らし合わせると、
・平和を維持し、平和のうちに生存する権利を有する→地獄を超える
・専制と圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう、恐怖から免れる→畜生を超える
・欠乏から免れる→餓鬼を超える
という対応関係があることに気づかされる。

浄土とは有無を超えてすでに本当にある世界(実在)であるが、その世界に生まれさせようというはたらきがある。そのはたらきを本願力という。そのはたらきが自分に現にはたらいていることを知る智慧を信心という。(善人を装っていても、本当は)「鬼の姿をしている」そういう自分を自覚させる(信心をたまわる)ことによって、鬼という在り方を超えさせる。その浄土からのはたらき(本願力)は、自分だけでなく、国や時代を超えてすべての人にはたらいていることを信じる。

日本国憲法前文の第二段落の「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」は、「人間関係を調和的に保つはたらきを深く信ずる」にするほうが、仏教徒である私には自然な表現のように思う。

第三段落の「政治道徳の法則」という言葉には東京裁判の積極的意味を明らかにするヒントがある。近代国家は主権的国民国家であるが、主権を制限する法がなければ戦争を防ぐことはできない。第一次世界大戦後、戦争は二国間における出来事ではなく、世界の秩序を破壊する犯罪行為とみなす考え方が生まれた。戦争は初めて一定の構成要件の下で国家によって犯される犯罪行為とされ、その精神は第二次大戦後の国際連合において一層具体的に強化された。

この「政治道徳の法則」はその考え方から生まれたといえる。東京裁判で有罪となったA級戦犯の人達は、具体的には「極東国際軍事裁判所条例」(1946)によって定められた「平和ニタイスル罪」で有罪になったと言われているが、基本的にはニューンベルク裁判と同様の基準である「政治道徳」を基礎として裁かれたのである。この裁きは、戦勝国も敗戦国も共にそれに依り、それに従わなければならない「政治道徳の法則」に基礎をもつ裁きである。1929年に成立した「戦争放棄ニ関スル条約」(パリ不戦条約)が、単なる宣言にとどまらずに、東京裁判における判決、刑の執行、いわゆるA級戦犯者の受刑による償(つぐない)によって、いわば実定法(実効性をもっている法)化されたと言える。東京裁判はいろんな問題を含んではいるが、そのような積極的な意味がある。

憲法九条を守りその理念を広めることこそ、日本国民が世界平和に貢献することと信じる。すべての国が憲法九条のような条文をもち交戦権を放棄する日(国家間の戦争がなくなる日)は、はるか彼方かもしれないが、それに向かって人類全体が努力することはとても人間らしいことであり、逆に無理だからと言って諦めれば、人間らしさを放棄することにもなるだろう。すべての国が交戦権を持たない国際社会を目指すことは、カントの言う統制的理念である。現行憲法(特に、前文と九条)を、現実に合わないもの、非現実的なものという理由だけで変えたりしてはならないものだと思う。

丸山真男氏は、先ほど述べた第一次世界大戦後の戦争観の変化を、一つの世界(ワン・ワールド)、一つの世界秩序(ワンワールド・オーダー)の形成への動きと言った。世界連邦運動はその動きの最も先端にあるものではないかと思う。

 講師プロフィールひらの・よしゆき:1964年、京都生まれ。1993年、金沢大学博士課程満期退学。その後、博士(理学)取得。1998年、真宗大谷派僧侶(得度)2000年、大谷大学博士課程満期退学。2004年から金沢大学非常勤講師、2013年から浄専寺住職、2017年から金沢真宗学院指導(教師)。「鶴彬を顕彰する会」の事務局を担当するほか、社会問題に取り組む有識者らの講演会「生きることを学ぶ会」の開催や、「カルト被害のない社会を願う会」の活動などに従事。