世界連邦建設同盟副会長 加藤 俊作
世界連邦石川 20:2-3(1993.11.10)
世界連邦と国連との間には色々な違いがあるが、基本的な違いの一つとして「安全保障システム」の問題をあげることができる。いうまでもなく国連は集団安全システムを採用している。集団安全システムとは「ある加盟国が他国から侵略をうけた場合侵略をうけた国は自衛権にもとづきその侵略に対抗して自衛のため反撃するが、それとともに、その他の加盟国もあたかも自国が侵略をうけたとみなして攻撃を受けた国を助け、その侵略を共同で排除することをあらかじめ約束することによって、相互に自国の安全を保証しようとするものである。」 すなわち現在の国連の安全保障システムは次のような問題点を持っている。 1.各国は憲章第51条で自衛権を理由に軍備の保有を認められているということである。しかしこの現状が続くかぎりおそらく「戦争」はなくならないであろう。かつて日本の吉田茂首相は新憲法の戦争放棄の規定をめぐる国会論議のなかで「戦争は常に自衛の名において行われる」とのベたが、自衛の名のもとに軍備保有を認めることは「戦争」一般を認めることと本質的にかわらないのである。なぜならもし各国が軍備を文字通り「自衛」のためだけ用いていたならば、これまでも世界のどこにも戦争は起きなかったはずだからである。 しかし現実はどうであったか。さらに問題なことは各国家が軍備を持つことが合法とされた結果、国連の加盟国が増すごとに際限なく兵器が世界に拡散し、一方兵器の製造販売が公然と認められ、先進国の軍備産業は競ってハイテク兵器の開発につとめ、また政府も多額の国民の税金をその製造、購入に当て、あまつさえそれらを開発途上国に売り込み、また贈与し、兵器の世界中への拡散に大きな役割を果たしてきたのである。 2.国連の集団安全保障システムは前述のように国連加盟のイスラエルの占領地区からの撤退問題に対する消極的な態度からもそれは明らかである(いわゆる国連の強制措置の二重基準、ダブル・スタンダード問題)。湾岸戦争は前述のように国連安保理事会の決議にもとづきイラクのクウェイト侵略に対してその侵略を排除するという目的で行われた国連による強制措置であったが、現実にはそれは米軍を主体とする軍隊(多国籍軍)とイラク軍との戦争であり(それは湾岸戦争と呼ばれた)国連決議が実施されたわけだが、アメリカは自国の勝利としか考えず、多国籍軍の司令官であったシュワルツコップはアメリカの英雄として祖国に凱旋し、アメリカの家いえに国連旗を掲げる家はなく、星・条旗が掲げられたのである。 以上から導き出される結論は何か。それは日本国憲法第九条を改正して自衛隊を国連軍に提供するのではなく、むしろ軍備の保有を禁じ、交戦権を放棄した第九条を加盟国に受け入れさせて、各国を非武装化し、国連が独自の国連警察軍を持つことであろう。もし加盟国が非武装化されていればそれはど強力な警察軍を持たなくても、秩序の維持は可能であろう。もちろんその場合アメリカが州兵を持つように、世界を幾つかの地域に分けてそれぞれが地域警察軍を持つことは考えられる。 今一つ必要なことは紛争の平和的解決の手段を強化することであろう。WFM(世界連邦運動=国連NGOカテゴリー2)は長年にわたって「世界法をとおしての世界平和」をスローガンにしてきた。そのためには現在オランダのハーグにある国際司法裁判所に強制管轄権をもたせ、国際紛争を裁判で解決させることが必要である。また世界を幾つかの地域に分けてそれぞれの地域に下級裁判所を設置することもWFMが提案していることの一つである。
(1993年9月2日加賀支部総会における講演原稿を改変)
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