平口幸枝:最後の“メッセージ”




窓近くのピンクのばらが
のき高く咲き
美しくせっかく咲いたのに
どうしてスケッチしてくれないの
と云っているようだ
ゴメンゴメン
明日こそ朝早くから
スケッチしようと思ふことは
気持ときめかして
云ってみるのだけれど
どうなることか
美しく咲いてくれた
ピンクのばらさん
ごめんネ
明日は元気になろう!!


(幸枝ノート 2002.6.1)
解 題


2002年1月15日以降の在宅療養中、心筋梗塞の治療薬の影響もあってか、創作意欲をすっかりなくしていたのだが、暖かい季節に向うにつれ、介護の効果も徐々にあがってきた。6月に入って、介護ヘルパーが庭のバラを一枝とって卓上の花瓶にいけたところ、これを勢いよくスケッチし始めた。これはよい兆候と喜んだ二男がユリの花をいけるとこれもすぐにスケッチ、長女がいけたドクダミの花もスケッチ、それではとさらに二男が追加したストケシアやアジサイ、いただき物のサクランボもたちどころにスケッチ、それらを組み合わせた絵も描き、みるみるうちにスケッチブックは花々でうめられて二冊を数えるまでになった。

母は便をしたくなってトイレに行っても出ないということが度々あったので、元気が出てきた頃を見計らって、日頃お世話になっている病院と同じ系列の別病院に検査入院することになった。朝方、同居の二男(私)が病院まで付き添い、若い感じのよい女性看護師に事情をよく説明してから出勤した。午後、病院に様子を見に行った姉から電話があり、母が急性肺炎になって大変な状況だとのことなので、驚いて病院に車で駆けつけた。大腸の検査だけすればよいのに、検査担当の医師が何を勘違いしたのか最初に胃カメラ検査をしようとし、これがうまくいかず、母が検査薬を誤飲して肺炎になったというわけである。この医療過失が原因で、母は1ヶ月近く苦しい闘病生活を余儀なくされ、7月31日に亡くなってしまった。看護師だけでなく、検査を担当する医師に直接会って話をしておけば、こういう医療過失は起きなかっただろう。いまだに悔やまれてならない。

このバラの木は、つつじが丘から小将町の一角に移植され、毎年元気に花をつけている。

華徳 金沢ひまわり平和研究室 管理者 平口哲夫