湯川 スミ
WFM名誉会長・世界連邦運動協会名誉会長・世界連邦運動全国婦人協議会会長
世界連邦石川 28:1-2(2002.8.10)
石川県連合会におかれましては、年1回機関紙「世界連邦石川」を発刊しておられ、今年は第28号をお出しになります御由、皆様のご努力の程、まことに感心の至りでこざいます。ご存じのように、21世紀は平和の世紀にするつもりでおりましたのに、悲しいことに去年のアメリカにおけるテロ事件に始って、戦争の絶えない地球になっております。私たちが早くから提唱しています世界連邦が実現しておれば、こんな事にはならないでしょうに。 湯川秀樹とスミが昭和23年(1948年)に、終戦後最初の日本人のアメリカ大学教授・家族として、まる5年のアメリカ生活をしました。最初にアインシュタイン博士が、二人の手を固く握られて、涙をポロポロと流してあやまられました。「ヒットラーに殺されかけて、逃げて来たので、"原子の力を兵器に利用することもできるが―"ともらしたのが、学者の耳にはいり、あの原爆ができ、罪もない日本人を殺して申しわけない」と。私たちは「ア博士が悪いのではない。日本が戦争の仲間入りをしたから、いけなかったのです」と申し、「学者というものは何でも深く研究し、大きくしてゆく。広島、長崎に落されたのは即死20万人、後遺症による人かず知れず。そのうえさらに大きいものができると、地球の人類は全滅してしまう。今のうちに地球上で戦争の起らない仕組にしなければならない」とて、「当時平和運動のたくさんある中で、世界連邦の実現以外にない」という結論になりました。「国と国の争いは、世界の法律により、世界裁判所で裁く」というものです。こうすれば武器は無用の長物となり、みんなが生活のための努力にのみ、力をいれることになるでしょ う。 私は「日本の尾崎行雄先生の言っておられる事と似てるな」と思い、飛行便を出し、「湯川秀樹とアインシュタイン博士が、こんな事をいっています。原爆の被害を受けた日本こそ、先頭に立って実現のため活動して下さい」と申しました。尾崎先生はふんぎりがつかれて、賀川豊彦先生たちと力をあわせて、「世界連邦建設同盟」をつくって下さったのが、日本の世界連邦運動の始りです。 スウェーデンヘ行きました時、百貨店のおもちゃの売り場に、ピストルや刀といった武器をまねたものがない。話をきくと、「昔は戦争をするのが好きな国民であったが、いけないというので、女性が結束して政府に申し入れて、売らせない、作らせない運動をしたのだそうです。この心が子供たちに通じて、近くの国で戦争が起っても、決してその仲間入りをしないで、130年も中立を守りつづけることができた」との事。こうした努力があってこそですね。 世界では2年に1回、世界大会をしてディスカッションをしていましたが、ヨーロッパでばかりありましたのを、秀樹が世界の5代目会長、私が日本の会長の時「第11回世界大会」を日本でしました。海外20ヶ国から172名、国内から2千人が参加。分科会で婦人の集りをしたのが盛んだったので、婦人委員長を湯川スミ、副委員長をアメリカ婦人とフランス婦人とされ、「その年に一番活躍した女性に贈る」とて、大きな純金でつくったバッチを下さいました。私は世界大会があるごとに出席して発言していますが、近年は負担金を払えない国ができて、4年に1回になりました。今年はケガのため出られませんでしたので、英文で挨拶文を送り、開会の時に代読してもらいました。 戦争を経験していない若い人たちは、戦争が起るとどんなに悲惨なものかを知りません。父母や祖父母に話を聞いて、「みんな友だち」「地球はみんなのもの」「戦争をなくすために」「世界連邦をつくろう」「地球環境の保全」などをテーマに、小、中学生に毎年、作文、ポスターをかいてもらい、各支部で優秀作を選んで表彰状と賞品を授与する事を実施しています。昨年は30周年を迎えました。世界中の人達の集る折ごとにこの話をしますと、「大変よいことだ。お手本にして自分たちもやりましょう」といってくれます。日本の「平和憲法」も、「世界中の国が持ってくれるように……」と申しています。今の政治家のようにぐらぐらせぬようにしてほしいものです。 みんなの力で、手おくれにならない今のうちに世界連邦を実現させ、地球が恒久に清く楽しく生活のできるものに致しましょう。皆様のご努力、よろしくよろしくお願い申し上げます。 |