『文芸春秋』2005年2月号に収録されている1945年生まれの著名人にウエブサイト「芸能人・有名人の誕生日 1945年」掲載情報(2020年8月31日現在)を加え、そのうち私が氏名を見れば該当者の顔を思い浮かべることができる人38名を以下に記す。出生地または出身地、没年についてはWikipediaを参考にした。出生地と出身地が同じとは限らない。出生地と出身地の両方が記されている場合は、出生地のみ記した。故人については、没年も記した。『文芸春秋』記事では青江美奈が1945年生として掲載されているが、Wikipediaによれば芸能活動のプロフィールでは1945年7月7日生まれとされているけれども実際は1941年5月7日ということなので、1945年生まれから除外した。 尾崎紀世彦:歌手 1943年1月1日‐2012年5月30日 東京都渋谷区生まれ 松原智恵子:女優 1945年1月6日 岐阜県揖斐郡池田町生まれ はしだのりひこ:歌手 1945年1月7日‐2017年12月2日 京都府京都市生まれ 佐良直美:歌手 1945年1月10日 東京都出身 落合恵子:作家 1945年1月15日 栃木県宇都宮市出身 佐高 信:評論家 1945年1月19日 山形県酒田市出身 おすぎ:映画評論家 1945年1月18日 横浜市保土ケ谷区生まれ ピーコ:服飾評論家 1945年1月18日 横浜市保土ケ谷区生まれ 扇ひろ子:歌手 1945年2月14日 広島県広島市生まれ 谷垣禎一:政治家 1945年3月7日 京都府福知山市生まれ 吉永小百合:女優・歌手 1945年3月13日 東京都渋谷区出身 栗原小巻:女優 1945年3月14日 東京都世田谷区生まれ 宮本信子:女優 1945年3月27日 北海道小樽市生まれ 鰐淵晴子:女優 1945年4月22日 東京都生まれ 阿木燿子:作詞家 1945年5月1日 長野県長野市生まれ 三沢あけみ:女優 1945年6月2日 長野県伊那市生まれ 金井克子:歌手・ダンサー 1945年6月17日 中華民国天津生まれ 白川勝彦:政治家 1945年6月22日‐2019年11月18日 新潟県十日町市生まれ 中村征夫:水中写真家 1945年7月1日 秋田県南秋田郡昭和町生まれ 松島トモ子:女優・歌手 1945年7月10日 旧・満州国奉天市(現・瀋陽市)生まれ 菅原やすのり:歌手 1945年7月19日‐2015年8月4日 旧・満州国奉天市(現・瀋陽市)生まれ 黒鉄ヒロシ:漫画家 1945年8月3日 高知県高岡郡佐川町出身 タモリ: タレント 1945年8月22日 福岡県福岡市に生まれ 田中直毅:政治評論家 1945年9月1日 愛知県生まれ 永井 豪:俳優 1945年9月6日 石川県輪島市に生まれ 池澤夏樹:小説家 1945年7月7日 北海道帯広市生まれ 大谷光真:浄土真宗本願寺派24世門主 1945年8月12日 京都府京都市に生まれ 平沢勝栄:治家 1945年9月4日 岐阜県白川村生まれ 藤田弓子:女優 1945年9月12日 東京都目黒区生まれ 室伏重信:ハンマー投げ 1945年10月2日 中華民国河北省生まれ 水前寺清子:演歌歌手 1945年10月9日 熊本県熊本市生まれ 櫻井よしこ:ジャーナリスト 1945 10月26日 ベトナム民主共和国ハノイ生まれ 樋口久子:プロゴルファー 1945 10月13日 埼玉県川越市出身 渚ゆう子:歌手 1945 11月8日 大阪市浪速区出身 佐治信忠:実業家 1945 11月25日 兵庫県生まれ 中曽根弘文:政治家 1945 11月28日 群馬県高崎市に生まれ 波乃久里子:女優 1945 12月1日 神奈川県鎌倉市生まれ 小川和久:国際政治・軍事アナリスト 1945年12月16日 熊本県葦北郡(現八代市)出身 |
以下、『文芸春秋』2005年2月号掲載 「われら敗戦の年生まれ」からの抜粋 〉谷垣 私は3月7日東京生まれです。父は農林省の役人をしていて、代々木八幡の借家に住んでいました。生まれた三日後の3月10日が下町を中心にした東京大空襲、そして5月25日が山の手への空襲でした。母の話では、父はその日は出張で家におらず、見ているうちにどんどん火が迫ってきて、母は腹掛けの“どんぶり”の中に2ヵ月の私を入れて、今のNHKセンターの辺りにあった代々木の練兵場まで逃げて、タコ壺(一人用の塹壕)の中に隠れていた。そのうちに家が全部焼けてしまったそうです。 〉櫻井 私はベトナムのハノイで生まれました。父が貿易の仕事をしていた関係でベトナムにいたんです。日本が降伏した後の10月26日生まれです。降伏後、引揚のために、ハノイから百キロ離れた港町ハイフォンに集合するように指示されていたのですが、母が身重なため両親はハノイに残りました。母は野戦病院で産婆さんの役をしてくれた軍医さんに介助されながら、私を生んでくれました。 〉櫻井 母のお腹にいるとき危うく死ぬかもしれないことがあったんです。戦争末期、両親はハノイの3階建のビルに住んでいたのですが、戦況が悪くなってきたとき、連合軍が踏み込んできたら、民間人といえども虜囚の辱めを受けてはいけないから、中庭の池めがけて飛び降りて死のうと言い合っていたそうです。で、ある時銃声が聞こえて、兵士の叫び声がした。両親は3階に駆け上がりもしフランス軍が扉を蹴破って来たら自殺しようと身構えていたそうです。すると父が「待て、日本語だ」と。もしあの時外国の軍隊が来ていたら、両親は飛び降りて、私は生まれなかったかもしれない。 |
松島トモ子の本名「奉子」は、生誕地の旧・満州国奉天に由来する。 〉1950年11月19日、舞踏家の石井漠らと共に巣鴨プリズン所長・鈴木英三郎に、刑務所近くにある米軍専用の劇場に招かれた。司会者は、三井物産のタイのハジャイ出張所所長であった松島の父・高橋健が満州奉天で召集をうけたのちシベリアに抑留され生死も不明で、松島は母と二人でかろうじて帰国したと紹介し、会場は静まり返った(その後父はナホトカ郊外の収容所で1945年10月29日に死亡していたことが判明)。続いて法被姿に鉢巻をしめ大きな目をした5歳の松島が現れ、洋舞「かわいい魚屋さん」を踊った。並んだ約1千名の戦犯らは涙を流して深く感動し、何度もアンコールし、彼女もそれに応えた。 松島トモ子は、光文社発行の少女向け月刊誌『少女』(1949年2月~1963年3月)のうち、1951年から1959年までの表紙を飾っている。私は、この雑誌の表紙を飾る松島トモ子の顔を小学生のときに見たり、またラジオから流れる松島トモ子の歌声を聴いたりした記憶があり、当時の代表的な人気少女タレントで、家庭でも小学校でも話題になっていたが、生い立ちについて知るようになったのは大人になってからのことである。 |
金沢ひまわり平和研究室 | 1945年生(1) | 筆者 平口哲夫 |