イルカ漁かイルカ猟か

平口 哲夫 (金沢医科大学・医学部)


現代捕鯨の問題を民族学ないし文化人類学的に検討する場合においても、歴史的な考察を必要とすることは言うまでもない。事実、捕鯨についての文化人類学的著書は、程度の差はあれ捕鯨史に頁を割いている。ただし、日本の場合、近世捕鯨については詳述しても、原始・古代捕鯨については申し訳程度に終わっているのが現状である。そこで、第46回日本人類学会・日本民族学会連合大会(1992)において、考古学の立場から民族捕鯨(文化人類学が研究対象とする、現代または民族学的現代の捕鯨)についての提言を行なったのであるが、今回も同様の視点で標記の問題を検討する。

まず、本発表でいう原始捕鯨と古代捕鯨の定義について述べておく。この定義は、時代区分に対応したものではなく、捕鯨の発展段階を意味している。すなわち、原始捕鯨とはイルカ漁/猟(小型ハクジラの積極的捕獲)の開始段階であり、古代捕鯨とはセミクジラやコククジラなどの大型鯨類を積極的に捕獲しはじめた段階である。ちなみに、日本の場合、近世捕鯨は貨幣経済下での鯨組による商業的沿岸捕鯨、近代捕鯨は欧米式捕鯨の導入、現代捕鯨は遠洋捕鯨の開始によって特徴づけられる。捕鯨史関係の著書では、本発表における原始〜近世捕鯨を「古代捕鯨」と称している場合があるので注意されたい。

1982・83年石川県能都町真脇遺跡の発掘で縄文時代層から多量のイルカ骨が出土したことをきっかけに、鯨類考古学の道を歩みはじめたが、イルカ捕獲活動をイルカ漁とすべきかイルカ猟とすべきか、当初は大いに迷ったものである。はじめは動物考古学の金子浩昌先生にならって猟としていたのであるが、漁でもいいように思われ、漁(fishing)か猟(hunting)かと頭を悩ますうちに、「捕獲そのものに限定せず、解体・調理など付帯的諸活動を含めた概念」としてイルカ捕獲活動という表現をとるようになった。しかし、〈いるかりょう〉という口に馴染みやすい言葉は捨てがたく、また、研究の進展にともない、日本の捕鯨史・捕鯨文化の脈絡からいえば、イルカ漁のほうがいいと思うようになった。

〈Porpoise hunting 〉と〈イルカ漁〉の比較検討は、単なる言葉の問題にとどまらない、奥行きのある文化人類学的な課題といえよう。

(平口哲夫,1994,「イルカ漁かイルカ猟か」, 日本民族学会第28回研究大会研究発表抄録, 69)

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