掲示板「無煙喫茶」過去ログNo.176-No.209

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No.176 スマトラ地震・津波

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/01/04(Tue) 17:28

スマトラ沖地震による津波災害の大きさに唖然としています。初期の報道で死者数万人といわれていた時点で、その程度ではすむまい、10万人ぐらいになるのではと私は家族に話していたのですが、現時点で15万人を超え、最終的にどの程度になるか予想がつかないというのだから・・・。

1945年敦賀空襲で母方の実家が消失し、1948年の福井地震で父方実家が全壊したので、戦争と地震については物心ついてから敏感に反応します。「地震、雷、火事、親父というのは昔の話、いまでは地震、戦争、火事、エイズだ」と、どこかで語った憶えがあります。自然災害の猛威のことを考えれば、戦争やテロなどやってられますかと、声を大にして訴えたいですね。

自然災害といっても防災の努力によってかなり被害を減らすことができますから、無防備の状態で放置しておいて被害の拡大をまねくのは半分人災といえます。今回の津波で、潮が異常に引いたときに、地元の子どもたちや観光客が面白がってその場で遊んでいたという報道に接してびっくりしました。「潮が異常に引いたら津波が来るから高いところに逃げろ」という教訓は、小学校の授業で海辺に出かける前に聞いたことがあるからです。スマトラの一部の島でもそういう教訓が語り継がれていて、今回もいっせいに高台に逃げたので、犠牲者が少なくてすんだところがあるそうです。

No.177 1945年生

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/01/19(Wed) 17:49

「1945年生」というサイトを設けたことがあるものですから、「われら敗戦の年生まれ」と題する、車谷長吉、桜井よしこ、谷垣禎一3氏の鼎談が掲載されている文芸春秋1945年2月号を購入しました。この年生まれの著名人111名のリストが付されています。上記サイトに一部を引用しておきました。
No.178 還暦で亡くなった人

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/01/29(Sat) 19:14

山田風太郎著『人間臨終図鑑』(上下巻、徳間書店、1986)の上巻には、15歳〜64歳で亡くなった著名人が収録されています。今年還暦を迎える私と同じ年齢で亡くなった人として、下記の方々があげられています。

ジンギスカン(1167-1227)、日蓮(1222-1282)、コロンブス(1446-1506)、水戸斉昭(1800-1860)、横井小楠(1809-1869)、リヴィングストン(1813-1873)、ドストエフスキー(1821-1881)、スメタナ(1824-1884)、クラーク博士(1826-1886)、狩野芳崖(1828-1888)、黒田清隆(1840-1900)、明治天皇(1852-1912)、森鴎外(1862-1922)、辻潤(1884-1944)、木下杢太郎(1885-1945)、菊池寛(1888-1948)、石原莞爾(1889-1949)、小津安二郎(1903-1963)、谷内六郎(1921-1981)、戸川猪佐武(1923-1983)。

日本人の0歳平均余命は1947年で男50.06歳、女53.96歳、1950-1952年で男59.57歳、女62.97歳ですから、それが60歳を超えるのは1950年ころだと考えられます。それ以前ですと、日本人に限っても還暦を迎える前に亡くなる人のほうが多かったわけです。義父が60歳で亡くなった1980年代は、すでに人生70年とか80年とかいわれるような長寿社会になっていましたから、義父の死は少なくとも10年早いという感がいたしました。その年齢になってさらにその感を深くするとともに、年齢よりも生き様、死に様が問われるなあと、冒頭に掲げた本を拾い読みしながら思いました。

辻潤や谷内六郎(漫画家)、戸川猪佐武(政治評論家)については、名前を見ただけではどういう人だったかと首をかしげたのですが、上記の本を読んで、1956年創刊「週刊新潮」の表紙絵に起用され、以来25年にわたり同誌に「郷愁にみちた童画風の表紙を描きつづけた」というくだりで、アアあの絵を描いた人なのかと思い出したのが谷内六郎。政治小説『吉田学校』がベストセラーになり、映画化が完成してその試写を見た日の夜に泊まった定宿のホテル・ニューオータニで「腹上死」をとげたという方については、そういえばそういう記事を週刊誌で読んだことがあるなと薄らと記憶が甦りました。「妻伊藤野枝を友人の無政府主義者大杉栄に奪われたのち」「ダダイズムの旗手」として活動した辻潤のことは、伊藤野枝や大杉栄については知っているのに、私の記憶にはまったくありませんでした。
No.179 「終戦」か「敗戦」か

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/02/04(Fri) 20:19

8月15日を「終戦記念日」と呼ぶか、「敗戦記念日」と呼ぶかは、人それぞれですが、私は「終戦記念日」のほうがよいと思っています。「敗戦を終戦と呼んでごまかすのは、日本人の悪い癖だ」と批判する人がいますが、「侵略」を「進出」、「敗退」を「転進」などと言い換えてごまかすのとは違うのではないでしょうか。

敗戦時、「負けた」ことに悔し涙を流した日本人はもちろん大勢いたでしょうが、「負けた」ことよりも「終わった」という安堵の気持を抱いた日本人もまけないくらい大勢いたはずです。2年前に88歳で亡くなった母は、生前、「やっと終わった、ほっとした」と当時の感想を述べておりました。「終戦」は、他人事どころか、直接体験者の実感のこもった言葉なのです。母方の伯父は、真珠湾攻撃のラジオニュースを聞いて、「とんでもないことをしてくれた。中国を相手に泥沼状態に陥っているのに、対米英戦争を始めて勝てるはずがない。日本は負けるよ」と母に即座に言ったそうです。戦争末期、竹槍訓練に駆り出された母は、「こんな竹槍で戦って勝てるはずがない。こんな無駄なことをするくらいなら、家で洗濯をしているほうがましだ」と思って、家に帰ったところ、あとで婦人会長さんから「非国民!」と罵られたそうです。

戦争は、「勝者」にも「敗者」にも甚大な犠牲を強います。戦争に真の勝者はいません。そもそも戦争は問題解決に失敗した結果にほかならないのですから、どちらもほんとうは敗者なのです。「敗戦国」は、なぜ負けたかよりも、なぜ戦争をしてしまったのか、その原因をよく考えて反省し、二度と戦争をしなくてもすむようにすることのほうが大切です。「戦勝国」も戦争責任を「敗戦国」にのみ負わせるのではなく、自らの側にも少なからず原因があることを自覚しなければいけません。

第二次世界大戦が終わって60年目を迎える本年、日本だけでなく、世界的に考えても「終戦記念日」のほうが「敗戦記念日」や「戦勝記念日」よりも普遍性があります。
No.182 アレン・ネルソンさん講演会(金沢2005)

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/02/12(Sat) 11:12

アレン・ネルソンさん講演会&ピースコンサート
〜ベトナム帰還兵が語る『本当の戦争』〜

日 時:2月12日(土)13:15開場、14:00開演
場 所:石川県文教会館:金沢市尾山町10−5 
参加費:大人1000円/学生500円(大学生まで)
内 容 1部:ネルソンさん講演
    2部:バンド演奏(ブルーライナーズ、有&The Mentals)
主 催:ネルソンさんを金沢に呼ぶ会

☆プロフィール:アレン・ネルソン Allen Nelson
1947年、ニューヨーク、ブルックリン生まれ。アフリカ系アメリカ人。貧困ゆえに高校中退、海兵隊入隊。沖縄駐留を経て1966年ヴェトナム戦争に従軍。徐隊後、戦争後遺症に苦しむ。精神科医ニール・ダニエル博士との出会いから十数年かかって、戦場における「殺人」という自らが犯した罪を認めることにより「再生」。生命の尊さを訴え、貧困層が戦争に行かざるを得ないという社会の構造的暴力の解決を求めて倦むことなき行動を展開。この過程でThe Society of Friends(キリスト教フレンド派、通称クエーカー)の非暴力思想に共鳴し入会。1996年以来日本各地でも講演、特に日本国憲法第九条の人類史的意義を強調。講演後のブルース演奏も好評。(『You Don’t Know War〜Allen Says It’s Because of Article 9〜アレン・ネルソンの「戦争論」』、朗読CD付き、かもがわ出版、2003より引用)
著書:『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」―ベトナム帰還兵が語るほんとうの戦争』、講談社、2003、\1,365(税込)。
No.183 満員でした

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/02/15(Tue) 19:07

私が会場に着いたのは14:00過ぎ、ちょうどネルソンさんの講演が始まったところでした。会場1階はすでに満員でしたので、2階の最前列中央に座りましたが、講演が終わる頃には2階も満席になっていました。

講演内容は『You Don’t Know War〜Allen Says It’s Because of Article 9〜アレン・ネルソンの「戦争論」』に書かれていることと大体同じですが、オーケストラと同じように直接聴くのはそれなりのインパクトがあり、感銘を新たにいたしました。個人的にゆっくり話しあう時間はなかったものの、次の会場に向かう直前、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」―ベトナム帰還兵が語るほんとうの戦争』にネルソンさんのサインをしてもらい、握手も交わしました。

ネルソンさんよりも2歳年上の私は生後百日目に米軍B29編隊の空襲をうけ、また私が学生生活を送っているときにネルソンさんはヴェトナム戦争に従軍して“地獄”を経験しました。お互いの人生にかなりの違いはあっても、ほぼ同世代の者同士、「戦争」と「平和」をキーワードにいろいろ語り合いたい思いがいたします。

No.184 日本国憲法の前文―「無国籍」か「普遍的」か―

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/02/21(Mon) 18:51

改憲賛成の意見の中には、日本国憲法の前文が「無国籍」的だからもっと日本国にふさわしいものにというのがあります。しかしながら、私は憲法前文の普遍性を積極的に評価したいと思います。前文では、日本だけでなく、世界のどの国においても通用する普遍的な精神を掲げることが以前に増して大切なのではないでしょうか。現在の日本国憲法の基本的精神に根ざした方向で改憲するならともかく、逆方向の改憲には反対です。
No.186 衆院憲法調査会最終報告案の要旨

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/03/29(Tue) 16:05

毎日新聞3月29日朝刊に標記のことが報道されていました。

> 第1款 日本国憲法の制定経緯
> 日本国憲法の制定に対する一連のGHQの関与を「押しつけ」と捉(とら)えて問題視する意見もあったが、その点ばかりを強調すべきではないとする意見が多く述べられた。

「その点ばかりを強調すべきではない」というよりも、「押しつけ」ではない点を強調する意見や、「押しつけ」だったとしても「良いものは良い」という意見が多かったのではないでしょうか。


No.187 Re: 衆院憲法調査会最終報告案の要旨

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/03/29(Tue) 16:31

> 前文に歴史・伝統・文化等の我が国固有の価値を謳(うた)うべきであるとの意見が述べられた一方、歴史・伝統・文化は多様性を持っており、特定の価値観を規定することは慎むべきであるとする意見が述べられた。

どちらかといえば後者の意見に賛成です。

> 前文の文章・表現については、英語の構文に基づく前文を批判して日本語の構文に基づいて作ることが必要であるとする意見や、シンプルなものに改めるべきであるとする意見が多く述べられたが、前文の文章はしており、変える必要はないとする意見もあった。

「日本語の構文に基づいて作ることが必要である」が、内容的にはこれ以上余計なことを付け加える必要はないし、「国民の間に定着」した内容になっていると思います。ですから、文章を日本語としてこなれたものにするのなら、下記のような文章を手本にするとよいでしょう。

--------------------------------------------------------------------------------
池澤夏樹氏訳 日本国憲法全文

私たち日本人は、正しく選ばれた代表からなる国会を通じて、私たちと子孫のために、日本国を動かす機能は日本人全員が共有するものであること、この考えの上に立ってこの憲法をゆるぎなく制定したこと、をまず宣言する。

これは、世界の国々との協力のもとに得られる平和の成果やこの国土にゆきわたる自由の喜びを私たちが失うことがないように、また政府のふるいまいのために戦争の恐怖が再びこの国を襲うことがないように、と考えてのことである。

日本の政府は、日本人全員が信じて託した尊い意思によって運営される。日本政府の権威は日本人に由来する。私たちの権力は日本人を代表する人々の手を通じて行使され、その結果得られる幸福は日本のすべての人々が受け取る。

これは人類全体が共有する基本的な思想であって、この憲法もまたこの思想の上に作られている。

この思想と衝突するような憲法や法律、条例などを私たちは拒否するし、既存のものならば廃棄する。

私たち日本人はいつまでも平和を求める。世界の人々が仲よく暮らすためには高い理想は欠かせないから、私たちは常にこの理想を頭においてことを決める。この国の存続、この国の安全は、私たち同様に平和を大事にする世界の人々の正義感と信念に委ねよう。

国際社会が平和維持のために力を尽くし、暴君や奴隷制、圧制や不寛容などをこの世から一掃するために努力するならば、私たちはその社会の一角に名誉ある地位を得たいと思う。

世界中のすべての人々が、平和で自由な社会で恐怖や困窮に悩まされることなく生きるべきだ、と私たちは考える。

国というものは自国のことだけ考えていてはいけない。各国の政治は世界共通の道義に基づくべきである。正当な手続きを経て成立したと自負する主権国家ならば、同様の資格を持つ他国との交渉に際して、この道義を無視することは許されない。

私たち日本人は、ここに述べたような高い理想と目的を実現すべく自分たちの力のかぎり尽くすことを、国の名誉を懸けて誓うものである。
No.188 Re: 衆院憲法調査会最終報告案の要旨

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/03/29(Tue) 16:42

> 1 象徴天皇制に対する評価
> 現行の象徴天皇制については、国民から支持され定着しており、歴史的にみても本来の天皇制のあり方に適(かな)ったものであるとして、今後とも維持されるべきものであるという意見が多く述べられ、その存廃を当面の憲法問題とする意見はなかった。

象徴天皇制については現行のままでよいと思います。

> 2 天皇の地位
> 天皇を元首と認識すべきか否かについては、意見が分かれた。また、憲法に天皇が元首である旨の規定を置くべきか否かについても両論があったが、消極的な意見が多く述べられた。

「憲法に天皇が元首である旨の規定を置くべき」だとは思いません。

> 3 皇位継承
> 女性の皇位継承を認めることに慎重な意見もあったが、これを認める意見が多く述べられた。

「女性の皇位継承を認めること」に賛成です。
No.189 平和主義の維持

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/03/30(Wed) 11:41

> 安全保障については、まず、9条がこれまで我が国の平和や繁栄に果たしてきた役割を評価し、戦争放棄の理念を掲げる9条1項を堅持し、平和主義を今後も維持すべきであるとする意見が多く述べられた。

大いに首肯したい点です。

> 自衛権の行使として武力の行使が認められるか否かについては、自衛権の行使としてであっても武力の行使は認められないとする意見もあったが、自衛権の行使として武力の行使を求める意見が多く述べられた。

9条をめぐるいちばん難しい問題点ですが、国内の治安維持のために武力を持った警察組織が必要なように、国際的な治安維持のためには武力行使を必要とする場合もありえるわけですから、「自衛権の行使としての武力行使」を憲法で限定的に認めておく必要があると思います。

No.190 自衛権及び自衛隊と憲法規定との関係

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/03/30(Wed) 11:57

> 上記のとおり、自衛権の行使として武力の行使を認めるとする意見が多く述べられたところであるが、この意見は、自衛権及び自衛隊と憲法規定との関係に関しては、a自衛権及び自衛隊の憲法上の根拠を明らかにするための措置をとるべきであるとする意見、b自衛権の行使や自衛隊の法的統制に関する規定を憲法に設けるべきであるとする意見、c自衛のための必要最小限度の武力の行使を認めつつ、9条を堅持すべきであるとする意見に大別することができる。なお、cの意見の中には、自衛隊に関する規定を憲法に追加すべきかどうかについては、今後の議論の対象であるとする意見を含んでいる。
>
> また、d自衛権の行使としての武力の行使及び自衛隊に否定的な意見が述べられた。
>
> 上記のように意見は分かれているが、自衛権及び自衛隊について何らかの憲法上の措置をとることを否定しない意見が多く述べられた。

9条を素直に読めば、自衛隊は違憲の存在です。自衛隊の存在意義を認めるのならば、「自衛権及び自衛隊について何らかの憲法上の措置をとること」が必要です。ずるずると解釈憲法で自衛隊を野放しにするのではなく、憲法で自衛隊にきちんとタガをはめたほうがよいと思います。
No.191 集団的自衛権

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/03/30(Wed) 15:18

> 集団的自衛権の行使の是非については、これを認めるべきであるとしつつその行使の限度に言及しない意見、これを認めるべきであるとしつつその行使に限度を設けるべきであるとする意見及びこれを認めるべきでないとする意見に、ほぼ三分された。

「A国がB国から武力攻撃を受けた場合に、攻撃を受けていない第三国がA国を援助し、共同で防衛する権利、実質的には軍事同盟を結ぶ権利」(前田哲夫編『岩波小辞典 現代の戦争』)を集団的自衛権と定義するならば、集団的自衛権の行使は違憲であり、改憲する場合には「集団的自衛権の行使を認めない」と明確に規定するべきです。

> 集団的自衛権の行使を認めるべきであるとの意見は、米国と共同して行う我が国の防衛及び我が国周辺における国際貢献をより円滑・効果的に行うため、あるいは、米国との対等な同盟関係を構築するためにこれを認めるべきであること、アジア地域における地域安全保障の枠組みを構築する場合に、我が国も同等の責任を負う必要があること等を論拠としている。
>
> 集団的自衛権の行使の限度については、限度を付すことにより他国と共同して行う活動に支障を来す場合も想定されるため、憲法にあらかじめ限度を設けるべきではなく、状況に応じて随時、政策判断をなすべきであるとする意見と、集団的自衛権は、抑制的・限定的に行使すべきであり、同盟国間に限定する、東アジア地域に限定する、あるいは我が国の死活的利益に重大な影響がある場合に限定するなどの限度を設けるべきであるとの意見等が述べられた。
>
> 集団的自衛権の行使を認めるとしても、当該行使についての法的根拠を憲法に置くべきであるとする意見が多く述べられたが、憲法解釈の変更によって行使が認められるとする意見もあった。
>
> 集団的自衛権の行使について解釈の変更により認められるとする意見は、国家は、その固有の権利として、個別的・集団的を問わず自衛権を有し、行使できるのであり、集団的自衛権の行使を認めることを憲法に明記する必要はないとするものである。
>
> 一方、集団的自衛権の行使を認めるべきでないとする意見は、集団的自衛権は国連憲章上例外的かつ暫定的なものとされ、現実には軍事同盟の根拠とされていること、その行使を認めることはアジア諸国に対して不信感と脅威を与える結果となること等を論拠として挙げている。

この最後の意見に賛成です。特定の国との安全保障条約ではなく、世界連邦の実現を目標に掲げて国連を大改革し、加盟国全体による安全保障体制をつくるべきです。米国に偏して軍事同盟を強化するのはかえって危険が大きいと思います。
No.193 国連の集団安全保障活動への参加

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/04/01(Fri) 17:07

> 国際協力の一類型である国連の集団安全保障活動への参加の是非については、参加は非軍事の分野に限るべきであるとする意見もあったが、国連の集団安全保障活動に参加すべきであるとする意見が多く述べられた。

世界連邦運動(WFM)が構想する世界連邦では、世界連邦警察軍が世界の安全保障の責任をもち、各国の軍備は大幅に縮小または全廃されます。このような集団安全保障体制が実現すれば、軍事・非軍事を問わず自衛隊もその活動に参加するのが当然ですし、それに至る過渡的段階としての国連活動においてもなんらかのかたちで参加するのが望ましいと思います。

> 国連の集団安全保障活動に参加すべきであるとする意見は、論拠として、(1)国際の平和と安全から大きな恩恵を享受する我が国には、経済大国にふさわしい国際貢献を行う責任があることや(2)一国平和主義から脱却して他国とリスクを共有すべきであること等を挙げている。

(1)についてはともかく、(2)には引っかかりを感じます。第一に、一部の人たちから「一国平和主義」というレッテルを貼られている護憲派は、「日本だけ平和であればよい」などと主張しているわけではなく、世界平和のためにはかくあるべきだと主張しているのです。第二に、「他国とリスクを共有」するということの中身が問題です。たとえば、アメリカがイラクのフセイン政権を倒すために武力攻撃を仕掛けた(あるいは仕掛けようとした)ときに諸手をあげて賛成して自衛隊を派遣するリスクと、その時点の武力攻撃には賛成せずにその後のイラク再建のために条件付で自衛隊を派遣するのとでは、リスクの意義が違ってくるはずです。

> 国連の集団安全保障活動に参加すべきであるとしても、当該参加の法的根拠を憲法に置くことの要否については、現行憲法の下でも当該参加が可能であるとする意見もあったが、憲法に規定を置くべきであるとする意見が多く述べられた。憲法に規定を置くべきであるとする意見は論拠として(1)国連軍や多国籍軍を含め積極的に参加することを憲法上可能とする必要や(2)当該参加に係る武力行使を限定的なものとするための歯止めとしての規定を設ける必要があること等を挙げている。また、現行憲法下でも参加が可能であるとする立場からは、集団安全保障活動は9条が禁ずる国権の発動としての武力行使ではなく、前文の国際協調主義に基づくものであり、自衛のための必要最小限度の武力行使と別枠で認められていると解釈することが可能とする意見等が述べられた。

自衛隊の存在を憲法できちんと規定するべきだという立場からすれば、国連の安全保障活動に参加することについても当然、憲法に規定を設けるべきだと考えます。9条を素直に読めば、自衛隊の存在は違憲ですから、当然、国連の安全保障活動に自衛隊が参加することも違憲となります。

> 国連の集団安全保障活動に参加すべきではないとする意見は、論拠として、当該参加は憲法に違反することや、我が国が軍事的強制措置に参加することは、アジア諸国に対し不信感と脅威を与えるおそれがあること等を挙げている。

現状ではそのような危惧が抱かれるのも当然だと思います。

No.194 国民の義務規定

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/04/01(Fri) 17:18

> 義務規定を増設することに積極的な意見は、論拠として(1)戦後、日本の社会の各方面において、権利の裏にある義務に対する認識が非常に希薄になり、国家、社会、家族・家庭への責任や義務が軽視され、権利主張のみが横行して他者の権利を侵害し、社会の混乱を引き起こすという弊が生じていること(2)権利の行使には義務の履行が伴うことなどを論拠として挙げている。国防、環境保全、投票等を義務規定として追加することを提案している。
>
> これに対し、義務規定増設に消極的な意見は、近代立憲主義の憲法観を前提として、憲法の規範の名宛人(なあてにん)は公権力であり、国民に対して義務や責任を多く課すべきものではないことを主たる論拠とし、憲法に義務規定を追加しても問題解決にならないことをも論拠としている。

後者の意見に賛成です。
No.195

投稿者名: 御所町出身
投稿日時: 2005/05/28(Sat) 23:35

卯辰山流刑キリシタンの可能性のある
金沢市御所町出土人骨群について
父から聞いた話ですが、父方の祖父の友人が
戦後間もない頃、御所町の人骨が出土した場所で
売春婦の斡旋所を開いていたそうです。
健康管理はいいかげんで亡くなった女性は墓も立てず
棺おけに入れて埋葬していたそうです。
このことは叔父も記憶していて、
子供の頃、祖父に連れていかれたとき土の中から
手が出ていて、祖父が「何も見なかった、見なかった」
と言いながら足で土をかぶせていたそうです。
棺おけに使われた釘は江戸末期から明治初期のものということで
わたしも最初は父の話とは関係ないと思いましたが、
昔は鉄が貴重で、鍛鉄し直しては使用していたことに気づきまして
もしかしたらと言う気持ちで
ここに投稿させていただきます。
ぜひ、お返事をお願いいたします。

No.196 金沢市御所町出土人骨群

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/05/29(Sun) 18:26

ご投稿、ありがとうございます。

>卯辰山流刑キリシタンの可能性のある
>金沢市御所町出土人骨群について
>父から聞いた話ですが、父方の祖父の友人が
>戦後間もない頃、御所町の人骨が出土した場所で
>売春婦の斡旋所を開いていたそうです。
>健康管理はいいかげんで亡くなった女性は墓も立てず
>棺おけに入れて埋葬していたそうです。
>このことは叔父も記憶していて、
>子供の頃、祖父に連れていかれたとき土の中から
>手が出ていて、祖父が「何も見なかった、見なかった」
>と言いながら足で土をかぶせていたそうです。

そのようなことがあったとは驚きです。詳細について知りたいと思いますので、ご氏名、ご連絡先を当方のeメール宛にお知らせ願います。

斡旋所があった場所が「御所町の人骨が出土した場所」ということですが、人骨が出土した地点そのものなのでしょうか、それともその近辺ということなのでしょうか。近辺といってもどの程度の位置関係にあるのでしょうか。

亡くなった売春婦が埋葬されたとのことですが、例の人骨群は女性だけでなく男性も含まれており、しかも年齢構成も若者だけでなく子供から老人までと幅があります。

例の人骨群には梅毒などの性病の痕跡は認められていません。

埋葬姿勢の方角に規則性が見られ、キリシタンの埋葬習慣との一致が指摘されています。

>棺おけに使われた釘は江戸末期から明治初期のものということで
>わたしも最初は父の話とは関係ないと思いましたが、
>昔は鉄が貴重で、鍛鉄し直しては使用していたことに気づきまして
>もしかしたらと言う気持ちで
>ここに投稿させていただきます。

戦後間もない、物資乏しいころとはいえ、江戸末期から明治初期の釘を鍛造し(たたき)なおすよりも、ふつうに作られた鉄釘を使うほうがずっと手軽で経済的だったと思います。また、放射性炭素による年代測定結果は、昭和20年代よりも、釘の形態的特徴から推定された「江戸末期から明治初期」という年代に近い測定値を示しています。

いずれにしましても、このたびお知らせいただいた事実も隠されてきた歴史の一端ですから、できるだけ正確に事実関係を把握したいと存じます。よろしくお願いいたします。

No.197 Re: 金沢市御所町出土人骨群

投稿者名: 御所町出身
投稿日時: 2005/05/29(Sun) 21:59

さっそくご返信いただき、ありがとうございます。

>そのようなことがあったとは驚きです。詳細について知りたいと思いますので、ご氏名、ご連絡先を当方のeメール宛にお知らせ願います。

もうしわけありませんが、このままでの投稿をお許しください。
私は、金沢在住の29歳の男です。
御所町出身とは祖父母の代まで御所町に住んでいたのでこの名前に致しました。

>斡旋所があった場所が「御所町の人骨が出土した場所」ということですが、人骨が出土した地点そのものなのでしょうか、それともその近辺ということなのでしょうか。近辺といってもどの程度の位置関係にあるのでしょうか。

この話は、御所町出土人骨が新聞に掲載されてまもなく、
県外に住んでいる叔父が2,3日我が家に泊まった時に父と叔父が記事を見ながら
話していたことなのです。父はその斡旋所に行ったことは無く、
卯辰山トンネルの工事現場のあたりに斡旋所があったことは祖父から話だけは聞いていたと
叔父に話していました。
それに対して叔父は、「親父に子供の頃連れて行かれた。確かにあの場所だ。」
と、言っていました。
まことに、曖昧な情報で申し訳ありません。

>亡くなった売春婦が埋葬されたとのことですが、例の人骨群は女性だけでなく男性も含まれており、しかも年齢構成も若者だけでなく子供から老人までと幅があります。
>
>例の人骨群には梅毒などの性病の痕跡は認められていません。
>
>埋葬姿勢の方角に規則性が見られ、キリシタンの埋葬習慣との一致が指摘されています。
>
>戦後間もない、物資乏しいころとはいえ、江戸末期から明治初期の釘を鍛造し(たたき)なおすよりも、ふつうに作られた鉄釘を使うほうがずっと手軽で経済的だったと思います。また、放射性炭素による年代測定結果は、昭和20年代よりも、釘の形態的特徴から推定された「江戸末期から明治初期」という年代に近い測定値を示しています。

亡くなった売春婦の方々の遺骨の可能性が無いようでホッと致しました。
只、父が戦後間もない頃の話をよくするのですが、鉄類は全部軍部に提出して
鍋、金槌はおろか、釘も一本も無かった、だから古い建物を壊して、木材は火をくべる薪に、
釘も一本も余さず使いまわしていた話を聞いていたので。

父は祖父の話を余りしたがりませんし、叔父の方は奈良県の方に住んでいまして、
体調もあまり良くなく今後金沢に来る事も難しいようなので、情報は以上の事だけに
なるかもしれません。
祖父が亡くなるまで同居していた叔父がもう一人いるのですが、
ここ十数年間連絡がとれず、この人に聞けば、又いろいろな情報を得ることが出来るかもしれませんが。
情報を得ることが出来ましたら、お知らせいたします。
No.198 Re: Re: 金沢市御所町出土人骨群

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/05/30(Mon) 10:07

>もうしわけありませんが、このままでの投稿をお許しください。
>私は、金沢在住の29歳の男です。
>御所町出身とは祖父母の代まで御所町に住んでいたのでこの名前に致しました。

この種の問題については情報の信頼性が重要ですので、匿名ではないほうがよいわけです。また、当方としては公開の掲示板では話しにくいこともあります。しかしながら、掲示板だからこそ、こういう情報が寄せられるということもありますので、一長一短というところでしょうか。

>この話は、御所町出土人骨が新聞に掲載されてまもなく、
>県外に住んでいる叔父が2,3日我が家に泊まった時に父と叔父が記事を見ながら
>話していたことなのです。父はその斡旋所に行ったことは無く、
>卯辰山トンネルの工事現場のあたりに斡旋所があったことは祖父から話だけは聞いていたと
>叔父に話していました。
>それに対して叔父は、「親父に子供の頃連れて行かれた。確かにあの場所だ。」
>と、言っていました。
>まことに、曖昧な情報で申し訳ありません。

「正確な場所は分からないが、戦後間もないころ、工事現場付近に斡旋所があり、女性が棺桶に入れられて埋葬されることがあった」という情報も念頭において、今後の調査を進めたいと思います。

>亡くなった売春婦の方々の遺骨の可能性が無いようでホッと致しました。
>只、父が戦後間もない頃の話をよくするのですが、鉄類は全部軍部に提出して
>鍋、金槌はおろか、釘も一本も無かった、だから古い建物を壊して、木材は火をくべる薪に、
>釘も一本も余さず使いまわしていた話を聞いていたので。

釘についてのご指摘の点も念頭において調査を進めます。わけありのご遺体をキリシタン埋葬地に偶然重複して埋葬したという可能性も考慮する必要がありますから。

>父は祖父の話を余りしたがりませんし、叔父の方は奈良県の方に住んでいまして、
>体調もあまり良くなく今後金沢に来る事も難しいようなので、情報は以上の事だけに
>なるかもしれません。
>祖父が亡くなるまで同居していた叔父がもう一人いるのですが、
>ここ十数年間連絡がとれず、この人に聞けば、又いろいろな情報を得ることが出来るかもしれませんが。
>情報を得ることが出来ましたら、お知らせいたします。

よろしくお願いします。

No.199 Re: シンポジウム”中東和平推進と世界連邦運動”

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/07/02(Sat) 21:12

遅くなりましたが、シンポジウムの際の山出金沢市長挨拶(赤穂助役代読)をWFM石川のホームページに掲載しましたので、ご一覧ください。
No.200 金沢犀川ワイズメンズクラブ

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/07/02(Sat) 21:35

金沢犀川ワイズメンズクラブのホームページ作成のお手伝いをしています。このページを訪ねると、ちょっとした金沢見学を楽しむこともできます。
No.201 Re: 金沢市御所町出土人骨群

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/11/28(Mon) 00:19

>亡くなった売春婦が埋葬されたとのことですが、例の人骨群は女性だけでなく男性も含まれており、しかも年齢構成も若者だけでなく子供から老人までと幅があります。

「男性も含まれており」は、「男性も含まれている可能性があり」に訂正しておきます。少なくとも28人、最大40人の遺体で構成されているという点でも売春婦が埋葬されたものではないと思います。

No.202 Re: 還暦で亡くなった人

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/12/16(Fri) 12:58

>今年還暦を迎える私と同じ年齢で亡くなった人

還暦は満ではなく数え年が本来的ですが、ここでは満で60歳ということにしておきます。

真珠湾攻撃(1941年12月8日)の立案者として知られる山本五十六(1884-1943)は、私と同じ4月4日生まれですが、数えの60歳で亡くなりました。


No.203 「誤報」と「開戦判断」

投稿者名: ソフィー
投稿日時: 2005/12/16(Fri) 19:00

アメリカのブッシュ大統領は、イラク大量破壊兵器保有の情報は誤りだったと認めながらも、イラク攻撃によってフセイン政権を倒すことができたのだから開戦判断は正しかったと主張している。ということは、ブッシュ大統領たちは、その情報が入る前から武力介入してでもフセイン政権を倒そうと思って機会をねらっていたということではないだろうか。

たとえ反民主主義的な政権であったとしても、他国の政権を武力で倒すようなことは国際法に反する行為である。3万人のイラク市民と2000人のアメリカ兵の死者を出しながら、なお自爆テロの続くイラクの現状を見れば、平和的手段で粘り強く交渉して民主化を進めるほうが結局は犠牲が少なくてすむように思う。

日本国憲法第1項「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」は、日本国民だけでなく世界中の人々が心すべきことである。

自衛隊のイラクでの貢献は、同じことをするにしてもブッシュ政権に追随してではなく、それとは明確に一線を画して、開戦には反対であるが人道的見地から派遣するという独自の立場を最初から表明して行うべきであった。

No.204 「ベアテ・シロタ・ゴードン」

投稿者名:ソフィー
投稿日時:2006/01/01(Sun) 02:05

GHQによる日本国憲法の草案起草において女性の権利条項を担当したベアテ・シロタ・ゴードン女史(当時22歳)が第147回参議院憲法調査会(2000)で発言した記録がウエブサイトに紹介されていました。


“私は、戦争の前に10年間日本に住んでいましたから、女性が全然権利を持っていないことをよく知っていました。だから、私は憲法の中に女性のいろんな権利を含めたかったのです。”

“ケーディス大佐は、あなたが書いた草案はアメリカの憲法に書いてあるもの以上ですよと言いました。私は、それは当たり前ですよ、アメリカの憲法には女性という言葉が一項も書いてありません、しかしヨーロッパの憲法には女性の基本的な権利と社会福祉の権利が詳しく書いてありますと答えました。”

“最後には運営委員会は私が書いた条項から次の言葉だけ残しました。すなわち今の第24条、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」、それだけが残りました。”

“日本の国民は新しい憲法を喜んで受け入れました。日本の政府はそのときに余り喜ばなかったのです。日本の国民は、日本の憲法がマッカーサー元帥のスタッフによって書かれたということは知りませんでした。しかし、1952年に占領軍がアメリカに帰ったときに、ある日本の学者と新聞記者はそのことを知って、この新しい憲法は日本に押しつけられたものであるから改正すべきだと主張しました。”

“マッカーサー元帥が憲法を日本の政府に押しつけたということが言えますでしょうか。普通、人がほかの人に何か押しつけるときに、自分のものよりいいものを押しつけませんでしょう。日本の憲法はアメリカの憲法よりすばらしい憲法ですから、押しつけという言葉を使えないかもしれません。特に、この憲法が日本の国民に押しつけられたというのは正しくありません。日本の進歩的な男性と少数の目覚めた女性たちは、もう19世紀から国民の権利を望んでいました。そして、女性は特別に参政権のために運動をしていました。この憲法は、国民の抑えつけられていた意思をあらわしたので、国民に喜ばれました。”

“ある方は、この憲法は外から来た憲法であるから改正されなければならないと言います。日本は、歴史的にいろんな国からずっと昔からよいものを日本へ輸入しました。漢字、仏教、陶器、雅楽など、ほかの国からインポートしました。そして、それを自分のものにしました。だから、ほかの国から憲法を受けても、それはいい憲法であればそれでいいではないですか。若い人が書いたか、年とった人が書いたか、だれがそれを書いたということは本当に意味がないでしょう。”

“この憲法は50年以上もちました。それは世界で初めてです。今まではどんな憲法でも40年の間に改正されました。私は、この憲法が本当に世界のモデルとなるような憲法であるから改正されなかったと思います。”

“日本の憲法のおかげで日本の経済がすごく進歩しました。武器にお金を使わないで、そのお金をテクノロジー、教育、建築などのために使って、日本が世界の中で重要なパワーになりました。隣のアジアの国々も日本について安全な気持ちを持っています。日本の女性はそれをよくわかっています。”

日本の女性にもよくわかっていない人はいるだろうから、シロタ女史の回顧録をよく読んでおくとよいと思う。
No.205 千玄室「一碗から平和を」

投稿者名:ソフィー
投稿日時:2006/01/05(Thu) 17:04


讀賣新聞2006年1月5日朝刊「時代の証言」に茶道の大家・千玄室氏の話が掲載されています。氏は特攻隊員として生き残った経験から平和への思い強く、「一碗からピースフルネス」をモットーに世界各国を歴訪。

2005年6月25日に沖縄戦没者らの霊を慰める献茶を糸満市摩文仁の平和記念公園で行った際、米軍の司令から招かれて、27日沖縄市の米軍基地で講演、「いかに戦争というものが無駄なことか。人間が犯してはならないものが戦争であり、憎しみあうことだ」と説いたとのことです。
No.206 ベアテ・シロタ・ゴードン

投稿者名:ソフィー
投稿日時:2006/01/05(Thu) 19:20


ベアテ・シロタ・ゴードン女史については、下記ページに詳しく記されています。

ウィキペディアのフリー百科事典:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%B3
No.207 フルブライト元米上院議員の提言

投稿者名:ソフィー
投稿日時:2006/01/06(Fri) 18:04


「私は日本の平和憲法とそれに基づく国連中心外交、非武装政策を最も高く評価する一人だ。私が望むのは、日本が大国にふさわしい知恵と金と設備、人材を提供して、世界平和のための貢献をしてほしいということだ。平和維持に軍事力以外の方法があることを身をもって示し、米国に範を垂れてほしい、と願っている。」(「今月のことば」軍縮問題資料No.296,2005)

朝鮮戦争勃発後、日本は「警察予備隊」→「保安隊」→「自衛隊」というように実質的に再軍備化されたから、「非武装政策」というよりも「軽武装政策」と言ったほうが的を得ているが、最近の憲法問題を考えるにあたって、フルブライト奨学金で知られるフルブライト元米上院議員(1905〜1995)の提言をよく噛み締めておきたい。
No.208 榊原英資「年金・医療で議論を挑め」

投稿者氏名:ソフィー
投稿日時:2006/1/13(Fri)11:20


朝日新聞2006年1月6日朝刊の「三者三論 前原民主党、どうする」で榊原英資氏は、以下のように述べています。

「憲法改正や安保論争は、国民のほとんどは興味がないと思う。それよりも重要なのは、国民が関心や不安を抱いている年金や医療、税金の問題。代表選では年金や医療、増税についてどう考えるのかを議論してほしい。」

しかし、国家予算の配分の仕方を考えてみてもわかるように、改憲・安保問題は年金・医療・税金問題と切り離して論ずるわけにはいかない。両問題は根っこでつながっているということを分かりやすく示し、議論を挑んでもらいたい。
No.209 「白黒決着」苦手な日本人

投稿者氏名:ソフィー
投稿日時:2006/2/8(Wed)19:57


讀賣新聞2006年2月8日朝刊掲載の矢野直明氏“IT 日本人には「パンドラの箱」”の主旨に同感。二者択一の事態に直面したとき、欧米人は自己責任でどちらかを選択して突き進むが、日本人は判断停止してその場の雰囲気に流されがち。コンピュータは二者択一の世界だから、欧米人との相性がよいが、日本人には扱いやすいものではない。「サイバー空間は『個』をあぶりだす」はずなのに、日本の場合は、かえって全体の雰囲気を一方的に拡大しかねない。

Yes、Noをはっきり言わない国民性は短所にも長所にもなる。「無宗教」的な日本では宗教戦争が起こりにくい反面、思想統制にたいする抵抗力が弱い。要注意である。