掲示板「無煙喫茶」過去ログNo.60-No.145

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No.60 縄文人と弥生人

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/01/22(Wed) 22:07

福岡出張中に片山一道著『縄文人と「弥生人」古人骨の事件簿』(昭和堂、2000)を読みました。この本のタイトルで弥生人が「」付きになっているのは、「縄文人とは縄文時代の人びとというだけでなく、ある一定の身体的特徴をもったグループの人びとを指す」けれども、弥生人は、「弥生時代に生きた人びと、つまり弥生時代人の略語」にすぎず、「特別な身体的特徴を共有する人たちではない」のだから、固定観念を抱かないように、という著者の意図によるものです。

しかしながら、縄文時代(あるいは弥生時代)に日本列島に住んでいた人びとのことを縄文時代人(あるいは弥生時代人)と定義し、略して縄文人(あるいは弥生人)と呼んでいるという点では、「縄文人」も「弥生人」も定義の仕方は同じであり、結果的に縄文人の身体的特徴には地域性が少なく(変異幅が小さく)、弥生人の身体的特徴には地域性がいろいろある(変異幅が大きい)という現象が見られるということなのだと思います。つまり、身体的特徴によって縄文人や弥生人を定義しているのではないのです。たとえば、現代日本人に縄文人そっくりの身体的特徴をもった人がいたとしても、その人はあくまでも現代日本人であって、縄文人ではないのです。

縄文人そっくりの現代日本人がいたとしても、すぐさまこの人を「縄文系日本人」に分類するような固定観念をもってはいけないというのが著者の主張したいところなのでしょう。しかし、「そっくりさん」がある地域に集団的に発見されたら、「縄文系日本人」という仮説を立てて、縄文人との関係を遺伝学的に検討してみたくなってきますね。「縄文系弥生人」も「渡来系弥生人」もいまだそのような仮説段階にあるとみてよいのかもしれません。
No.61 Re: 縄文人と弥生人

投稿者名: y
投稿日時: 2003/01/24(Fri) 20:56

初めての訪問です。
>「縄文人とは縄文時代の人びとというだけでなく、ある一定の身体的特徴をもったグループの人びとを指す」けれども、弥生人は、「弥生時代に生きた人びと、つまり弥生時代人の略語」にすぎず、「特別な身体的特徴を共有する人たちではない」>
大変、難解で、何か矛盾がある表現ですね。
>弥生人は”身体的特徴を共有する人たちでない”>というのは、多種多様な身体的特徴を持つ人々が共存していたという意味でしょうか?

No.62 Re: Re: 縄文人と弥生人

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/01/25(Sat) 00:06

ご投稿いただき、ありがとうございます。

>>弥生人は”身体的特徴を共有する人たちでない”>というのは、多種多様な身体的特徴を持つ人々が共存していたという意味でしょうか?

多種多様というほどではありませんが、これまで発見された弥生人は、@高身長で高顔の弥生人(「渡来系弥生人」と称されることがある)、A低身長で低・広顔の弥生人(「縄文系弥生人」と称されることがある)、B低身長で低・広顔の縄文人的特徴が著しい弥生人、以上三つに大別されてきました。

従来、@は北九州地区(山口県を含む)、Aは西北九州地区、Bは南九州地区に分布することが知られていたのですが、その他の地域では保存状態のよい弥生人骨の出土例が少なく、しかもたいていは弥生時代中期から後期にかけての人骨でしたから、縄文人から弥生人への移り変わりについては、仮説が先行して、実証が不十分だったわけです。ところが、九州だけでなく近畿地方でも弥生前期に属する人骨がぽつぽつと発見されはじめ、しかもそれが縄文人そっくりだったものですから、いろいろ議論になっているわけです。

No.63 ご教示感謝します

投稿者名: y
投稿日時: 2003/01/26(Sun) 18:18

早速のご教示、有難うございました。実態をよく知らなかったので、縄文人、弥生人の定義と用法に何か食い違いがあるような感じで、わかりにくかったのですが、先生の一連のご説明でどうやら判りました。
>その他の地域では保存状態のよい弥生人骨の出土例が少な>いのは、何か理由があるのでしょうか?

No.64 骨が残りやすい条件

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/01/26(Sun) 19:18

>>その他の地域では保存状態のよい弥生人骨の出土例が少な>いのは、何か理由があるのでしょうか?

弥生人骨にかぎらず、どの時代のどの種の骨でも、遺跡から骨が発見されるか、されないかは遺跡の環境に左右されることが多いのです。一般に日本の土壌は酸性で、腐敗菌が繁殖しやすい温暖多湿の気候下にありますので、骨は時間がたつと腐って土になってしまいます。したがって、日本では、特別な条件に恵まれていないかぎり、骨が良好な状態で発見されることはまれなわけです。特別な条件とは以下のような場合です。

貝塚から骨が多く発見されるのは、貝殻の石灰分が骨の成分と入れかわって形が保たれたからです。石灰岩地帯で化石が発見されやすいのも同じ理由によります。低湿地遺跡で骨や木など有機質の遺物が発見されやすいのは、水没して空気に触れなくなった結果、腐敗菌の繁殖が抑えられ、朽ち果てる前に、遺物の成分が土壌中の無機質成分と置換して形状が保たれることになったからです。無機質の成分が多い砂地の遺跡で骨が残りやすいのも同様の理由によります。砂漠のように乾燥した気候下では、ミイラのようになって骨が残りやすいということもあります。シベリアの永久凍土やアルプス氷河のような環境では、遺体がそのまま氷詰のようになって発見されることさえあります。

北九州地域で弥生人骨の出土例が多いのは、たとえば山口県土井ヶ浜遺跡のように、砂丘地の貝塚という、骨の保存に都合のよい条件が二つ重なっていることが幸いしています。最近、その他の地域でも人骨の出土例が増えてきたのは、湿地遺跡の発掘がよく行なわれるようになったからです。
No.65 捏造問題と失敗学

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/02/01(Sat) 10:34

科学技術系の分野の人が中心になって失敗学の学会が設立されるというニュースを聞いたことがありますが、例の旧石器遺跡捏造事件の一大検証作業は失敗学の実践のような面があるように思います。

アマチュアにプロの研究者が長年騙されてきたのはまことにバツのわるい話ですけど、捏造という絶対してはいけない行為をしてしまった人にたいする怒りよりも、騙されてしまった自分の失敗を反省する気持のほうが強かった研究者は何人もいます。捏造者にまんまとしてやられてしまった研究者、その研究者のいうことをうっかり信用してしまった研究者、そのいずれにとっても捏造の発覚は失敗学の始まりでもあったのです。

No.66 Re: 捏造問題と失敗学

投稿者名: y
投稿日時: 2003/02/03(Mon) 19:00

先生ご指摘のように<旧石器遺跡捏造事件の一大検証作業は失敗学の実践のような面がある>とは思いますが、「F氏に騙された、F氏が悪い、我々は被害者だ」とかの被害主張型、「単独ではなく、共犯がいた筈」とかの犯人追及型、「関係者は印税を返せ」とかの損害賠償型、「関係者一同不明を恥じる」といった総懺悔型では、今後にあまり役立たないのではないかと思います。
 何をどう騙されたか、誤認したか、どんな教訓が得られたか、具体的に検証結果を学会でまとめる必要があると思います。馬場壇A遺跡の理化学分析はどこに不備があったのか、脂肪酸については難波教授らの指摘がありましたが、それをそのまま認めるのか、熱磁気についてはどう判断したのか等、それらについて学会としてどのような対策をとるかを明確にする必要があると思います。
 具体的な事実に対して、どのような具体的対策をとるか(とったか)を総合的に提示することが、今後の役に立つと思います。
No.67 Re: Re: 捏造問題と失敗学

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/02/03(Mon) 19:26

>「F氏に騙された、F氏が悪い、我々は被害者だ」とかの被害主張型、「単独ではなく、共犯がいた筈」とかの犯人追及型、「関係者は印税を返せ」とかの損害賠償型、「関係者一同不明を恥じる」といった総懺悔型

そのいずれも失敗学には相当しません。失敗学は、インターネットでも紹介されていますように、責任追及、処罰、賠償請求、懺悔をすることに眼目があるのではないのです。日本考古学協会で進められている検証作業は、おおむね、失敗学の実践をしていると思います。個々には、いろいろな人がいていろいろなことを言っているでしょうが。

なお、この掲示板では、「先生」ではなく「ソフィーさん」と呼んでくださいませ。

No.68 中学1年生からの質問に答えて

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/02/11(Tue) 22:22

「人類はいつごろ、日本列島のどのあたりに現れたのか」という質問は、ちょっと変な質問ですね。「人類はいつごろから日本列島に住むようになったのか、その最古の証拠はどこで発見されているか」という質問ならよいのですが。

たとえば、日本最古の旧石器または人類化石が東京で発見され、それが20万年前のものだということがわかったとしても、「人類は日本では東京に最初に現れた」とはいえませんね。日本列島にすんだ人類の祖先は、大陸から渡ってきたにちがいありませんから、いきなり東京に出現するはずがないのです。まず、大陸にいちばん近い北海道か九州(九州のほうが可能性が高い)のどこかで住みはじめたはずです。まだその確実な証拠は発見されていませんが、きっと将来発見されることでしょう。

それでは、現在までに日本で発見された人類遺物は何万年くらい前までさかのぼるのでしょう。「前期・中期旧石器時代遺跡捏造事件」の話を聞いたことがありませんか。最古のものは60万年前までさかのぼるなどといわれていた前期・中期遺跡のほとんどがにせものだということがわかって、研究は30年くらい前まで振り出しにもどったとも言われています。

後期旧石器時代については確かな証拠がたくさん発見されていて、そのうち最も古いのが約3万5000年前ですから、少なくともこの年代まではさかのぼることができます。

それ以前についてはまだ研究が不十分ですが、中期旧石器時代(約8万〜3万5000年前)の可能性のある遺跡が東北地方から九州地方にかけての地域でいくつか発見例があります。とくに5万〜3万5000年前の可能性の高い遺跡が注目されています。たとえば、岩手県柏山館(かしわやま)遺跡では、約4万年前と推定される地層から石器が出土しています。また、長野県野尻湖底遺跡では、約4万5000年前の地層から、骨器や石器が出土しています。

くわしく知りたい場合は、岡村道雄著『縄文の生活史』(改訂版)日本の歴史01、講談社、2002を読むとよいでしょう。この本は、捏造事件が発覚してから大幅に書き換えられたものです。中学1年生にはちょっとむずかしい内容かもしれませんが。

No.69 中学1年生からの質問に答えて(2)

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/02/12(Wed) 22:30

> 「日本列島に初めて人類がやってきた」のは氷河期なのですか?
> 日本列島が大陸とくっついていた時代に、人類は動物を追ってやっ
> てきたのでしょうか。

日本列島に初めて人類がやってきたのがいつかはまだわかっていませんが、氷河期には氷河が発達してそのぶんだけ海水量が減って、海面が低下しますので、日本列島が大陸と陸続きになったり、海峡のはばが狭くなったり、海面が凍ったりして、動物や人が渡りやすかったと考えられます。

人類は猿人、原人、旧人、新人と進化しましたが、現代人も後期旧石器時代人もこの新人に属します。後期旧石器時代の年代は約3万5000〜1万3000年前ですから、新人が日本列島に初めてやってきたのはいつかと問われれば、それは3万5000年ぐらい前で、そのころは氷河期だったといえましょう。

氷河期だった後期旧石器時代にも、比較的温暖な時期と寒冷な時期が何度かあり、寒冷な気候がピークに達したのが約2万3000年前(ざっと2万年前という場合もあります)でした。しかし、注意しなければいけないのは、この最寒冷期にも朝鮮半島と九州はつながることはなかった(朝鮮海峡は陸化しなかった)し、北海道と本州もつながらなかった(津軽海峡も陸化しなかた)ということです。にもかかわらず、朝鮮半島と九州、北海道と本州のあいだで、人びとは行き来していたということが石器の研究で明らかにされています。つまり、当時の人たちはすでに海を渡る手段をもっていたと考えられます。
No.70 学校の先生の縄文人観

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/02/15(Sat) 12:26

学生の感想文に、「今から8年前、私は小学校で、縄文人は獲物を追いかけて狩をしているから定住生活ができなかった、と教わった」と書いてありました。

1960年代後半に学生だった私の世代の考古学研究者にとって、縄文人が定住生活をしていたということは、三内丸山遺跡で初めて立証されたのではなく、それよりずっと前から定説となっていたことは周知のはずです。ところが、一般世間はもちろんのこと、小学校などで「定住生活は弥生時代から始まりました」と生徒に教える先生が最近までいたということが上記感想文でわかります。そういう点では、確かに三内丸山は世間の縄文人観を変えたといえましょう。しかしながら、そのことを強調するあまり学史をゆがめることのないよう、世間に影響力のある一般書を執筆したり、公開シンポジュームなどで講演する方々はじゅうぶんご注意願います。
No.71 日本国憲法前文

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/02/20(Thu) 22:35

日本国憲法前文 

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。  

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。  

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。  

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
No.72 THE CONSTITUTION OF JAPAN

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/02/20(Thu) 22:40

THE CONSTITUTION OF JAPAN

We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution. Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded. We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith.

We, the Japanese people, desire peace for all time and deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world. We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth. We recognize that all peoples of the world have the right to live in the peace, free from fear and want.

We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.

We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.
No.73 Re: 日本国憲法前文

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/02/21(Fri) 18:22

日本国憲法は、1946年(昭和21)11月3日に公布、翌年5月3日から施行されました。

私たち日本人は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定」したということを忘れてはいけません。この決意は並々ならぬものであり、その決意にしたがった行動もまた並々ならぬ努力を必要とします。
No.74 日本国憲法前文の英語版と日本語版

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/02/23(Sun) 22:02

当時、日本はアメリカ合衆国を中心とする連合国軍の占領下にあり、その最高司令官総司令部(GHQ)の指令・勧告にもとづいて政府は政治を行なっていました。日本民主化を実現するため、総司令部は憲法改正案を作成するように幣原内閣に指示を出しましたが、作成された案は民主化という点で不徹底なものでしたから、総司令部は1946年2月にみずから作成した改正案を政府に示したのです。内閣はこれに手を加えて政府原案とし、帝国議会の審議をへて正式に決定。こういう経緯をへていますから、もともと英語で書かれた草稿を日本語に翻訳して原案が出来上がっています。したがって、日本語としてどうもしっくりしないとか、英語原文とのニュアンスの違いといったことが生じます。中央公論が平成13年12月号で「新訳・試訳日本国憲法」を特集したのは、翻訳の仕方によって憲法前文からうける印象が違うことに注目し、さまざまな翻訳を紹介することによって、憲法にたいする理解を深め、現在的意義を浮かび上がらせようとしたのだと思います。

No.75 池澤夏樹訳「日本国憲法前文」

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/02/25(Tue) 19:55

>中央公論が平成13年12月号で「新訳・試訳日本国憲法」を特集

三つの私訳が掲載されていますが、とりわけ注目をひいたのが池澤夏樹氏によるものです。池澤訳は「新世紀へようこそ」にも紹介されています。

これは、日本国憲法前文を実にわかりやすく意訳したものです。法律的な堅苦しさがまったくなく、しかもその真髄をみごとに言い表しています。憲法という、国の根幹にかかわる重大な事柄をとても身近なものに感じさせてくれ、またそのすばらしさを再認識させてくれます。

池澤訳では、前文の末尾は「私たち日本人は、ここに述べたような高い理想と目的を実現すべく自分たちの力のかぎり尽くすことを、国の名誉に賭けて誓うものである」と結ばれています。
No.76 平和主義

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/02/26(Wed) 21:00

主権在民・平和主義・人権尊重を三原則とする日本国憲法は、アメリカ主導のGHQの強い後押しによって成立し、連合国を構成するどの国の憲法よりも理想主義的なものでした。その前文は、三原則のなかでもとくに平和主義を強く志向するメッセージから成り立っています。そのメッセージは国内だけでなく世界に向けて発せられたものです。その理想は、日本国のみで達成できるような性質のものではありませんから、日本国憲法の成立に寄与した連合国、とくに主導的役割を果たしたアメリカには、理想に近づくための大きな責任があるはずです。

GHQの上位機関である極東委員会は、ワシントンに設置され、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連(現在のロシア)、中国、カナダ、オーストラリア、インド、オランダ、フィリピン、ニュージーランドで構成されていました。これらの国々は、日本国憲法成立を後押しする立場にあったのですから、この憲法を他人事のように受けとめるのではなく、その理想の実現に協力するべきなのです。もちろん、この憲法の主人公である日本が、率先して理想の実現に邁進しなければいけないのは言うまでもないことです。

ところが現実にはどうでしょうか。戦後、アメリカとソ連に二極化した「冷戦」構造のなかで朝鮮戦争が起き、日本では自衛隊という名の再軍備が進められ、ベトナム戦争も起きたのです。幸い日本は、これまでのところ戦争の当事国になることは免れてきました。しかしながら、日本国憲法第九条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」は、かなり空文化してしまいました。
No.77 理想に近づく道

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/02/28(Fri) 15:02

平和主義という点でかなり空文化してしまったとはいえ、日本国憲法の存在意義が薄れてしまったというわけではありません。むしろますます重要になってきたといえると思います。なぜなら、現実の世界が理想から遠のくような事態が起きるかもしれないからこそ、この憲法は高い理想を掲げているのだ、と理解することができるからです。

前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という箇所について、現実の世界は信頼できない状態なのにこのようなことを謳う憲法は極楽トンボもいいとこだ、と批判する人がいます。はたしてそうでしょうか。

池澤氏はこの箇所を「私たち日本人はいつまでも平和を求める。世界の人々が仲よく暮らすためには高い理想は欠かせないから、私たちは常にこの理想を頭においてことを決める。この国の存続、この国の安全は、私たち同様に平和を大事にする世界の人々の正義感と信念に委ねよう」と意訳しています。信頼できない世界に下駄を預けて自分たちはなんにもしない、ということではないのです。
No.78 信頼関係のネットワーク

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/01(Sat) 20:17

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」、あるいは「この国の存続、この国の安全は、私たち同様に平和を大事にする世界の人々の正義感と信念に委ねよう」という決意表明は、他の国々もそうあってほしいという切なる呼びかけでもあります。このような決意表明に賛同した国々同士が手を結び、多国間の信頼関係を網の目のように張りめぐらせていけば、戦争は起きにくくなるはずです。

実際、民主主義が定着した先進国のあいだでは、信頼関係がかなり醸成され、軍事的な緊張関係は和らいでいます。現在、戦争は、民主化が遅れた途上国(集団)同士やそのような途上国(集団)と先進国との間で起きている、あるいは起きようとしているのです。これらの戦争は、程度の差はあれ、植民地時代や冷戦時代の負の遺産が原因のひとつとなっていますから、責任は途上国側だけでなく、先進国側にもあるわけです。歴史的に因果関係を省みるならば、一方的に相手の非のみをあげつらうようなことはできないはずです。
No.79 国連の目的

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/02(Sun) 22:09

国連憲章第1章第1条:

国際連合の目的は、次のとおりである。

国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。

人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。

経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。

これらの共通の目的の達成に当たって諸国の行動を調和するための中心となること。
No.80 PURPOSES OF THE UNITED NATIONS

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/03(Mon) 11:18

CHAPTER I
Article 1
The Purposes of the United Nations are:

To maintain international peace and security, and to that end: to take effective collective measures for the prevention and removal of threats to the peace, and for the suppression of acts of aggression or other breaches of the peace, and to bring about by peaceful means, and in conformity with the principles of justice and international law, adjustment or settlement of international disputes or situations which might lead to a breach of the peace;

To develop friendly relations among nations based on respect for the principle of equal rights and self-determination of peoples, and to take other appropriate measures to strengthen universal peace;

To achieve international co-operation in solving international problems of an economic, social, cultural, or humanitarian character, and in promoting and encouraging respect for human rights and for fundamental freedoms for all without distinction as to race, sex, language, or religion; and

To be a centre for harmonizing the actions of nations in the attainment of these common ends.
No.81 国連の活動は平和的手段に限定されている

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/04(Tue) 19:46

国連憲章に謳われた国連の目的には、「国際の平和及び安全を維持する」ための問題解決の方法は「平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現する」と明記されています。

そのための行動の原則を記した第1章第2条の第3項と第4項には、以下のように記されています。

3.すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

このように国連憲章に明記されているわけですから、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為」をする国が存在したとしても、これを武力で鎮圧するようなことはできません。第7章第42条に「安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。」と定められているように、どうしても兵力を用いざるをえない場合でも、「示威、封鎖」程度の行動に限られているのです。

ただし、このように抑制された軍事行動をとっていても武力攻撃をうける可能性がありますから、自衛的な対抗措置がとれるように第51条「この憲章のいかなる規定も、加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く機能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」と定められているわけです。

注意しなければいけないのは、武力攻撃された場合に対抗措置をとる「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」にしても、どのような対抗措置をとってもよいとしているわけではないということです。たとえ「ならずもの国家」が大量破壊兵器を保有しているからといって、それだけでその国を武力攻撃するというのは、国連の行動原則に大きく違反します。
No.82 「国連軍」

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/05(Wed) 21:39

最近の高校教科書が手元にないので、とりあえず10年以上前のもので間に合わせますが、山川出版社の『詳説 世界史 三訂版』(1991)には、朝鮮戦争について以下のように述べられています。

「1948年、南北に分割された朝鮮半島の南部では、アメリカから帰国した李承晩を大統領とする大韓民国(韓国)が成立し、北部では金日成を首相(1972年以後主席)とする朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が生まれた。それによって米ソ両国の軍隊は撤退したが、南北両国の対立は激しく、50年6月におこった武力衝突を機として、北朝鮮軍は大挙、韓国内に攻めこんだ。国際連合はただちに安全保障理事会をひらいて協議した結果、北朝鮮の行動を侵略と断定し、アメリカ軍を主とする国連軍を出動させた。」(脚注に「当時ソ連邦は、安全保障理事会をボイコットして出席せず、拒否権を行使しなかった。」とある)。

上記教科書に限らず国連軍という言葉はよく使われていますが、国連憲章には国連軍についての記述はなにもありませんし、侵略軍と正面きって戦う正規軍を組織するようなことは国連活動の枠外ですから、国連軍といっても括弧つきで扱うべき通称にすぎないのではないでしょうか。当時の安保理決議が実際どのようなものであったか、調べてみたくなりました。

警察が国内の治安を守るために治安を乱す無法者を武力で取り締まるように、「平和の破壊及び侵略行為」をする国や集団を武力で鎮圧する国連警察軍のようなものは、世界連邦でもつくらないかぎり、実現することはとうていできません。
No.83 戦争は犯罪である

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/06(Thu) 13:23

現在国連で設立準備が進められている国際刑事裁判所(ICC)は国際社会に影響を及ぼす大量虐殺、戦争犯罪や人道に対する罪を犯した個人を裁く常設裁判所となる予定です。日本もICC設立条約(ローマ規程)を早く批准するべきなのに、なぜか政府の動きは鈍い。

私はICCの設立に賛成ですが、いまや戦争犯罪にかぎらず、戦争自体を犯罪とみなすべきではないでしょうか。もちろん9・11テロも犯罪です。「戦争は犯罪である」という認識に立てば、日本国憲法第9条で「戦争の放棄」が掲げられているのも、国連憲章でその活動が平和的手段に限定されているのも、当然のことといえます。「平和の破壊及び侵略行為」に対して、現状では被害国が緊急に武力で応じることは正当防衛としてやむをえないとしても、将来的には、安全保障能力を十分備えた「世界連邦」を設立して、これに解決を委ねることが望ましいと思います。
No.84 戦争は「社会的癌」でもある

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/09(Sun) 21:23

戦争は最大の人災であり、「社会的癌」であるといってもよい。放置しておけばたいへんなことになるが、かといって下手に「手術」で除去したり、「制癌剤」を用いれば、副作用が大きすぎてかえって命を縮めかねない。「癌の芽」が発生しないように、また本格的な「癌」にならないように予防措置を講ずることのほうが世界平和の維持には効果的である。すでに「癌」になってしまった場合でも、「外科療法」や「化学療法」よりも「免疫療法」に重点をおいた「治療」を行なったほうがよい。
No.85 非核三原則

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/12(Wed) 10:41

日本は、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を国是としています。1967年12月、佐藤栄作首相が国会答弁で表明して以来、非核三原則は政府の方針として繰り返し述べられてきました。外務省のホームページにも、「日本が核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずとの非核三原則を堅持することについては、これまで歴代の内閣により累次にわたり明確に表明されています。政府としては、今後ともこれを堅持していく立場に変わりはない」と明記されています。

非核三原則を日本だけでなく、他の国々に取り入れてもらおうと働きかけたときに、「日本はアメリカの核の傘のなかに入っているのだから、核を持っているのと同じことだ。対抗措置として当方も核を持つ必要がある」と反駁されることがあります。「アメリカの核に守ってもらう」という発想、あるいは「守ってもらっている」とみなされてしまう状況のままでは、非核三原則を世界に訴えても説得力に欠けます。

核拡散防止だけではなく、現在核を保有している国々、とくに最大保有国のアメリカに核軍縮をつよく求めていく必要があります。大量破壊兵器の最大保有国であるアメリカが、みずからの咎に頬かむりしたまま、他国に大量破壊兵器の放棄を強要し、言うことを聞かないなら武力攻撃するというのでは、まったく道理に反します。「当方も核兵器の廃絶にむけて大幅な核軍縮を行なうから、あなたがたも大量破壊兵器をもつことはよしなさい」というのなら話はわかるのですが。
No.86 非核四原則

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/12(Wed) 23:15

アメリカの核兵器に依存した安全保障政策ではだめだということは、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則では不十分だということでもあります。田英夫氏が提唱したように「核兵器を使わせず」を加えて非核四原則とし、核兵器禁止条約の締結運動を展開していくのが日本のとるべき道だと思います。
No.87 イラク戦反対は反道徳的か

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/13(Thu) 12:24

毎日新聞(大阪本社)3月13日朝刊「世界の目」にマイケル・ケリー(ワシントン・ポスト・コラムニスト)の「イラク戦反対こそ反道徳的」と題するコラムが掲載されています。彼はイラク戦反対者は三つの点で反道徳的だと主張しているのですが、その第一点を指摘した段落で「2400万のイラク国民は、数十年間にわたり、地球上で最も残忍で血塗られた独裁者のもとで暮らしてきた。」と書いています。歴史を学んだことがあるならば、サダム・フセインよりももっと「残忍で血塗られた独裁者」がいたという事実を知っているはずです。

池澤夏樹(文)・本橋成一(写真)『イラクの小さな橋を渡って』の表紙の帯に「ここにイラクの人々の暮らしがある。ぼくたちと同じ普通の人間の暮らしが。」(坂本龍一)と記されています。この本を読めば、マイケル・ケリーが「この恐怖から人々を、比較的簡単かつ非常にすばやく救わねばならない」とし、その手段として米軍侵攻を容認するのが、いかに勝手な思い込みと思い上がりによるものかが分るでしょう。

イラク戦反対が反道徳的だという主張の第二点として、マイケル・ケリーは、9・11で得た最大の教訓は「国家が支援するテロを根絶すべきだと考えること」なのに、「フセイン政権が示すような国家支援テロを容認することは、次の9・11事件を引き起こすことにつながる」というのです。これもずいぶん短絡的な主張ですね。フセイン政権が9・11テロを支援したという証拠がどこにあるのでしょうか。また、あのようなテロがなぜ起きたのかという根本的な原因を不問にして「国家が支援するテロを根絶すべきだと考えること」が最大の教訓だとするのは、思考の視野が狭すぎます。

第三点として「もしイラクの法破りが許されれば、国連は二度と立ち直れなくなる」というのですが、イラクの国連決議違反を黙認するか、イラク戦を容認するかの二者択一しかないと選択肢を限定してしまうことがそもそも問題です。イラクの国連決議違反を許さず、かつ武力攻撃をすることも避ける第三の道がまだ残されていると思います。
No.88 イラクは9・11テロ支援国家か

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/14(Fri) 13:43

>フセイン政権が9・11テロを支援したという証拠がどこにあるのでしょうか。

マイケル・ケリーの主張は、たぶんローリー・ミルロイ著『サダム・フセインとアメリカの戦争』で書かれていることの受け売りでしょう。下記サイトにこの本のことが紹介されています。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062114453/250-9019558-0312240

この著書も先のコラムも、イラク戦を正当化するための戦争プロパガンダのように思えます。
No.89 ★朝治武「南王子水平社の闘い」キムジュンソプ「韓国衡平運動と日韓連帯」(事業案内

投稿者名: 実行委員会・吉岡
投稿日時: 2003/03/16(Sun) 19:24

南王子水平社創立80周年記念の集い「講演とシンポジウム」のお知らせ。

■日時 2003年 4月 3日(木) 午後6時30分開場

《第1部》記念講演会 午後7時〜9時30分
 ●「南王子水平社の闘い」 朝治武氏(大阪人権博物館学芸課長)
 ●「韓国衡平運動と日韓連帯」 金仲燮 キムジュンソプ 氏(韓国国立慶尚大学校教授・衡平運動記念事業会)

《第2部》青年シンポジウム 午後10時〜深夜12時すぎ
 ●テーマ「人類最高の完成にむかって 〜水平社を越えるぞ! 」
 和泉の青年たちが、れからの「水平運動」や自己実現、部落からの人権文化の発信などについて語る!(80年前の南王子水平社創立大会の夜12時すぎまでの演説会を越えられるか!?)

▼会場  浄土真宗西教寺 (大阪府和泉市)
      《第1部》本堂 《第2部》門徒会館
▼規模  《第1部》150人  《第2部》50人
▼参加費  《第1部》《第2部》それぞれ500円ずつ
▼申込み  3月3日より受付


南王子水平社創立80周年記念事業実行委員会
[構成]  部落解放同盟大阪府連合会和泉支部 NPO法人ダッシュ
[申込み・問い合せ]
 〒594-0023 大阪府和泉市伯太町6-1-20 ゆう・ゆうプラザ3F
 TEL&FAX 0725−46−3809 (NPO法人ダッシュ)

「水平運動の精神を21世紀へ −南王子水平社創立80周年から今後の人権運動を考える。− 」

 昨年2002年は、被差別部落の人びと自身の立ち上がりによって、部落差別に反対していこうと立ち上がった全国水平社の創立から80年という年でした。奈良の一地方の青年グループからはじまった水平運動は、全国の被差別部落の青年たちを刺激し、府県や町村単位で地方水平社が創立され、和泉市(当時の南王子村)でも南王子水平社が1923年4月3日に創立されます。同じ4月には朝鮮の被差別民衆「白丁(ペクチョン)」の運動団体である衡平社(ヒョンピョンサ)も創立されました。前近代の身分制度を理由にした差別に対し、自らが立ち上がって抗議の声をあげ、差別のない社会を作り上げていこうとした水平運動、衡平運動。運動自体は太平洋戦争という状況のなかで消滅していきますが、その精神は受け継がれ、日本では部落解放運動として再興され、同和地区の環境改善や他の人権運動への波及などの成果をあげました。
 ダッシュではこの南王子水平社創立80周年に、水平運動や衡平運動の歴史をふりかえり、今後の人権運動を考えていこうという、さまざまな事業を計画しています。まずは創立記念日である4月3日に、創立大会がひらかれた西教寺にて記念講演会、シンポジウムをおこないます。第一部として、最近の水平運動研究をリードされている朝治武さん(大阪人権博物館)による講演、同じく衡平運動研究の第一人者であるキム・ジュンソプさん(韓国慶尚大学校)による講演がおこなわれます。また、江戸時代建立の西教寺本堂や西本願寺の本尊と同じ木で彫られた本尊を浅井住職より紹介していただきます。
 第2部は解放同盟和泉支部青年部プロデュースによる公開討論会がおこなわれます。当時の水平運動は20代という青年層がになっていました。同世代の青年が、いわば差別されるのがあたりまえという困難な時代にあえて立ちあがり、その結果、部落差別問題が少しずつ解消の方向に向かっていったという歴史をふりかえり、あらためて21世紀という現代を生きる青年が何を考え、何をしているのか、また何をしていきたいのかを「人類最高の完成に向かって−水平社を越えるぞ!−」と題して公開討論をおこないます。発言者や参加者の熱気によっては、「朝まで生」トークになるかもしれません。南王子水平社創立大会でおこなわれた深夜12時過ぎまでの演説会に負けるな!と準備がされています。
 記念事業、関連事業は6月にかけて実施予定です。和泉市立人権文化センター受託事業において講座「『國の光』を読む(仮題)」(4/29)、水平社博物館見学ツアー(5/11)を計画しています。詳細は決定しだい発表していきます。
(「ダッシュレター」NO.28 2003年3月号 より)
No.90 征韓論と西郷隆盛

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/17(Mon) 20:45

水平運動と直接関係のないことですが、某サイトの下位に設定されている「独り言」に「西郷が唱えたのは、朝鮮の武力制圧をうたう征韓論でなくて、朝鮮通信使を引き継ぐ遣韓論」ということが書かれています。

手元にある高校教科書『改訂版 新詳説日本史』(山川出版、1992)には、「新政府は発足とともに朝鮮に国交樹立をもとめたが、当時鎖国政策をとっていた朝鮮は、日本の交渉態度を不満として拒絶したので、1873年(明治6)年、西郷隆盛・板垣退助らが征韓論を唱えた。」と述べられています。その脚注には、「参議西郷隆盛を朝鮮に派遣して開国をせまり、朝鮮政府が拒否した場合には武力行使も辞さないという強硬論を唱えた。しかし、岩倉使節に参加して帰国した大久保利通・木戸孝允らが内治の整備がさきであるとして反対したので、西郷らは下野した。」と付記されています。

西郷が征韓論を唱えたという記述は、もちろん上記教科書が刊行されるよりずっと前に何かで読んでおりますが、それまで私が西郷にたいして抱いていたイメージを変えるものでした。しかしながら、西郷自身が征韓論を唱えたというのではなく、彼の同僚や部下に征韓論を積極的に唱える者たちがいて、その動きに押されながらも西郷は平和的な解決を志し、自身を韓国に派遣して説得に当たらせるように主張したというのが実情のようです。けれども、西郷が説得に失敗して殺されるようなことにでもなれば、征韓論はいっそう高まり戦争に発展することは必定ですから、その時期、国の基礎固めを優先させたい大久保らは遣韓論にも反対せざるを得なかったのでしょう。とはいえ、その後、武力を背景に朝鮮を開国させ、日韓併合に至ってしまうのですから、明治政府は時期をずらして征韓実行の道を歩んでしまったことになります。

私は、今年元旦に南伊豆の温泉で1泊し、帰路、下田を見学したのですが、ペリーの著書の題名が「日本遠征記」となっていて、実際、砲艦外交そのものであったということをつくづく認識させられました。当時の武士たちの多くは屈辱を感じ、開国・維新以後、「いまにみていろ」の思いで富国強兵に走ったのではないでしょうか。また、よせばいいのに、アメリカの砲艦外交のまねをし、もっとたちの悪いことを隣国にしてしまったのだと思います。

アメリカがイラク戦を強行すれば、イラク国民の深層心理に「いまにみていろ」の復讐心をうえつけ、テロの応酬を招くばかりでなく、アメリカのやり方をまねする国が続出しかねません。実際、イスラエルはアメリカのアフガニスタン攻撃をいいことに、パレスチナ自治区への武力攻撃を強めています。
No.91 警察的軍事行動

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/18(Tue) 18:35

民主国家の理想的な警察のあり方に類比させて、世界の平和を維持するための警察的な軍事行動のあり方を考えてみましょう。

最近は日本の治安状態も悪化の傾向にあり、物騒な事件が頻発していますが、それでも世界の国々と比較するならば、まだまだ治安がいいほうで、日本の警察はむやみに発砲したりしません。犯人が人質をとって立てこもっても、人質の安全を第一に考えて警察は慎重に行動します。人質の安全確保についてよほどの確信がもてない限り、強行突入をするようなことはいたしません。粘り強く説得工作を続けます。

「ならずもの国家」であっても、そこに住む人々の多くは「ならずもの」ではありません。「ならずもの」退治のために犠牲になってもかまわない人々ではありません。差し迫った危険があるわけでもないのにこの国を武力攻撃するというのは、犯人が立てこもった建物を人質もろとも爆破するようなものです。飛行機を乗っ取ってニューヨーク世界貿易センターに突入したテロリストと似たりよったりの行動です。現在のイラク情勢は、徹底した粘り強い説得工作をして、万策尽きた結果なのでしょうか。私にはそうは思えません。なにか唐突な印象をうけます。
No.92 「ならずもの国家」

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/19(Wed) 16:49

イラク戦争不支持署名の運動をネット上で展開している青山貞一氏のホームページをご覧ください。重要なイラク情報がいろいろ掲載されています。
http://www.eforum.jp/shihou/iken-moushiire1.html

「人間の盾」としてパレスチナ人の家を守る活動をしていたアメリカ人女性がイスラエルの大型ブルドーザーにひき殺されてしまったことを下記サイトは伝えています。
http://electronicintifada.net/v2/article1248.shtml
http://www.palsolidarity.org/

イラク情勢に世界の目が向いている隙をついてパレスチナにたいして残虐行為をしているイスラエルも「ならずもの国家」ではないでしょうか。しかもこの国は核兵器を保有しています。現に起きているイスラエル・パレスチナ間の紛争を放置してイラク攻撃にふみきるというのは、テロや戦争を連鎖的に引き起こし、拡大させるきっかけになる惧れがたぶんにあります。
No.93 戦争報道

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/22(Sat) 11:34

ついにイラク戦争は始まってしまいました。こうなったら破壊や死傷ができるだけ少なくてすむように、はやく終結することを祈るほかありません。

テレビなどによる報道は、米英の公式発表や米英の攻撃部隊に従軍している記者によるものが圧倒的に多い。この情報の偏りを心得ておきたい。ミサイル発射や爆撃機発進の映像をみせるのなら、着弾地の状況を知らせる映像もみせるべきではないかと思いますが、そういう取材は現時点ではとても難しいのでしょう。それだけに、攻撃されているイラク都市を離れずにいる日本人からの情報は貴重です。
No.94 各国首脳の演説

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/22(Sat) 20:51

米英軍のイラク攻撃開始に伴う各国政府首脳の演説を聞いて、サダム・フセインの演説がきわだって非現実的であることに呆れてしまいました。まるで中世から現代にタイムマシーンでやってきた人のような話しぶりです。「我々には馬と剣さえあればよい」などというのは、比喩的表現だとしてもひどすぎます。「我々は必ず勝利する」といくら強がりをいっても、米英軍の最新兵器に比べれば「馬と剣」でしかないような武器で勝利することができるはずがありません。

このような独裁者のもとで戦って死ぬのは馬鹿げていますから、イラク軍のみなさんはさっさと米英軍に投降して、戦争を早く終わらせ、祖国の再建に力を尽すほうがずっと賢明です。たとえ今回の米英軍によるイラク攻撃が国際法に違反する不当なものであっても、愚かなサダム・フセインを信奉して死ぬより、みなさんの愛する家族のために生きて祖国を再建するほうがアラーの神の御心にそうことでしょう。
No.95 日米安全保障条

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/24(Mon) 18:20

青山貞一氏からのメールで指摘されたように、今回の米英軍によるイラク攻撃を日本政府が支持することは、日米安全保障条約に違反します。この条約では、国連ならびに国連憲章の重視が繰り返し述べられています。

たとえば前文では、

 日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、
 また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、
 国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、
 両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、
 両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、
 相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のとおり協定する。

と書かれているのですが、今回の攻撃は「法の支配を援護する」どころか国際法を無視するものでしたし、「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認」するどころかこの願望を打ち砕くものでした。

また、第一条には、

 締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。
 締約国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に逐行されるように国際連合を強化することに努力する。

と明記されています。今回のイラク攻撃ならびに支持がこの条文に違反することは自明の理です。
No.96 Re: 日米安全保障条約

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/25(Tue) 21:49

日米安全保障条約も日本国憲法も国連憲章も、アメリカ合衆国の主導なしには成立しませんでした。そのアメリカが現在、この条約・憲法・憲章に反する行為に突き進んでいるのは、まことに常軌を逸しています。

「先制攻撃」や「予防戦争」といった言葉にいろどられたブッシュ政権の危険な軍事政策には、警戒心を強めざるをえません。イラクのサダム・フセイン政権がろくでもない存在だということは言うまでもありませんが、世界最強の国アメリカのブッシュ政権が危うい方向に大きく右ハンドルをきることのほうが、世界にとって、もっと脅威になるのではないでしょうか。

アメリカ国防総省の軍事用語辞典によれば、敵の攻撃が差し迫っているという疑う余地のない証拠にもとづいて発動されるのが先制戦争(preemptive war)であるのにたいし、予防戦争(preventive war)とは、軍事的紛争が差し迫ったものになってはいないが、そうなることが避けられないと思われ、対応が遅れるといっそう大きな危険が生じるという考えにもとづいて開始されるものです。

上記の定義によるかぎり、今回の米英軍によるイラク攻撃は、先制戦争ではなく、予防戦争に相当します。先制戦争ならば状況に客観性がありますから正当化できるでしょうが、予防戦争というものは、主観的な判断に委ねられるところが大きいですから、とうてい認めるわけにはいきません。そもそも、戦争を予防するために戦争をするというのは矛盾しています。

「大きな戦争を予防するために小さな戦争をする」つもりで戦争を始めたところ、それが小さな戦争におさまらず、大きな戦争に発展したらどう言い訳するのでしょうか。「我々の努力にもかかわらず大きな戦争が起きてしまった、ほっておいたらもっと大きな戦争になったであろう」とうそぶくのでしょうか。逆に小さな戦争で終わっても、「もともと戦争などする必要がなかったのだから、小さな戦争ですんで当たりまえ」ということなのかもしれません。

トルーマン元大統領は、その回顧録のなかで、予防戦争を唱道する者たちに対して、「戦争は戦争によってやめさせられると考えることほど馬鹿げたことはない」と述べています(豊田利幸2003「アイゼンハワーの痛恨の思い―今こそ勇気をもって戦争推進亡者たちの迷妄を打破するために連帯しよう―」『軍縮問題資料』270:2-7)。
No.97 短期決戦は無理

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/03/31(Mon) 18:28

国連無視のイラク攻撃には反対でしたが、戦争が開始されてしまった以上、早く決着がつき、サダム・フセイン政権が倒れて、イラクの民主化と復興が進むことを願っておりました。けれども、米英軍が期待していた短期決戦は難しく、双方に多くの犠牲がともなう長期戦になるかもしれない情勢となってきました。米英軍もイラク軍もこのまま突き進むと、多くの民間人を巻き込んでさらに恐ろしい事態になるかもしれません。

広島・長崎に原爆を落とされたあと、ポッダム宣言を受けいれて日本軍が無条件降伏し、国内でのゲリラ活動はいっさいなかった日本とは、国民性も状況もまるで違うイラクなのですから、そもそも短期決戦の目論見には無理があったのではないでしょうか。太平洋戦争のときだって、日本は緒戦で優勢を保ち、あとは外交交渉で戦争を短期で有利に終わらせようと考えて真珠湾を攻撃し、また、アメリカも戦争になったら短期で日本に勝利すると思っていたのに4年近くもかかってしまったのです。終戦までに全国206市のうち98市が爆撃され、原爆被害もあわせれば、推定死者は50万人を超えました。
No.98 短気は損気

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/04/04(Fri) 19:20

昨年亡くなった母が、私が子どもの頃に激すると、「短気は損気よ」と戒めてくれたものです。この戒めは、個人だけでなく国家レベルでも通じると思います。戦争もテロも短気な振る舞いで、ろくな結果を招きません。人は殺傷される、環境は破壊される、経済は冷え込む。ろくなことはありません。勝者も敗者もあったものではありません。

今回のイラク戦争の開始前、イラクのフセイン政権に平和を脅かす問題がいろいろあったにしても、すぐに武力攻撃しなければいけないというせっぱ詰まった状況だったとは思えません。まだまだ気長に交渉する余地がありました。さらに国連による査察を続ければよかったのです。ところが、米英軍は査察が長引くと軍事的に不利になると判断して、見切り発車してしまったのです。でも、狙い通りにはならず、短期決着しそうにない情勢となってきました。「短期は損期」でもあったのです。
No.99 しっぺ返し

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/04/05(Sat) 19:08

昭和10年代、私の母方の伯父は満州帝国大学で生物学を教えていたのですが、日中戦争が激化したことから引き上げてきました。昭和16年12月8日、日本軍がハワイ真珠湾を攻撃したとのラジオ放送を聞いた伯父は、「困ったことをしてくれたものだ。中国戦線でさえてこずっているのに、このうえ米国と戦争を始めてどうなることか。日本は負けるよ」と母に即座に言ったそうです。

真珠湾攻撃によりアメリカ側は2000人以上の死者が出ましたが、そのほとんどは軍人でした。ところが、米軍による日本内地の空襲では50万人以上が死に、そのほとんどは民間人でしたから、真珠湾攻撃にたいするしっぺ返しはものすごく、数百倍の負のお返しがあったということになります。

9.11の同時多発テロの報道に接したとき、そのあまりの出来事に戦慄を覚えただけでなく、しっぺ返しはものすごいことになるのではないかと危惧しました。案の定、アフガニスタンにつづいてイラクをと、攻撃の矛先を弛めないアメリカです。しかも、かなり八つ当たり的にです。真珠湾攻撃の場合は、攻撃を仕掛けたのが日本国であることは明白でした。しかし、9.11テロは、特定の国が主体となって起こしたわけではありません。
No.100 市街戦

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/04/06(Sun) 21:52

太平洋戦争で戦況が悪化し、本土空襲が始まり、本土決戦も覚悟しなければならなくなったころ、町内で竹槍訓練なるものが行なわれるようになりました。私がまだ生まれる前、山梨県の甲府に父母兄姉の4人家族が生活していたときのことです。敵が上陸してきたら奥さんたちも竹槍で戦えというわけですが、そんなもので敵を倒すことなどできるはずがない、そんな馬鹿ばかしいことをするくらいなら家で洗濯をしているほうがずっとよいと、母は訓練をさぼって家事をしていたところ、町内の国防婦人会(?)の代表者がやってきて非国民呼ばわりしたそうです。

市街戦になったのは沖縄だけで、本土のほうはそうなる前に降伏しましたから、奥さんたちは竹槍で戦うことにはならなかったのですが、「国体護持」にこだわってポッダム宣言をなかなか受諾しないうちに原爆を落とされる羽目になったのでした。

サダム・フセイン政権が「体制護持」にこだわって、市街戦を鼓舞し、市民に犠牲を強いることをいつまでも続けた場合、想像を絶する惨劇をまねくことになるでしょう。一方、米英軍は市民の犠牲を最小限に抑えるように攻撃するといっていますが、最小限というのは絶対的な基準ではありませんから、どんなにひどい状況になってもそれが最小限ということになるわけで、ほとんど無意味な言いわけにすぎません。一般市民、子どもであっても、なんらかの武器で米英軍を攻撃してくるなら、米英軍は容赦なくこれを撃破することでしょう。もはや兵士と一般市民の区別はなくなってしまいます。

平時ならば過剰防衛や業務上過失致死で処罰されるような行為でも、戦争では正当化されてしまいます。戦況が悪化し、混沌とした状態になれば、いっそうなりふり構わず殺戮が行なわれることになります。戦争というものは、いったん始まると行き着くとこまで行かないと終わらないという性質があります。このようなことは過去の戦争であまた実証済みです。ですから、戦争は始めてはいけないのです。どういう理由であれ、先に始めたほうにいちばん大きな責任があります。先制攻撃論に正当性はないのです。
No.101 イラク戦争と北朝鮮問題

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/04/07(Mon) 21:20

小泉首相が米英軍によるイラク攻撃にたいしていち早く支持を表明した理由のひとつに北朝鮮問題があります。日米安保で米軍に守ってもらっている日本としては、北朝鮮にたいする対応でアメリカの協力が得られないようでは困るからというわけです。しかしながら、そういう事態が北朝鮮の態度をますます頑なにし、最強の軍事力を備えるしか道がないようなことを北朝鮮政府に言わしめるようになっています。イラク情勢が極東に不必要な軍事的緊張をもたらしているのです。

イラク同様、北朝鮮の政権のあり方には平和を脅かす問題がいろいろあります。けれども、その問題の解決に性急であってはいけません。あくまでも平和的な手段で解決をめざすべきです。短気は損気なのです。「手術は成功したが、患者は死んだ」というような荒治療では困るのです。「北朝鮮の政権を転覆させたが、韓国・北朝鮮・日本は破壊されてしまった」ということになったのでは、元も子もありません。そういう悲惨な状態になっても、アメリカ本土はほとんど無傷でしょう。「戦後復興」のためアメリカが乗り出してくることなど、想像したくもありません。
No.102 精密兵器と誤爆

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/04/12(Sat) 11:14

今回のイラク戦争で米英軍が使用している兵器は、湾岸戦争のときよりも格段に精度が高くなって、攻撃目標を正確に狙い撃ちすることができるそうですが、にもかかわらず、誤爆や同士討ちで多数の死傷者が出ております。

報道人が乗った車がミサイル攻撃された例では、近くにいるイラク軍の車列を攻撃するように命令を出したところ、パイロットがそれと別の車列を誤認して攻撃してしまったという、まことにお粗末な戦闘行為がありました。いくら兵器を精密にしたからといって、使う人間がお粗末ではお手上げです。

また、いくら目標を正確にとらえて攻撃することができても、攻撃目標のすぐ近くに一般住宅があれば、一般住宅を巻き添えにする可能性は高いわけです。

さらに問題なのは、誤爆だと釈明しているけれども、ほんとうは意図的な攻撃であった疑いが濃厚な事例もあるということです。現地報道で活躍しているアルジャジーラのオフィスは、アルジャジーラ自身がその位置を事前に米英軍に知らせてあり、周囲に軍事施設や政府機関がないにもかかわらず、攻撃されて死傷者が出ました。米英軍にとって都合のわるい事実を世界に報道するアルジャジーラをねらって攻撃したのではないかという疑いがもたれています。

イラク兵の死者数は報道されても、一般人の死者数がいったいどの程度になっているのか、まだ知らされていません。最小限の犠牲でフセイン体制を崩壊させることができたと、さかんに書き立てている全国紙がありますが、「最小限の犠牲」の実態を把握することなしに手放しで喜ぶわけにはいきません。
No.103 バクダッド博物館が略奪にあったこと

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/04/14(Mon) 23:34

バクダッド博物館が数千人の市民に襲われて多くの貴重な文化財が略奪にあったという報道に、市民が死傷するということとはまた別の衝撃をうけました。私はまだ新聞報道でしか知らないのですが、テレビのニュースを見た妻によると、館員は泣いていたとのことです。考古学を専攻している私には、その気持がよくわかります。人命がなによりも大切とはいえ、丹精こめて命がけで守ってきた文化財が破壊されたり、略奪にあうなんて、耐えがたいことです。

博物館が略奪にあうというのは、治安が維持されていないことの象徴的な出来事です。サダム・フセインの圧政に大きな問題があったにしても、イラクの人々の日常生活は米英軍の攻撃がもたらした事態に比べればはるかに安定した平和なものでした。圧政をしく政権というものは、その国の人々にまかせておいても、やがて打倒される運命にあるということは歴史が証明しています。

圧制をしく独裁政権の国だからといって、確証もなしに国際テロの支援者とみなし、大量破壊兵器をもっているという疑いをかけ、査察に十分応じていないからと、大量破壊兵器をもった国が戦争をしかけ、多くの人々を殺し、傷つけ、環境を破壊するということが許されていいはずがありません。フセイン政権の責任者を軍事裁判にかけるのなら、戦争をしかけたブッシュ政権の責任者も裁判にかけられるべきでしょう。敗者だけに戦争責任があるわけではないからです。
No.104 Re: バクダッド博物館が略奪にあったこと

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/04/17(Thu) 13:22

略奪されたあとの現場の映像をテレビで見ましたが、陳列ケース内の展示品が奪われているだけでなく、大きなライオンの石像が壊されて頭部だけが持ち去られているのには驚きました。しかしながら、「重し」がはずれると、このような略奪が横行するイラク社会であることは予想できたのではないかと思います。

中東の考古・美術を専門とする人たちの中には、イラク戦争が始まる前からバクダッド博物館がどうなるかを心配して、博物館の安全確保のためになんらかの働きかけを米英にした人がいたのではないかと思いますが、そこまで用意周到に考えられた軍事作戦にはならなかったようです。フセイン政権も、略奪防止のための治安警察をバクダッド博物館に配置し、この警察については米英軍との戦闘行為をしないという条件で安全確保の交渉をすればよかったのに、そういうことはなかったようです。
No.105 イラク戦争の死者数

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/04/19(Sat) 21:23

米国防総省は15日、イラク戦争による米軍死者数は121人になったと発表。

IRAQ BODY COUNTが示すイラク民間人の死者数は、現時点で最小1,652、最大1,939です。

イラク兵の死者数については、実態がほとんどわかっておらず、米国の軍事専門家による推定も「1万人」から「5000人以下」までのバラツキがあります。米軍関係者によれば、イラク兵は私服でゲリラ戦を展開することが多く、遺体では民間人と区別することが不可能な場合が多いので、イラク兵の死者を数えることは「時間の無駄」として行っていないのだそうです。しかしながら、イラク兵の死者数が多すぎて、これを公表すれば国際社会に「大量殺りく」の印象を与えかねないので、調査・公表していない可能性も指摘されています。

短期間でサダム・フセイン政権を打倒できたからといって、今回、戦争に踏み切ったブッシュ政権の判断が正当化されるものではないと思います。もともとこの戦争に反対でも、始まってしまった以上、できるだけ犠牲者が少なくてすむよう、早くサダム・フセイン政権が倒れてほしいと思っていた人は大勢いたのです。はたして犠牲者は少なくてすんだといえるでしょうか。私にはそうは思えません。
No.106 Re: Re: バクダッド博物館が略奪にあったこと

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/04/23(Wed) 22:35

米国防総省の復興人道支援室(ORHA)が戦争中の3月26日、国立銀行に次ぐ優先順序で国立博物館を保護するよう米軍に要請したけれども、結果的に無視されてしまったということが4月22日朝日新聞朝刊に紹介されていました。情報源は英オブザーバー紙(20日)とのこと。

第二次世界大戦中、米軍は京都を爆撃しませんでした。今の米軍は、当時とはだいぶ違うみたいですね。
No.107 Re: イラク戦争の死者数

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/04/23(Wed) 22:55

14日発売の米タイム誌によれば、米国防省が非公式にイラク側死者数を計算したところでは、イラク兵1万人以上、民間人約2000人とのこと(朝日新聞2003年4月21日朝刊)。

IRAQ BODY COUNTが示すイラク民間人の死者数は、現時点で最小1,930、最大2,377です。

負傷者数を加えれば、犠牲者数は民間人だけでもたいへんな数になるのではないでしょうか。短期間の戦争でこれだけの犠牲者が出たということは、一種の大量破壊・大虐殺に相当すると思います。米英軍は、クラスター爆弾、対人地雷、劣化ウラン弾という非人道的武器も使用したのですから、なおさらその感を深くします。
No.108 「国益」とはなにか

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/04/28(Mon) 17:26

森本敏氏「国益追求優先の政策で」(読売新聞2003年4月28日朝刊)に、「日本の政策判断を憲法と国連制度の枠内でしかとらえることのできない時代は終えんしている。政策の企画・実行には変化する国際情勢に柔軟に対応し、国益追及を優先させることが求められているのである。」と書いてありました。

「米国は国益に反することはしない」というブッシュ大統領の発言を見習うような言い方がはやっているようですが、このような発言はまやかしではないでしょうか。目先の利益を優先させることが長期的にみて国益になるかどうか問題であるばかりでなく、短期的にみても「国益優先」と称する主張の中身がほんとうに国益となるかは問題だからです。そもそも各国が目先の利益に固執して「国益」ばかりを主張し始めたら、国際協調など成り立つはずがないでしょう。

「日本の政策判断を憲法と国連制度の枠内でしかとらえることのできない時代は終えんしている」というけれど、はたしてこれまでそういう時代だったのでしょうか。実際には「枠外」で政策判断がとられることもたびたびあったのではないでしょうか。むしろそれが問題でしょう。

日本国憲法前文には、「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」と明記してあります。「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という戒めを軽んじ、国際情勢に流されるまま、近視眼的に国益追及を優先させるようでは困ります。

現在の国連は欠点だらけですが、無意味な存在に堕しているわけではありません。国連を見限るのではなく、現実の国際問題を解決する力をもった組織に大改革することこそ肝要であり、その実現のために貢献することが、日本はもとより世界の国々の国益につながると思います。
No.109 世界連邦

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/05/02(Fri) 17:39

イラク戦争の経緯をみながら、「いまの国連ではだめだ。国連を大改革して世界連邦を実現しないと」と思い、そういえばそんな運動があったはずだとインターネットで検索、世界連邦運動協会のホームページを読んで、これに入会しました。

私の背広の胸元についている世界連邦バッジには、かろうじて読める程度の小さな字で
WORLD PEACE THROUGH WORLD LAW
と記されています。
No.110 北朝鮮との付き合い方

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/05/03(Sat) 20:29

核兵器保有の宣言をした北朝鮮の「ならず者国家」イメージはさらに強まり、それとともに日韓米のタカ派が勢いを増しているようです。しかし、金大中政権当時の太陽政策というものは、もっと長い目で見なければいけないのではないかと思います。

核兵器の放棄ならびに開発禁止を条件に広い分野で交流の正常化をめざし、実現していくことによって、北朝鮮の現体制が日韓と比べていかにひどいものであるかということをほかならぬ北朝鮮の人々に徐々に実感してもらうことができるでしょう。そうなれば、北朝鮮の人々自身の手によって民主化も徐々に進んでいくはずです。

北朝鮮の現政権の志しが高ければ、世界平和の実現のために、米国などの核兵器大量保有国の核軍縮を条件に自国の「核兵器の放棄ならびに開発禁止」を提唱するくらいの度量があるでしょうが、それはどうもいまの「ならず者国家」には期待できそうにありません。そこで核の先進国に次のように望みたい。他国に核兵器を持つなと迫るのなら、みずからも核兵器の開発はせず、核軍縮を進め、最終的には核兵器のない世界にするという方針をぜひ示してください、と。

北朝鮮が核兵器などの大量破壊兵器の開発を続け、他国やテロリストに輸出するようなことをしようとしたならば、それこそイラクの二の舞になるという覚悟が必要でしょう。そのような愚かな選択をしないように、日韓中露米は万難を排して北朝鮮の説得にあたるべきです。
No.111 世界政府

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/05/04(Sun) 21:25

さらに「世界連邦」をキーワードにネットサーフィンして、「世界政府研究所」にたどり着きました。

このホームページに紹介された世界政府構想は、とても興味深いものです。この構想は、「国連の枠内で世界連邦を実現しようとしてもなかなか前進しないのは、世界連邦が実現すると米国が支配的な地位を占めることができなくなるので、米国が乗り気にならないことによる。したがって、国連の枠外で世界政府を樹立する道も必要である」ということから出発していると思います。しかしながら、国連の枠内であろうが、枠外であろうが、世界最強の米国の協力なくして世界連邦も世界政府も実効性を持ちえませんから、結局のところ、米国の支持を最終的にえることのできるような構想を考えるとか、構想を支持する米国になってくれるように働きかけるということが必要ではないでしょうか。
No.112 Re: 世界政府

投稿者名: 鈴木俊雄
投稿日時: 2003/05/05(Mon) 14:48
 
前略

 メールを有難うございました。世界政府研究所だけでなく

世界市民サイト(サイトガイド)
http://www.w-g.jp/index-j.htm
には世界党と世界市民ネットワークへのリンクもあります。世界政府研究所は理論・議論部門であり、世界党は行動部門です。世界市民ネットワークは何も特に決まっていません。メンバーがこれから決めます。
 世界連邦協会は私も会員です。お会いすることもあるかと思います。今後ともよろしくお願いします。

                             早々
                            鈴木俊雄

世界政府研究所、世界党、世界市民ネットワーク
世界政府を樹立するための研究所、政党、ネットワーク
http://www.w-g.jp/index-j.htm
No.113 ネットワーク

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/05/05(Mon) 22:38

鈴木俊雄 様

ご返信、ありがとうございます。訪問者は毎日のごとくですが、なかなかご投稿いただけないのが物足りないところですので、久々にいただいて喜んでおります。

いまのところ世界連邦運動には、インターネットとファックスでしかお付き合いがありませんが、多忙な身としてはちょっとした合間にネットワークできるという点がまことに便利です。しかしながら、それだけではなんとなく虚構の世界に遊んでいるような感じがしますので、直接お会いして歓談する機会もあったほうがよいと思います。どうぞよろしく。

ソフィー
No.114 あきらめません

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/05/06(Tue) 22:56

先日、通勤途中のカーラジオから「あきらめましょう」を連呼する若い女性歌手の歌声が流れてきました。「あきらめましょう」という句以外、何を歌っているのか歌詞が聞き取れなかったのですが、ともかくしつこいくらいに「あきらめましょう」が繰り返されていました。この歌手の名前はなんというのかな。歌の題名は「あきらめましょう」なのかな。

太平洋戦争中、「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンがあったそうですが、イラク戦争の余燼くすぶる現在、「あきらめません、かなうまでは」と希望をもって、平和を守り戦争をふせぐ努力をいささかなりとも続けたいと思います。
No.115 イラク核施設で略奪

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/05/07(Wed) 22:20

朝日新聞2003年5月7日の1面記事トップに「イラク核施設で略奪」の大見出しで報じられて記事を読んで、唖然としました。「イラク原子力エネルギー委員会」の原子力施設で、イラク戦争さなかの4月上旬、「イエローケーキ」と呼ばれる粉末状の精製ウランの貯蔵庫を近隣住民が略奪し、ウラン容器のドラム缶100本を持ち出した際、被爆した可能性が高いというのです。住民の住む村は、施設から約200m離れたところにあり、水道がない小さな村であるため、水をためる容器としてドラム缶を盗んだというのですから驚きです。独裁国家イラクでは、核施設の危険性を近隣の住民に知らせていなかったのでしょう。

サダム・フセインの演説はまるで前近代社会の人物の話のようでしたが、上記の住民たちも現代に取り残された前近代の人たちみたいです。つまり、イラク戦争は、現代の最先端を行く米英がタイムマシーンで前近代に行き戦争をしかけたみたいなものではないでしょうか。この構図は、大航海時代に新大陸を征服したヨーロッパ人と先住民たちとの力関係と大した違いはないように思います。惨禍は、互角のものどうしよりも、大きな力の差があるものどうしのほうが生じやすく、かつ弱いほうに大きくふりかかってくるのです。
No.116 日本平和学会

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/05/12(Mon) 22:28

「戦争と平和」と題して授業をもっているからには、その分野の学会にも所属して研鑚するべきであろうと思い、日本平和学会
に入会申込みをいたしました。

まだ、正式に入会を認められたわけではありませんが、送られてきた会員名簿をざっとみると、当方が名前と顔をともに知っている人物としては宇井純、河島幸夫、河辺一郎、栗本英世、坂本義和、徐勝、前田哲男、宮田光雄、以上8氏が目にとまりました。各氏の著書・論文も読んだことがあります。
No.117 アメリカ合衆国と世界連邦

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/05/14(Wed) 20:52

私は、世界平和の実現を考えるうえで、アメリカ合衆国が民主主義の多民族国家であるということに注目しています。現在問題になっているグローバリズムは世界のアメリカ化ですが、望ましいグローバリズムは世界の合衆国化だと思います。ひとつの国家がひとつの州のようになって、「世界合衆国」すなわち世界連邦を構成することによって、世界平和の実現に近づくことができると思うからです。それだけにアメリカ合衆国がまともな存在になってくれないと困ります。いかにしてまともになってもらうか、これが思案のしどころです。
No.118 「自衛隊は軍隊」

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/05/22(Thu) 22:48

「自衛隊は軍隊」という小泉首相の国会発言が物議を醸しだしています。しかし、この問題は言葉尻をとらえて議論していても無駄です。日本語として通用している「自衛隊」という言葉と「軍隊」という言葉を比較した場合、「軍隊」という言葉のほうが包括的です。軍隊という言葉を広く定義して使っている人もいれば、狭く定義して使っている人もいるわけですから、どのように定義するかということを抜きにして、「自衛隊は軍隊だ」、「自衛隊は軍隊ではない」と言い合うことなどばかばかしい限りです。「軍隊」を広義に解すれば、まぎれもなく自衛隊は軍隊の一種です。「軍隊」を狭義に解すれば、「自衛隊は軍隊ではない」も真となりえます。

自衛隊は、英語でthe Self-Defense Forces (of Japan)と言います。英語のforceには軍隊という意味があり、the forcesは一国の全戦力を言い表します。ですから、the Self-Defense Forcesを直訳すれば「自衛のための軍隊」となり、略して「自衛隊」と称しているように見えます。ところが、英語のnational defense forcesは、ふつう国防軍と訳されていますし、米国のthe Department of Defenseは国防省、the National Military Establishmentは国防総省と訳されています。この脈絡からすると、日本でも再軍備の際に「国防軍」と称してもよいはずなのに、意図的に「自衛隊」と命名したのは、日本国憲法の枠内でなんとか設立させようとしたからでしょう。ごまかしでありますが、たがをはめたとも言えましょう。

自衛隊は広い意味で軍隊の一種でありますが、あえて軍隊とはいわずに自衛隊と称するだけの理由があるわけですから、「堂々と自衛隊を軍隊と言える日」に「軍隊」の意味が広義ではなく、狭義のものになってしまうことを私は恐れます。
No.119 国の正式名称と通称

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/05/25(Sun) 22:45

通称「北朝鮮」の正式名称は、朝鮮民主主義人民共和国です。韓国の正式名称は大韓民国です。大韓民国を韓国と略称するのは、ほかならぬその国の人たちがそうしているので問題がないのですが、朝鮮民主主義人民共和国を北朝鮮と呼ぶのは、その国の人たちにとっては不快なことのようで、「日本が朝鮮民主主義人民共和国を北朝鮮と呼ぶのなら、我々は日本のことを倭と呼びますよ」といきまいている人たちがいるという新聞記事を読みました。「倭」は「小人」という意味の蔑称ですが、「北朝鮮」は蔑称ではありません。

北朝鮮と呼ぶなら南朝鮮と呼ばなければいけないのになぜしないのか、「南」について韓国という略称を用いるなら「北」については朝鮮国という略称を用いるべきではないか、という疑問をいだく人もいるでしょう。しかしながら、朝鮮国という名称は、南北に分断される前の本来の状態で使われていたわけですから、略称とするわけにはいかないのです。ですから、結局、略称としては北朝鮮とせざるをえないのです。

北朝鮮と呼ばれることに反発する前に、朝鮮民主主義人民共和国という名にふさわしい体制になっているか、よく考えていただきたいですね。その名にふさわしい体制になっていれば、現在のような危機的状況は生じないでしょうし、南北統一もさほどむずかしくはないでしょう。統一後は、もちろん平和的にそうなってほしいのですが、どのような国名(正式名称ならびに略称)になるのでしょうか。
No.120 Re: 国の正式名称と通称

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/06/02(Mon) 23:14

5月30日〜6月1日、釜山と蔚山に行ってきたのですが、バスのガイドさんが韓国とKoreaという名称の由来について説明してくださったものですから、「それでは韓国の人たちは北のほうをどのような略称で呼んでいますか」と質問しようと思ったものの、「しらけるかも」と言葉を飲み込んでしまいました。
No.121 Re: Re: イラク戦争の死者数

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/06/10(Tue) 22:30

IRAQ BODY COUNTが示すイラク民間人の死者数は、現時点で最小5,531、最大7,203。

イラク戦争に反対した人たちの予想よりも早く戦争が終結したというので、そういう予測をした人たちを批判する論調が大手新聞などでもみかけます。しかし、こういう予測は当たらないほうがよいわけですし、また、上記民間人の死者数を軽くみるべきではありません。
No.122 対話と圧力

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/06/15(Sun) 19:59

北朝鮮対策をめぐって、対話か圧力かが議論になっていますが、「対話」と「圧力」を反語としてとらえるというのはちょっとおかしな話ではないでしょうか。外交において「対話」とは直接交渉を意味すると思うのですが、そのような場では程度の差はあれ、お互いになんらかの「圧力」をかけあうのは当たりまえのことです。問題は圧力の中身や程度です。

北朝鮮を自暴自棄に追い込むような圧力をかけてしまったら、元も子もありません。まともな交渉のテーブルにつく(まともに対話する)ほうがよいと北朝鮮が判断するような圧力のかけかたが必要です。
No.123 考古学的時代区分

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/06/16(Mon) 16:55

朝日新聞2003年6月16日朝刊(大阪本社版)21面の「縄文・弥生交錯する境界 稲作・戦争…変わる社会像」という記事の末尾に、「縄文時代が弥生時代に先行して存在していたのは確かだ。しかし、両者は完全に入れ替わったのではなく、融合しながら新たな文化を形づくっていったとみられる」と書いてありました。これは不正確な記述です。縄文時代と弥生時代が融合するはずがありませんから、「縄文文化が弥生文化に先行して存在していたのは確かだ」と書かないとおかしなことになります。

そもそも縄文式土器と弥生式土器の区別がなされ、前者が古く、後者が新しいことを前提に、縄文式土器が使われていた時代を縄文時代、弥生式土器が使われていた時代を弥生時代と定義することから、この時代区分は始まったわけですから、「縄文時代が弥生時代に先行して存在していたのは確かだ」などというのは当たりまえすぎて、こっけいです。

弥生時代になって稲作が始まったと考えられていたころは、土器などよりも採集経済か農耕経済かということのほうが時代の特徴として重要だから、稲作の開始をもって弥生時代としようという説は説得力がありました。また、土器の特徴から縄文晩期末に位置づけられていた遺跡から水田稲作の証拠が発見されると、その時期も弥生時代に含めてしまおうという意見も出てきました。しかしながら、稲作の開始は縄文晩期どころか、さらにさかのぼり、縄文後期ないし中期に陸稲栽培が行われていたことが明らかになってくると、単に稲作の開始をもって弥生時代とする時代区分では大変な混乱をまねきますから、他の文化要素を加味して時代区分する説が登場しました。

私は、土器の特徴によって縄文時代と弥生時代を区分するほうが、混乱が生じにくいので、よいと思っています。その場合でも、土器の編年が精緻になればなるほど、時代区分の線引き問題が浮上してきますが、大幅な変更が生ずるわけではありませんから、一般の人に与える影響はほとんどありません。ある本を読んでいて、「縄文晩期」と書いてあったとしましょう。この「縄文晩期」が従来の定義によるものなのか、それとも「弥生早期」に相当する時期を除外した定義によるものなのか、確認しながら読まなければいけないというのはとても不便です。

従来の定義では、弥生時代の開始は紀元前350年ころと考えられていましたから、その頭でいますと、「弥生時代の開始が500年ほどさかのぼり、紀元前1000年という年代測定結果がでた」といわれてびっくりしてしまいます。しかしながら、「弥生早期」という定義を前提にしての話ならば、従来、紀元前500年ころと考えられていたのがさらに500年くらいさかのぼるということなのですから、理化学的年代測定というものの原理・性質を知っている人ならば、さほど衝撃的なことではないのです。縄文時代の理化学的年代測定については、以前から、500年ぐらいのずれは生ずる可能性があるということを知っているからです。
No.124 戦争保険

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/06/19(Thu) 22:56


保険契約の約款には免責事由が記載されており、これに該当する場合、保険会社は保険金を支払わないことになっています。その該当事由のひとつに「戦争その他の変乱」による被害があります。9・11テロがこれにあたるのかが問題になりましたが、いくつかの保険会社が保険金の支払いを行うという発表をいたしました。事前に戦争被害に遭うことが想定できるような場所に旅行するような場合には、特別に戦争保険を契約しないかぎり、通常の保険では免責事由に該当するとされても仕方ありません。しかし、9・11テロのような突発的事件まで免責事由されてしまうと、保険に入っていても安心して社会生活を営むことができなくなってしまいますので、保険金の支払いに保険会社が応じるというのも当然という感がいたします。

それでは、今回の「イラク戦争」はどうなのでしょうか。サダム・フセイン政権が9・11テロを画策していたという証拠も、大量破壊兵器を保持していたという証拠も、確かなものはまったくないのに、つまり正当な理由がないのに米英軍がイラク攻撃に一方的に踏みきったわけですから、これはそもそも戦争といえるのかという根本的な疑問があります。この武力攻撃に責任のない被保険者が巻き添えをくった場合、9・11テロの場合と同様、保険金が支払わなければ片手落ちです。

保険に入ることもできないくらい貧しい人たちがおおぜい戦争の犠牲になることを考えると、世界連邦を創設して、加盟国家が戦争保険金を分担し、戦争が起きた場合はその犠牲者に保険金を支払い、戦争を起こした国の政府にその補填をもとめる仕組みをつくることができたらよいと思います。そういう仕組みをつくること自体が戦争防止に役立つことでしょう。
No.125 「縄文系と弥生系」

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/06/20(Fri) 19:39

日本民族学会のホームページの質問箱に投函されたメールが当方に回されてきたので、それに以下のように答えておきました。

「縄文系」と「弥生系」という言葉の意味について、共通理解がないと話が混乱しますね。日本列島の遺跡から発見された縄文時代人骨から想定される縄文時代人を「縄文人」、日本列島の遺跡から発見された弥生時代人骨から想定される弥生時代人を略して「弥生人」とよぶことにします。

これまでに発見された古人骨によると、縄文人は縄文時代の早・前期と中〜晩期とでは違いが認められますが、各時期においては比較的均質な集団であったことがわかっています。ところが、弥生人骨には、A:縄文人とは大きく異なる特徴をもつタイプ、B:縄文人とよく似た特徴をもつタイプ、C:両者の中間的な特徴をもつタイプ、というように大きく三つのタイプに分けることができます。たとえば、北九州から山口県の日本海側にかけての地域はAのおもな分布地、西北九州はCのおもな分布地、南九州はBのおもな分布地として知られています。そこでAを「渡来系弥生人」、Bを「縄文系弥生人」とよび、Cは渡来系と縄文系の混血の要素がAやBよりもつよいとみなす説が生まれました。

したがって、「弥生系が縄文系を東へ追いやった」という言い方は間違っているわけで、「渡来系の人たちが縄文系の人たちを北へ追いやった」と言い換える必要があります。アイヌの人たちと「ヤマトの人たち」と縄文人とを骨の遺伝的特徴やDNA分析によって比較検討してみると、アイヌの人たちは「ヤマトの人たち」よりも縄文人に近いという結果が得られていますから、「渡来系の人たちが縄文系の人たちを北へ追いやった」可能性はじゅうぶん考えられます。しかしながら、いつの時代の「岩手県あたりの住民」なのかを示すことなく、あたかもその住民が縄文系やアイヌ系であるかのごとく考えて、『「俺たちも被征服民だぞ」と反論すべきだった』と主張するとしたら、論理的に飛躍することになります。

くれぐれも誤解のないようにしていただきたいのは、弥生人なるものが弥生文化をもって日本列島にやってきたのではなく、ある時期に渡来してきた人たち(または外地を訪ねて帰ってきた人たち)とその人たちによってもたらされた文化が、それまで日本列島に住んでいた人たちとその土着文化に影響を与えて、あらたに弥生人ならびに弥生文化が形成されたということなのです。また、弥生人骨の発見例は地域的にも時期的にも偏りがありますので、自然(形質)人類学的に「東西日本の差」があったかどうかはわかっていませんし、とくに弥生時代早・前期の人骨はまだ全国的に発見例が少ないので、縄文人から弥生人への変化の過程は未知の部分が大きいということもご承知おきください。

この「東京在住のかた」の発言には、先のコメントで指摘した問題以外にも気になる点がいくつかあります。たとえば、世間で使われている「人種」、「民族」、「国民」という言葉には混乱が生じていて、この言葉についての共通理解がないと議論もかみあわない惧れがあります。

人類学的には「人種(race)」は生物学的概念、「民族(ethnic)」は文化的概念とされていますが、人類学者が実際に研究対象とする集団は政治的集団である国民(nation)であったり、文化的集団である民族であったり、あるいは単なる地理的集団であったりするわけで、形質つまり身体的特徴によって区別する人種という集団を具体的にとらえることはできません。集団の遺伝子頻度とか形質の傾向というものは把握することはできても、構成員の個々を特定の人種として区別することはむずかしいわけです。人種といっても実際には民族と変わりがない、つまり、本来「民族」とよぶべき集団を「人種」とよんでいることが多いのです。

「人類学的には,ふつう日本人(ヤマト民族)と自覚している集団も,単一ではありません」という発言は、「日本民族も自然人類学的には多様性がある」ということを指摘しているという点では当たっています。ところが、この指摘につづけて「単一民族という幻想は,天皇制を全国民に押しつけるためのものにすぎません」というのでは、人種と民族を混同していることになります。「日本民族は文化的にも多様性がある」というのなら話はわかります。

もうひとつ指摘しておきたいのは、民族は、自然の影響も無視できませんが、基本的には人為的に形成されるものであり、かつ不変のものではないということです。明治政府は近代国家(国民国家)の建設にあたって、標準語による言語的な統一をはかりました。これは、領土内にすむ人々を単一民族化するための方策のひとつであったということができます。公用語として標準語を定め、これによって教育するということは必要なことですが、一部では行き過ぎがあり、たとえば沖縄では学校で方言を話すことさえ禁じられた時期がありました。「単一民族」意識は、幻想ではなく、よくもわるくも意図的に国民に植え付けられ、近代国家の樹立に貢献したのです。

日本民族の伝統のように思われている習慣や制度にも、庶民の神前結婚(神道式)や夫婦同姓のように、明治期になってから行われるようになったものがけっこうあります。「俺たちも被征服民だぞ」と反論することを勧められている人たちの祖先がいつからその地域に住むようになったのかを調べてみたら、明治期に開拓民として他地域から移って来た人たちの子孫だとか、それよりもっと昔の征服側の人たちの子孫だったということも大いにありえることです。

No.126 Re: 戦争保険

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/06/23(Mon) 23:15

戦後復興のために莫大な費用を負担するよりも、戦争保険が成り立つように各国がその経済力に応じて出資し、集まった資金を運用して得た利益を戦争の原因をなくするための平和的方策に当て、もし戦争が起きた場合には犠牲者救済のための資金に投じることにするほうが、平和維持にずっと役立つことでしょう。

保険会社にとっては、戦争が起きないほうが断然得ですし、戦争が起きる確率が低くなればなるほど保険の出資額を下げるとか、配当金額をあげるとかして、保険加入国を増やすことができるわけですから、平和維持・戦争防止のために保険会社も出資者も積極的に活動することになるでしょう。

経済力の割には軍事費が多い国にはそれだけ保険金の負担額を多く課することにすれば、軍縮を促進する効果も期待できます。とくに大量破壊兵器を保有する国には負担額を多く求めることにします。世界最大の経済力と世界最大の軍事力を擁するアメリカ合衆国は、現状ではもっとも多くの保険金を負担することになりますが、その負担を軽減するために大幅な軍縮に応じるならば、他国の軍縮を促すことにもつながるでしょう。貧しい国が軍事力を放棄した場合には、負担額をゼロにしてもよいと思います。
No.127 死亡兵士の個人名

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/07/02(Wed) 22:47

イラク兵が何名死んだとか、アメリカ兵が何名死んだとかではなく、死亡した兵士の個人名をあげて、どういう経緯で戦争に参加し、死に至ったかを報道してくれると、戦争というものがいかに馬鹿げているか、よくわかります。

朝日新聞2003年7月2日朝刊(大阪本社版)が伝えるイラク兵タリクさん(28歳)の場合、徴兵されたのは開戦目前の1月、大学卒業後1年半の兵役義務で召集、たった1週間の訓練後にナジャフ近郊の前線正規軍に配属。開戦直後の空爆で約1,500人の部隊がほぼ壊滅したが、タリクさんは逃げ延びた。しかし、再びナジャフの前線に送り込まれることになり、その途中、米軍戦車の砲撃をうけ、乗員7人中タリクさんを含む6人が即死したという。

米英軍は殺害したイラク兵集団を重機を使って現場に埋めた。暫定占領当局は、フセイン政権下で処刑された人々の集団墓地調査に乗り出しても、イラク兵の集団墓地については赤十字の調査要請があっても応じていない。
No.128 「平和学の父」ヨハン・ガルトゥング博士の講演

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/07/09(Wed) 16:59

ある平和学者に、当方のような「平和学の初心者」向けの本をご本人の著書以外に1冊推薦してくださいと頼みましたら、ヨハン・ガルトゥング著『構造的暴力と平和』(中央大学出版部)を紹介してくれました。そこで、その本を注文する前にインターネットで検索、創価大学平和問題研究所のホームページ「平和問題講座」にヨハン・ガルトゥング博士の講演録が掲載されていることを知りました。

「9.11以後の世界を考える」

これは2002年の講演を記録したものですが、2003年4月25日講演「イラク戦争・その後」も同ホームページに掲載されています。自衛隊イラク派遣の是非を考える場合にも一読に値する講演録だと思います。
No.129 アレン・ネルソンの「戦争論」U

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/07/11(Fri) 00:17

「みなさんが沖縄で海兵隊員や兵士の姿を見たり、戦場に出向く準備万端整った人びとの姿に接したら、彼らは中流や中の上の家庭の子どもではなく、アメリカの極貧層の家庭の子どもであるということです。最も貧しい地域の出身で、そもそも仕事が見つからずこれより他に就職先が見つからなかったから軍隊に入ったのだということです。戦場で戦い殺しあうのはつねに貧しい子どもたちなのです。」(アレン・ネルソンの「戦争論」U、かもがわ出版、2003)

アレン・ネルソン:1947年ニューヨーク、ブルックリン生まれのアフリカ系アメリカ人。貧困ゆえに高校を中退し、海兵隊に入隊。沖縄駐留をへて1966年ベトナム戦争に従軍。除隊後、PTSD(心的外傷性ストレス障害)に苦しむ。生命の尊さを訴え、貧困層が戦争に行かざるをえない社会の構造的暴力に反対して精力的に活動。1996年以来、日本各地でも講演、日本国憲法第九条の人類史的意義を強調してやまない。
No.130 軍縮問題資料

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/07/21(Mon) 15:14

20年ほど前から継続購読している雑誌に「軍縮問題資料」(宇都宮軍縮研究室)があります。

創始者の宇都宮徳馬氏にはお会いしたとはありませんが、氏の書かれたものを読んで尊敬の念を抱いておりました。2000年7月1日に惜しくも逝去され、同資料240号(追悼号)に創刊号発表の「私の軍備縮小論」が再録されています。その末尾は以下の文章で締めくくられています。

「明治維新という革命の最大の意義は、鎌倉幕府に端を発する武家政治を崩壊させたことです。長年にわたって刀で支配してきた武士がいなくなったことが一番大きな変革です。明治維新に先立つ十年前に、誰が廃刀令の出ることを予想したでしょう。絶対にあり得ないと考えられていたことが、現実に起きたのです。今度は、世界の廃刀令を行う時です。いまこそ、私たちが率先して、実現不可能といわれる軍縮問題の解決に取り組もうではありませんか。」
No.131 Re: 世界連邦

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/07/22(Tue) 20:51

世界連邦運動協会のホームページのトップページにアナン国連事務総長のメッセージが紹介されていますが、英語の原文は以下のとおりです。

Your Movement has helped keep alive for fifty years the value which inspire the creative of United Nations: the vision of a world prepared to act together against armed aggression, social ills and global threats, and united in its promotion of economic and social progress for all.

私なりに以下のように訳してみました。

「あなた方の運動は、国際連合を創設させた価値観が50年間にわたり生きつづけるのを支えてきました。そのビジョンとは、世界が一つとなって武力侵略と社会悪、ならびに地球規模での脅威に備え、そしてすべての人々の経済的、社会的発展を促すために結束するということであります。」
No.132 虚偽広告「アイシーン」

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/07/28(Mon) 17:56

禁煙ジャーナルNo.152によると、たばこ問題情報センターでは、JTの新銘柄タバコ「アイシーン」の広告は虚偽広告にあたるとして、6月10日校正取引委員会・竹島委員長宛に公開質問状を提出したとのことです。

そういえばそういうコマーシャルをどこかでチラッと見た記憶があるのですが、「アイシーン・スーパー・クーリング・メンソール」がタバコの新銘柄だとは気づきませんでした。鎮痛用の貼り薬か塗り薬か、それとも化粧品の類かと思っていました。

新涼感メンソール
Super Cooling
アイシーン(icene)
こんな冷んやり、ちょっと初めて。
こんな涼しさ、今までなかった。
こんな爽やかさ、かなりいいかも。
スキッと強めのメンソール、誕生。

上記のキャッチフレーズとコピーはじつに欺瞞的。JT News Releaseに掲載された新製品の紹介も呆れた内容です。

清涼感を楽しみたかったら、タバコなどやめてハッカパイプでも吸うほうがずっとましです。広告にだまされて喫煙のとりこにならないよう、若い人はとくに気をつけてください。

タバコの販売を促進するような宣伝は、法律で禁止するべきです。
No.133 アクセス合計

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/07/29(Tue) 21:06

アクセス合計を示すカウンターがなぜかリセットされてしまいました。2000を越えていたのですが。
No.134 「祈る平和」と「つくる平和」

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/07/29(Tue) 21:50

AERA Mook『平和学がわかる。』(朝日新聞、2002)に掲載されている「平和学への誘い」(藤原帰一)のサブタイトルは、《ユートピズムに彩られた「祈る平和」から、和平工作と復興協力などの「つくる平和」へ》です。確かに理想を掲げるだけでは、また、祈るだけでは平和は実現しません。しかし、理想を掲げ、祈ることから平和への第一歩が始まると、私は思います。

本書の冒頭「平和学は闘いだ。」に、《軍事力を排して平和を創造する「理想論」、軍事力で平和を維持する「現実論」。いずれもなにか行動を起こさなければ平和はやってこない。》と書かれています。一方を「理想論」、他方を「現実論」というふうに単純化するのは問題です。

指導者は理想を掲げ、目標とそれを実現するための具体案を示し、それにそった行動をとるべきです。行き当たりばったりの成り行きまかせでは、「現実論」とはいえないでしょう。
No.135 「愛国心」

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/08/13(Wed) 21:13

どこかの小中学校で「愛国心」を通信簿の評価項目にあげることになったという新聞ニュースを読んだことがあります。いったい愛国心があるかどうか、どんな尺度ではかろうというのでしょうか。戦前・戦中、愛国心を盛んに唱えた人たちが国を壊滅的な状況に追いやったことを想起しただけでも、学校の成績評価に「愛国心」など持ち出すべきではないことがわかるはずです。公徳心や社会性を評価項目にあげるのならわかりますが。

また、教育基本法に「愛国心」を盛り込もうという動きが出てきたものの、全国各地の県市町村議会ではそれに反対する声のほうが多いということが8月13日朝日新聞朝刊に報道されていました。当然でしょう。

国をどのように愛するかは、思想・信条と同様、人それぞれです。たとえば靖国神社公式参拝や「君が代・日の丸」にたいする賛否をもって愛国心の有無を判断することはできません。愛国心があるからこそ賛成する人もいれば、愛国心があるからこそ反対する人もいるのです。「愛国心」の押し付けは、思想・信条の自由を奪うことにつながります。変な動きが横行しないよう注意しましょう。


No.136 「世界連邦石川」

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/08/16(Sat) 22:09

世界連邦運動協会入会の感想が「世界連邦石川」第29号に掲載されています。その文章等を「石川WFM情報」に再録しておきました。
No.137 北朝鮮の核問題

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/08/23(Sat) 22:30

北朝鮮にたいして核攻撃をしないということを米国が約束しないように日本の外務省が米国に申し入れたというニュースを読みましたが、北朝鮮に核兵器の保有・開発を断念させるには逆効果ではないでしょうか。また非核三原則を国是とし、世界の核廃絶を願う日本としては矛盾する行動ではないでしょうか。

そもそも核大国の米国ならびにその核の「笠」に入っている日韓に対抗するために北朝鮮は核兵器を保有・開発しようとしているわけですから、日韓が核の「笠」に入り続けようとする限り、北朝鮮が不安をもつのは当然です。

米露英仏中の五カ国だけが核兵器を保有してもよく、その他の国々は保有してはいけないという核拡散防止条約は核大国の手前勝手な論理によるものです。核を大量に保有し、さらに開発を続けながら、また、そのような核大国の傘に依存しながら、他国には持つな、開発するなというのでは説得力に欠けます。他国に核兵器の保有・開発を断念させようというのなら、現保有国自身が率先して核軍縮に着手し、最終的には核廃絶することを約束してこそ、核拡散防止条約は正当性をもつのです。
No.138 「核」と「拉致」

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/08/31(Sun) 15:02

核大国やその傘に入っている国が北朝鮮(それに限ったことではありませんが)から信頼されるためには、みずから核軍縮を推進し、最終的には核兵器をなくすという方向をめざす必要があります。一方、北朝鮮が他国の信頼を得るには、拉致・不審船・麻薬密輸などの国家犯罪の問題を解決するという姿勢を示さなければなりません。北の「核」問題を解決するには、信頼関係の醸成が必要であり、そのためにも「拉致」問題を棚上げするわけにはいかないのです。その点、日本も過去に犯した国家犯罪についてはきっぱり謝罪し、犠牲者を救済することに怠慢であってはならないのです。
No.139 イラク戦争とヒロシマ・ナガサキ

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/09/06(Sat) 18:25

IRAQ BODY COUNTが示すイラク民間人の死者数は、現時点で最小6,118、最大7,836。

サダム・フセインによって殺されたイラク民間人よりもずっと少ないと、英米軍による先制攻撃を正当化する意見がありますが、このような数字の比較による正当化は間違っていると思います。

たとえば、5人の連続殺人をおかした犯人が10人の人質をとって立てこもったので、警察機動隊が有無を言わさず強行突入した結果、犯人と人質3人が死亡したとします。犯人がすでに5人殺しているからといって、それより少ない3人の犠牲ですんだから、強行突入は正しかったといえるでしょうか。強行突入の前に粘り強い説得工作をするべきでしょう。

広島・長崎の原爆投下を正当化するために、通常の上陸作戦では戦闘が長引き100万人の犠牲者が出るからという理由をあげる人が米国には多いようですが、あの戦争末期の状況において、できるだけ少ない犠牲で戦争を終わらす方法がはたして原爆投下以外になかったのでしょうか。原爆を投下しなくても日本の降伏は間近かな状況であったように思います。
No.141 世連石川県連合会主催の講演会

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/10/08(Wed) 16:47

講演会のご案内を申し上げます。転載自由ですので、皆様にお知らせいただければ幸いです。

講師:武蔵野大学助教授 本田雅俊 先生
日時:平成15年10月17日(金) 午後2時〜4時
会場:香林坊アトリオ4階アトリオサロン(金沢市香林坊1-1-1)
演題:『これからの国と地方そして市民の役割』
主催:世界連邦運動協会石川県連合会
後援:北國新聞社

講師プロフィール:1967(昭和42)年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書を経て慶応義塾大学大学院修了(法学博士)。専門は日本政治及び政策過程。「参議院の将来を考える有識者懇談会」幹事、「地方分権推進委員会審議協力員」等を歴任、平成13年より政策研究大学院客員教授、日本学術新興学術研究員・米ジョージタウン大学客員・准教授など。
No.142 吉川友梨ちゃんを探しています

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/10/09(Thu) 19:15

大阪府熊取町で小学校4年の吉川友梨(ゆり)ちゃんが、5月20日、自宅近くから行方不明となっています。写真、特徴、服装などはウエブサイトに紹介されていますので、お心当たりの方は、些細に思えることでも、ぜひ泉佐野警察署捜査本部(0724-64-1234)へご連絡ください。

知人のそのまた知人の娘さんということですので、当掲示板でも紹介させていただきました。ご協力をお願いいたします。
No.143 第19回国際宗教学宗教史会議世界大会

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/10/24(Fri) 22:00

日本学術会議・日本宗教学会主催の「第19回国際宗教学宗教史会議世界大会」(2005年3月24日〜30日)のテーマは「宗教―相克と平和」(Religion: Conflict and Peace)ですが、サブテーマの一つに「戦争と平和、その宗教的要因」(The Religious Dimension of War and Peace)が設定されています。
No.144 自衛隊イラク派遣と憲法第9条

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/12/17(Wed) 17:27

毎日新聞2003年12月14日朝刊[時代の風]「イラク復興支援と憲法 解釈の迷宮から脱出を」(田中明彦・東大教授)を読みました。田中氏は、小泉首相が憲法前文を引用して「イラクへの自衛隊派遣は憲法違反ではない」と主張するのは憲法第9条に照らしても原理的に正しいと、首相を弁護しています。

まず、集団的自衛権に関連した憲法第9条解釈には二つの問題点があるとし、@憲法第9条には「集団的自衛権は行使できない」とは書いてない、A憲法第9条第一項は、侵略戦争の違法化という考え方に則して作成されたものだから、憲法第9条が「永久に放棄する」とした「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使」は、一方的な侵略行為のことであって、国際社会がその秩序を回復し平和を達成するために行う行動は、この第9条とは関係ない、と主張しています。

また、国連の平和維持活動(PKO)や国際社会が行う平和構築活動はそもそも憲法第9条の想定する事態とはまったくカテゴリーの異なる行動であり、このことは、憲法第9条とほぼ同じ精神のもとに作られた国連憲章が、侵略行為を禁止する一方、必要であれば侵略国に対して軍事力を行使することを認めていることからも明らかだ、と田中氏はみています。

しかしながら、憲法第9条第一項「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」を素直に読むならば、この場合の武力行使を「一方的な侵略行為」にのみ限定するのは無理だと思います。「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と第9条は明言しているのです。しかも、国際紛争の多くは、どちらかの「一方的な侵略行為」によるものかどうか判断が難しいのが一般的です。

確かに国連憲章は、安全保障理事会が場合によっては軍事的行動をとることできるように定められていますが、それはいくつもの段階を経てのことであり、まずは「紛争の平和的解決」(第6章)が要請され、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」(第7章)が必要な場合にも、暫定措置(第40条)や非軍事的措置(第41条)が優先されるのであって、いきなり軍事的措置に踏み切るわけではないのです。しかもイラク戦争の場合、多くの国々、特に常任理事国であるロシア・フランス・中国の反対を無視して米英軍はイラク攻撃に踏み切ってしまったのですから、国連軽視のそしりを免れないわけです。そういう脈絡を取り上げないで、「イラクへの自衛隊派遣は憲法違反ではない」と主張しても説得力に欠けるのではないでしょうか。

国連が世界の治安維持・回復のために国際警察軍的な機能をはたす制度を確立したならば、自衛隊がその一翼を担うということは将来的にありえてよいと考えますが、現在は時期尚早の感がいたします。
No.145 国際シンポジウム:人間の安全保障−地域研究の視座

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2003/12/19(Fri) 19:12

日本民族学会のメーリングリストで配信されたメール内容の一部を、発信者の三尾裕子氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)の承諾をえて紹介いたします。

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国際シンポジウム「人間の安全保障−地域研究の視座」のご案内

☆日時:2004年1月10日(土)10:00〜17:00
☆場所:霞ヶ関ビル・プラザホール 
〒100-6001 東京都千代田区霞ヶ関3-2-5 霞ヶ関ビル1F
営団地下鉄 銀座線「虎ノ門」駅より徒歩3分
       千代田線、日比谷線、丸の内線「霞ヶ関」駅より徒歩5-10分
☆スケジュール
10:00-10:20  挨拶と趣旨説明  黒木英充(東京外国語大学AA研)
第1部:地域研究は「人間の安全保障」をどうとらえるか
10:20-11:00  @フィールドにおける「人間の安全保障」
           速水洋子(京都大学東南アジア研)
           幡谷則子(上智大学外国語学部)
11:00-11:40  Aマルチ・ディシプリンと「人間の安全保障」
           松里公孝(北海道大学スラブ研)
           松林公蔵(京都大学東南アジア研)
11:40-11:50 休憩
11:50-12:30  B地域の多重性と「人間の安全保障」
           帯谷知可(国立民族学博物館地域研)
           島田周平(京都大学大学院AA地域研究研究科)
12:30-13:10  C地域研究における「介入」と「人間の安全保障」
           臼杵陽(国立民族学博物館地域研)
           古矢旬(北海道大学大学院法学研究科)
13:10-14:10  休憩
第2部:イラク戦争後の世界における「人間の安全保障」
14:10-15:10  講演@  ヨハン・ガルトゥング(平和学者)
                 通訳:西村文子
15:10-15:50  講演A  池澤夏樹(作家)
15:50-16:00 休憩
16:00-17:00  総合討論

参加費:無料(事前登録の必要はありません)
主催:地域研究による「人間の安全保障学」の構築プロジェクト
共催:地域研究コンソーシアム設立準備委員会
(「地域研究コンソーシアム」は、北海道大学スラブ研究センター、東北大学東北アジア研究センター、東京大学東洋文化研究所、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、京都大学東南アジア研究センター、国立民族学博物館地域研究企画交流センターが呼びかけ機関となって、地域研究に関心をもつ多くの機関と研究者が機関を超えて協力する形態を実現すべく準備中のものです。)
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国際シンポジウム「人間の安全保障−地域研究の視座」趣意書

「人間の安全保障」は最近10年間に急速に普及した概念です。背景には、冷戦後いよいよ激化する世界各地の内戦や地域紛争、政治的暴力の横溢に対する人々の危機感・焦燥感があります。そして、これまでのように国家暴力装置を強化してフル稼働させるだけでは、何ら解決にならないことへの直感的理解があります。また環境問題や人口問題の急速な進行に対する人々の漠とした不安も指摘できるでしょう。地球社会の安定的持続可能性、人間が人間らしく生きていけることに対する根本的な疑念が生じているのです。

こうしたなかで「人間の安全保障」に関する学的な取り組みは様々に展開されてきました。国際政治学は国家間の安全保障に代わる新たな概念を創り出そうと努力してきましたし、NGOの活動を「人間の安全保障」に関わる市民社会の営みとして位置づけ、理論化する努力もなされてきました。

しかし、人間の安全が脅かされる諸要因や紛争の現実の様態などを、世界各地の現地の社会的・文化的文脈の上に位置づけ、総合的に考究する営みは、これまで組織的には展開されてこなかった、と言わざるをえません。私たちは今、この「地域研究」を通じて、「人間の安全保障」を新たな学として構築する一歩を踏み出そうとしています。個人の生活レベルからグローバルな政治レベルまで、無限の多様性と広がりのなかで「人間の安全保障」をとらえ直す必要があるのです。

今回のシンポジウムは、地域研究は「人間の安全保障」にいかに取り組むべきか、地域研究を通じて「人間の安全保障」のなかにどのような新しい問題が発見できるのか、それはどのように解決できるのか、という見通しを得るために企画されました。

まず第1部では、地域研究の最前線に立つ研究者たちが4つの切り口からこの課題に迫ります。

@地域研究が拠って立つところのフィールドにおいて「人間の安全保障」はどのように立ち現れるのか
A地域研究が必然的に生み出すインター・ディシプリナリーな研究手法は「人間の安全保障」をどのようにとらえるのか
B地域研究が常に問題とする伸縮・重層する地域概念のなかで「人間の安全保障」はどのように映し出されるのか
C「人間の安全保障」を実現する過程で生じる「介入」と、地域研究はどう関わるのか

続いて第2部では、9.11とイラク戦争を通じて深刻な局面を迎えた地球社会をいかにとらえるか、そしてそのなかで「人間の安全保障」はどのように構想されるべきか、という問題について、透徹した視点から優れた文明論を展開する平和学者ヨハン・ガルトゥングさんと、世界各地の人々のまなざしに鋭敏に感応した発言を続ける作家の池澤夏樹さんが、縦横に論じます。それを受けて最後に総合討論を行ないます。
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三尾裕子
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
〒183−8534 東京都府中市朝日町3−11−1
電話とファックス:042−330−5683
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