記憶の継承

田村 光彰 (北陸大学教授)

世界連邦石川 30:1(2004.2.1)


再建された詩人の像


私は昨年夏、ドイツのハンブルク市に短期滞在しました。関心は、この北の港町が、ナチス時代(1933〜45年)の歴史をどのように記憶し、継承しているかを調べることにありました。北国の、低くよどんだ鉛色の雲間に、突き出すようにそびえる市庁舎。この市庁舎前の公園に、端正に、しかし全身が苦悩で覆われたような銅像がたたずんでいます。台座には、次の文面が刻まれていました。「この像はかつてナチスの暴力政体により解体され、後に溶かして戦争用資材に使われた。彼の書物は焼かれた。ハンブルク市民と議会は、彼が生涯を通じて闘い求めたヒュ−マニズムのために、1982年、新たにこの像を造った。」たたずむ人は、ユダヤ人で、詩人のハインリヒ・ハイネです。

市庁舎内のロビーでは「ナチス時代のユダヤ人弁護士たちの運命」という巡回展示の最中でした。連日、夜8時まで、入場無料です。亡命したり、逮捕され強制収容所で命を落とした法律家の個人史が事細かに展示されています。抑圧をしたナチス、それを知りつつ傍観し、無関心を装った多くのドイツ人の加害の側面がよくわかる展示になっています。


過ちを繰り返さないために



市郊外に「ノイエンガメ強制収容所」があります。ドイツ人の他、ポーランドや北欧の占領地から連行してきた人々を強制労働をさせた場所です。港湾での荷役作業が中心でした。働けなくなると、焼却炉で焼かれ、灰は収容所所有の畑の肥料となりました。遠い地平線の向こうから渡ってくる風は、収容所をとりまくポプラの並木をざわざわと揺らし、命を奪われていった人々の無念のつぶやきのようです。静寂を破るものは、風のそよぎと私がはしらせる鉛筆の音、時折落ちるドングリにとびつくリスの足音だけでした。入場無料です。要所に独、露、仏、蘭、英語のパネルが置かれ、前のベンチで、ナチス時代に思いを馳せることができます。説明は、ドイツ人収容者よりも、外国人連行者に重きがおかれています。

ナチスは「ドイツの生存には隣国オーストリア」が、「この二国の生存には更に東欧やソ連が必要」と次々に外国を軍事力で侵略し、これを<生存圏>と<国益>の拡大として正当化しました。今、ドイツは、これらの国がなくても<生存>しています。宣伝された<国益>はドイツ国民のみならず外国の人々の<不利益>でした。思えば、日本も山縣有朋らが、朝鮮を、次には満蒙を<利益線>と称しました。今、日本はこれらを領土としなくとも<生存>しています。軍事力ではなく、外交と国際協調の大切さが痛感されます。議会と市民がなぜ収容所を保存したのか、案内板でその理由がわかります。「ナチス政体の犯罪を明らかにし、同じ不正を二度と繰り返さないために」と書かれています。現在の国防軍は、ドイツ各地の収容所の見学が授業の中に組み込まれています。



ドイツでは至る所で歴史を今に生かす記念館や碑文、展示に出会います。展示の最たるものは「ハンブルク社会研究所」の全国巡回展「ドイツ国防軍の犯罪展」です。残虐行為を繰り返したのは、ナチス親衛隊だけではなく、正規軍の国防軍である、というメッセージが伝えられます。純真な若者や父親を、戦場では戦争といえども守らなければならない国際・国内法を犯す残忍な兵士に変えてしまう「戦場の論理」が、無数の映像と兵士自身の手記等により明らかにされます。記憶の継承は、歴史から何を学び、何を繰り返さないか、その検証に是非とも必要な作業なのだと思います。