鯨類と人間

―医科大学一般教育における少人数グループ教育の一実践報告―

平 口 哲 夫

(金沢医科大学教養論文集, 20:111-136, 1992, 改訂)

Cetacean and Human Being
A Report of Small Group Teaching in the General Education of the Medical School

Tetsuo HIRAGUCHI

(Memoirs on Liberal Arts and Sciences, Kanazawa Medical University, 1992, revised)
目 次


はじめに

 金沢医科大学の一般教育においては、昭和47年(1972)の開学当初から教養セミナーが開講されてきた。この教養セミナーは、教師からの一方通行的な講義の弊を補う目的で企画されたもので、対話を基調として教師と学生との交流を深めつつ、教師の専門領域を媒介として向学心を促すとともに、生活指導の機会にもなるように配慮されてきた。いわば少人数教育と指導教員制を組み合わせたかたちの教養セミナーは、毎年改良を加え経験を重ねることによって、本学1年生の実態に即した有効な教育・指導方法として定着したのであった。しかし、全学的なカリキュラム変更の動きのなかで教養セミナーについても見直しの必要に迫られ、平成3年度のカリキュラムでは、第1学年〜第4学年において新たに開講されることになった総合セミナーの枠組みの中で、第1学年についてのみ従来の教養セミナーを「総合セミナー」の名で実施することになった。さらに、平成4年度においては、それまで年間を通じて同一学生を担当してきた方式を改め、第1学期から第3学期までの学期ごとに受講生を入れ替えることになった。 このような流れの中で、当セミナーの効果をあげるために、筆者もいろい ろ試行を重ねてきたのであるが、平成4年度は従来のやり方を思いきって変え、以下のような基本的手順でセミナーを進めることにした。

 (1) 学生は、初回に当セミナーの趣旨について説明を受け、セミナーの内容や進め方について意見を述べるとともに、自分で課題を選ぶ準備をする。
 (2) 2回めまでは、平易な入門書を読んだり、関連ビデオを見たりすることにより、自らの関心を高め、課題を選ぶための予備知識を得る。
 (3) 3回めから学生自身が当番制で司会と発表を担当する。
 (4) 発表者は発表原稿を用意し、そのつど提出する。
 (5) 学生は毎回全員、前回のセミナーについてのレポートを提出し、添削されたレポートを返してもらう。
 (6) 担当教員も、毎回セミナーの記録をとっておき、学生の成績を評価したり、セミナーのやり方を検討する資料として活用する。
 (7) 学生は、最終回後にまとめのレポートと感想文を提出する。

 セミナーの記録を正確にとるには、録音がいちばんであるが、構成員の自然な振舞いを妨げるおそれがある。そこで、セミナー終了後、記憶の新しいうちにワープロで出来るだけ詳細な記録を作成しておくことにした。この作業を毎回行なうことはかなり面倒な仕事であるが、少なくとも第1学期は貫徹し、第2学期以後の参考にすることにした。この試みがどの程度成功したかはともかく、少人数教育のあり方を考えるためのたたき台として、以下に記録の要約を掲載する。学生の姓は仮名である。
 なお、各セミナーへの学生の振り分けは、学生自身のくじ引きにより選択希望の優先順位を決める方式がとられた。時間は1回50分である。当セミナーの受講生4人(男1人、女3人)の年齢構成は、19歳3名と21歳1名であるから、大学1年生としてはごく普通といえる。学生のレポートについては、文章の趣旨や個性が損なわれない程度に最低限の添削をし、さらにパラグラフの調整を施すとともに、表記上の統一をはかった(たとえば、種名をカタカナ表記にするとか、「分かる」や「判る」を「わかる」に統一するなど)。

1 実施記録

1)4月14日(火)W限 オリエンテーション

 a.はじめに
 平口:セミナーを始めるにあたって、まずワンポイント自己紹介をしてもらおう。
 (学生自己紹介、省略)
 平口:どうして動物考古学というセミナーをやるようになったのか。旧石器考古学が専門だったが、この時代の遺跡の場合、日本では石器と動物遺体がいっしょに出るのはまれ。ところが、本学に就職して最初に発掘調査主任をしたのが縄文時代の宇ノ気町上山田貝塚。貝塚からは石器も動物遺体も多数出土するので、両方比較しながら研究できる。そこで動物考古学も手掛けるようになった。その後、能都町真脇遺跡から出土した多量のイルカ骨を調査する機会に恵まれ、従来から興味をもっていた鯨類にのめりこんでしまったというわけ。

 b.当セミナーについての説明
 平口:教育要項では、総合セミナーの一般目標として「“患者を中心に考える”ことを身につける」、その第1学年の行動目標として「読書・作文・会話・思考力・マナーなどを身につける」が掲げられ、そして「動物考古学」のテーマと内容が示されている。しかし、一般目標と行動目標とテーマとのあいだに一見脈絡がないようにみえるかもしれない。みなさんはどう思うか。
 冬野:思考力・マナーが大切なのはよくわかる。
 夏島:会話というのも患者との関係で大切だと思うが、読書・作文というのがいまいちぴんとこない。
 平口:学生便覧に掲げられている“建学の精神”には、「倫理に徹した人間性豊かな良医を育成する」とあるが、これこそ“患者を中心に考える”ことを身につけるための基本をなすものといえよう。けれども、この精神はなにも医師にのみ求められることではなく、人間だれしもが心がけなければならないことだ。とくに患者といわなくても、「相手の身になって考える」態度がお互い大切。そのためには、まず「相手を理解する」ことが必要。患者は性、年齢、職業、人生経験などの違う、様々な人からなるのに、私たちが直接体験できることはごく限られている。しかし、直接体験できなくても、読書によって間接的に経験をひろめ深め、相手を理解するだけの教養を身につけることができる。
 冬野:では、作文というのは。
 平口:たとえば、医師はカルテを書かなくてはいけない。観察したことを正確に書く訓練が必要だ。論文やレポートをまとめることもある。このセミナーは、「鯨類と人間」について考えることを通して、教育要項に示された目標に近づくことをねらっている。こういうと堅苦しく思われるかもしれないが、セミナー自体は大いに楽しんでもらえばいい。 冬野:これからどんなことをするのか。

 c.予定
 平口:教育要項にあげておいた『魅惑の真脇人』と『C・W・ニコールの海洋記』以外に、『理科系の作文技術』を読んでおいてもらいたい。この作文技術についての本は読んだことがあるか。
 全員:この本ではないが、作文や小論文の書き方についての本は読んだことがある。
 平口:受験参考書とは性格がことなる本なので、ぜひ読んでほしい。『魅惑の真脇人』と『C・W・ニコールの海洋記』は、ここに2部ずつあるので、来週までに回し読みし、各自のテーマを考えておくこと。来週は、各自のテーマを決めることと、第3回目以降の予定を検討しよう。今回は最初なので、私がおもに話したが、次回からはみなさんが中心になるように。それから、今回どのようなことをしたか、横書き 400字詰め原稿用紙1枚程度にまとめてくること。


[第1回セミナーについてのレポート]

◇春川:(前略)はじめ自分たちと先生のワンポイント自己紹介をそれぞれ言い合った。みなさん、いろいろなところから金沢医大に来ていた。次に、当セミナーについての説明が先生からあり、海洋環境や鯨類は現在どのような状態になっているのだろうか、ということはもちろんのこと、本をたくさん読んだり、文章を書いたりして間接的な経験をつんだり、社会に対するマナーを習うなど、いくつかの指摘があった。そして、今後当セミナーにおいてどんなことをしていきたい、または、していったら良いのかという説明があり、指定の2冊の本から自分のやりたいテーマを探してきなさいという宿題がでた。(後略)
◇夏島:鯨類について、私の知っていることといえば、海にいる哺乳類ということと、捕鯨が禁じられつつあること、という2点ぐらいである。このセミナーのために読むように指示された本の中で、特に、捕鯨について書かれた『C・W・ニコルの海洋記』が、興味ぶかく読めた。今まで、捕鯨ということに関して、さして興味を持たなかったし、鯨の肉というと、小学校の給食で何回か出た程度で、私のクジラに対する認識は、かなり浅いと思う。そして、捕鯨反対を叫ぶ人も、肯定する人も、何か遠い世界の話のようで、自分には関係ないと思っていたことに気づいた。クジラを通して世界をみると、そこに人に対する誤解と、環境に対する誤った認識のようなものが見えてくるようだ。これから総合セミナーで、人と鯨類の関わりを歴史的に調べていき、特に、日本人がどれだけクジラを必要としたか、そのころの環境はどうだったかに重点を置いて、私自身の日本人に対する理解を深めたい。
◇秋山:はじめてのセミナーは、やはり自己紹介から始まった。しかし、今までしたことのないワンポイント自己紹介だった。どう言えばよいか大変困ったが、そこは、案ずるより産むが易しである。(中略)教育目標について問われ、読書を通じて様々な知識を得、相手を理解するために様々な経験をするということを知った。つまり、読書は、様々な人生を知るための手段ということになる。また、短所は決して消せないが、抑制することはできる。これは、患者を中心に考えることにつながるのだそうだ。(後略)
◇冬野:私は、クジラに特別関係のある生活をしてきてはいない。そのせいか、自分では情報に気をつけていたつもりだったのに、現在日本の捕鯨がどのような状況にあるのかわかっていない。クジラは、たとえば伝統芸能の道具として必需品となっているほど日本での歴史が長い。それが果して、大きな力であるとはいえ、感情的な意見だけの(というように私には見える)批判に負けてしまっていいものなのだろうか。捕鯨についての現状さえわからない程度の情報しか持っていないのだから、捕鯨反対論者の意見や行動に対する理解も間違っているかもしれない。様々な人の生き方を知るということに加えて、国民性の違いについて学び、自分の、他人への対応のしかたの役にたてたい。


2)4月21日(火)W限 ビデオ鑑賞

 a.ビデオ「WATCHING THE WHALES」鑑賞
 アメリカ製ビデオにより、Spinner Dolphin(ハシナガイルカ)、Common Dolphin(マイイルカ)、Spotted Dolphin(カスリイルカ)、White Beaked Dolphin(ハナジロカマイルカ)、Pilot Whale(マゴンドウ)、Killer Whale(シャチ)、Gray Whale(コククジラ)、 Humpback Whale(ザトウクジラ)、Blue Whale(シロナガスクジラ)の遊泳状態や鳴き声を鑑賞した。

 b.各自のテーマを決める
 平口:前回指定した2冊の本を読み、どのようなテーマでレポートしようと思ったか。
 春川:グリーンピースがどのような理由で反捕鯨運動をしているのか。日本人はクジラの肉も油も利用するのに、ヨーロッパ人は肉を捨て油しか利用してこなかったということを友人から聞いたが、このようなことを彼らはどのように考えているのか。
 秋山:鯨類の体に水銀が蓄積されているとのことなので、海洋の環境汚染について調べてみたい。
 夏島:日本人にとって捕鯨はどんな意義があるのか。
 冬野:反捕鯨の根拠について。また、捕鯨の現状について。
 平口:共通テーマは、「鯨類と人間―捕鯨は是か否か―」としたいが、みなさんは捕鯨に賛成か反対か。
 全員:賛成
 平口:両方いたほうが議論しやすくていいのだが。賛成論にも反対論にも問題があるので、どちらにせよ批判的に検討していこう。次のようにテーマの例をあげておいたが、配布した目次のコピー(『海の哺乳類』、『くじらの文化人類学』、『ザ・クジラ』)をみてもわかるように、さらにこまかく設定することもできる。これらを参考に、生物学的分野と歴史学的・文化人類学的分野から各一つずつ選ぶこと。 
 A.生物学的分野 1 鯨類の進化、2 鯨類の形態、3 鯨類の生活、4 鯨類の知能、5 鯨類の社会行動、  6 鯨類と環境汚染、7 鯨類の利用、8 その他 
 B.歴史学・文化人類学的分野 1 古代捕鯨、2 近世捕鯨、3 近代捕鯨、4 民族捕鯨、5 国際捕鯨委員会、6 捕鯨と反捕鯨、7 その他
 冬野:反捕鯨の論拠として、クジラは高い知能を持っているということがあるので、ほんとうにどの程度かということで、生物学的分野では「鯨類の知能」ということを選べばいいのか。
 平口:その通り。そして、そのことに関連して文化的な方では、たとえば「国際捕鯨委員会」とか「捕鯨と反捕鯨」とかを選べばいいわけ。

 c.予定
 平口:今後は、学生諸君が司会、発表者となり、私はできるだけしゃべらず、司会者の求めに応じて発言することにしたい。
 夏島:一人が2回発表するということだが。
 平口:8回のうち、前半は生物学的分野、後半は歴史学・文化人類学的分野ということで。最初の発表者は春川さんだから、テーマは「鯨類の知能」ということになる。参考書は、私のところにあるものを貸してあげるから、必要なところをコピーしておくこと。また、参加者に配布する資料を作成しておくこと。その都度レポートを提出してもらうが、それはあくまでも中間的なもので、第1学期の最後にまとめのレポートを提出してもらう。司会者も準備が必要だから、進行の仕方について発表者と前もって相談しておくとよい。


 [第2回セミナーについてのレポート]

◇春川:まず最初に、鯨類に関するビデオを30分ほど見たが、その中には、イルカ・シャチ・クジラのさまざまな様子がうつされていた。そこで気づいたことだが、イルカならイルカの間で、種類がちがえば、鳴き声またはコミュニケーションの仕方も違っていた。もちろん、イルカとクジラとの鳴き声は、まったく違っていた。 そして、イルカ・シャチ・クジラの泳ぎ方にも大きな違いがあった。イルカはジャンプしながら速く泳ぎ、クジラは本当にゆっくり泳ぎ、シャチはちょうどその中間の速さで泳いでいるようだった。 また、イルカなどはたいへん深くまでもぐるのに、なぜ潜水病にならないのかと、先生は自分たちに質問していた。(後略)
◇夏島:クジラというと、今までは、イラスト等で描かれた型が一般的なのだと思っていた。しかし、あのビデオによると、その種より、サメのようにとがった感じの口先のものがほとんどであることがわかった。また、クジラの声というものを、はじめてじっくり聞いたが、種によって低い声、高い声があり、おもしろく思った。この声で遠くの仲間と通信していると知ったが、それは違う種のクジラ同志でも交わされるものなのだろうか。クジラのほかに、イルカとシャチの映像もあったが、シャチがなぜ人間を襲わないのか、また、シャチはイルカ科であるが、イルカのように鳴かないのだろうか、という疑問を持った。 クジラについて見聞するたびに思うのは、クジラが人間に近い頭脳を持ちながら、あまりにも外観が違うことである。海と陸という違いが、ここまで大きいということを改めて知った。(後略)
◇秋山:(前略)クジラの英語名は体の特徴を示している場合が多い。 (中略)春川さんと冬野さんは捕鯨と反捕鯨運動について、夏島さんは民族捕鯨について、自分は鯨類と環境汚染について取り上げることにした。自分の場合、『C・W・ニコルの海洋記』を手にして、はじめて知った問題をテーマにした。もちろん、鯨肉は食べたことがないし、捕鯨についても全然知らない。鯨類が急に深くもぐっても潜水病にならないのはなぜかということもわからない。 来週から、司会と発表に1人ずつ当てて、セミナーを進めるそうだが、難しそうである。しかし、自分の出来る限り、細かく調べて皆の納得いく発表にしたいと思う。
◇冬野:(ビデオの)解説は鯨類の名のみで、音楽もついていない。よくこんなビデオを売り出したものだと思ったが、ホエール・ウオッチングが観光資源となっているのだから、別に驚くほどのことでもないのかもしれない。 それにしても変わった生物だ。いったん陸にあがってきたのに、また海へ戻ってしまった。そのために、陸上の生物よりもはるかに体は大きくなり、外形は魚のようになっている。鯨類が哺乳類だということを最初に知った人は、どんな気持ちだったのだろう。定義づけは誤っていなくても、哺乳類と呼ぶことに、かなり抵抗があったのではないかと思う。


3)4月28日(火)W限 鯨類の知能について

 a.発表と討論(司会:春川、発表:冬野、「鯨類の知能について」)
 司会:これから8回にわたって、それぞれのテーマごとに発表と討論をしていくわけだが、まず最初に冬野さんから。
 冬野:反捕鯨論者の論拠の一つに、イルカやクジラは高等動物で頭がいいからということがあるが、ほんとうにそうなのかという疑問を抱かざるをえない。鯨類と人間の知能を比較するにしても、水中と陸上という生活環境の相違が大きいので、簡単には比較できない。まず、脳と行動にわけて比較してみたい。 鯨類は一般に重い脳をもつが、体全体が大きいので、絶対量ではなく、体重に対する比で比較する必要がある。マッコウクジラは鯨類のなかでもっとも重い脳をもつが、ヒトの脳が体重の43分の1であるのに対し、スジイルカの脳は体重の 125分の1だ。イルカの大脳は、ヒトの脳のようにシワが多い。シワが多いということは、表面積が大きいということを示している。ハンドウイルカの大脳質の表面積は3754平方cmでヒトの 1.5倍もある。イルカやシャチはかなりの学習能力をもっている。たとえば、巻網漁業を昔からやっているところでは、イルカは網にはいっても、人間が出してくれるまでおとなしく待っている。ところが、最近巻網をやりはじめたところでは、イルカがあばれて網にからまってしまう。イルカやクジラは音を出してコミュニケーションを交わしているけれども、言語といえるのか、どんな意味があるのかは不明である。人間との会話の成功例もない。イルカ程度の学習能力を示す動物は、イヌなど、ほかにもいるのに、イルカがとくに高い知能をもっているかのように特別扱いされるのは、なぜなのだろうか。
 司会:鯨類とヒトとの比較はされているが、他の動物との比較があまりなされていないので、わかりにくいのだが。
 夏島:脳重量の表では、他の動物との比較がなされているけれども、リスザル、ツバイ、ハツカネズミは、体重比ではヒトよりも重い脳をもっていることになるので、この表がどういう意図で作られているのか、よくわからない。
 司会:重さというより、神経細胞の数が問題になるのではないか。
 冬野:運動神経との関係も考えてみる必要がある。
 司会:脳のどの部分がどのような機能をするのかも。
 冬野:賢いということの定義がよくわからない。人間に似た行動をすることが賢いといえるのだろうか。
 夏島:ツバイとの比較をしてみれば、わかりやすいのではないか。
 司会:行動という点ではサルのほうがイルカよりも賢いようにみえるが、大脳をみるとイルカのほうが賢そうで、どうも結論が出しにくい。
 平口:知能の定義があいまいだと、話しが混乱してしまうのではないか。
 司会:それでは知能という点について。
 秋山:この百科辞典によると、知能の定義は3種類に大別される。第1は学習能力、第2は抽象的思考能力、第3は環境適応能力。
 司会:広辞苑では、@として知識と才能、Aとして知性の程度、環境に対する適応能力、とある。
 平口:心理学の講義を選択しているか。
 全員:選択している。
 平口:心理学では知能をどのように定義しているのか、調べておくこと。 司会:比較の基準を明確にしておくことが大切、というのが今回の結論だ。

 b.コメント
 平口:発表者は、配布資料を用意しておくこと。司会者は、討論の交通整理をする役目があるのだから、みんなといっしょになって話すのはだめ。少人数とはいえ、参加者は司会者の許可を得て発言するように。司会者と発表者は前もって打ち合せをしておくこと。必要に応じて、他の参加者と相談しておくのもよい。

 
c.その他
 平口:前回提出のレポートについてだが、文章がわかりにくくなるような挿入句は避ける。「思う」という言葉を使いすぎないこと。しっかりした文章を書くように。


 [第3回セミナーについてのレポート]

◇春川:(前略)発表での言い分だが、鯨類の中で知能が発達しているのは、イルカ類だと言い、その理由として、全体重比と脳重量比が人間と似ているからというものだった。 そのことから、チンパンジーやサルとイルカは、いったいどちらが高い知能を持っているのだろうかという疑問が出てきた。しかし、猿類とイルカ類では、陸生活と水中生活という根本的な違いもあって、運動能力もまったく違うことから、「〜をしたから、こちらの方が知能がある」という比較が出来なかったので、結論が出なかった。今回の議論でなぜ結論が出なかったかというと、「知能」という定義が整っていなかったというところにあった。はじめての討論会だったので、うまくいかなかったが、次回からもっとうまく議論ができるようにしたい。
◇夏島:「鯨類の知能は優れている。だから殺してはいけない。」そう唱える人達は、何を基準に優劣を決めたのか。今回の発表は、そこで行き詰まった。ヒトを基準にすると、クジラよりもサルの方がヒトに近いことをおぼえ、行なう。しかし、サルよりもクジラの方が優れていると、捕鯨反対の人達は言う。そこでまた、基準がわからず迷ってしまう。 脳を調べると成人とクジラではそう差がない。しかし、産まれてすぐの子供の脳を比べると、ヒトはしわもない状態であるのに、クジラはすでにしわがある。母親の胎内で学んで産まれるのか、すぐ泳ぎだす。ヒトは、産まれてすぐ歩きだすことができない。クジラはヒトより優れているとも言える。そこでまた、迷う。 捕鯨反対の人達は、鯨がヒトの次に優れていると言いきる。ならば、どこを基準にみてそう言えるのか、提示すべきだろう。
◇夏島:「鯨類の知能は優れている。だから殺してはいけない。」そう唱える人達は、何を基準に優劣を決めたのか。今回の発表は、そこで行き詰まった。ヒトを基準にすると、クジラよりもサルの方がヒトに近いことをおぼえ、行なう。しかし、サルよりもクジラの方が優れていると、捕鯨反対の人達は言う。そこでまた、基準がわからず迷ってしまう。 脳を調べると成人とクジラではそう差がない。しかし、産まれてすぐの子供の脳を比べると、ヒトはしわもない状態であるのに、クジラはすでにしわがある。母親の胎内で学んで産まれるのか、すぐ泳ぎだす。ヒトは、産まれてすぐ歩きだすことができない。クジラはヒトより優れているとも言える。そこでまた、迷う。 捕鯨反対の人達は、鯨がヒトの次に優れていると言いきる。ならば、どこを基準にみてそう言えるのか、提示すべきだろう。
◇秋山:(前略)賢さの定義があいまいで、イルカの知能が人間の知能に対してどのようであるかがわからなかった。知能とは、学習能力・思考能力・環境適応能力である。心理学の教科書によると、「感覚運動的協応における巧みさ・手際よさ・勘のよさの技能、対人的・社会的な状況を理解して、それにうまくそつなく対応する技能、概念や言語を理解したり、それらを流暢に使用し、表現を上手にする技能」である。鯨類も音を発して合図しているということを聞いたことがあるが、言語能力は一体どれほどのものなのだろうか。これは比較の基準を明確にしなければならず、難しい。10分前後で発表するのは至難の技で、ダラダラと続ければオーバするし、不足分があると短くなってしまう。結構量の多い文(小説に比べたら短いが)をかいつまんでまとめるのは大変だ(後略)。
◇冬野:今回は私の発表だった。まとめる前に資料を読んだが、よくわからない。いろいろな研究はされているのに、結論は出ていないのだ。 自分達と同じ哺乳類が、高い知能を持っているような行動をとる。これが陸上にいる動物ならば、観察や自分との比較もしやすいかもしれない。海は、人間にとって重要であるにもかかわらず、未知の部分がほとんどである。そんな所に棲んでいるために、似たような行動をとっても、陸上の生物よりも高く評価されたのではないだろうか。 脳に関する判断も同様である。脳重量の体重比が大きいということだけで、イルカが人間の次に知能が高いと判断するのは無謀だ。その判断には、他の根拠も加わっているかもしれない。しかし、そうだとしても、対象が陸上生物であったとしたら、果してこんな評価をしただろうか。


4)5月19日(火)W限 鯨類と海洋環境の汚染

 a.はじめに
 平口:休講等のため、当初の予定を変更せざるをえなくなった。また、学外に出かける機会を設ける必要もあるので、発表・司会当番が一巡したあとは、1時間に二つの発表を行うことにしたい。次回は、上山田貝塚見学をする。ただし、雨天の場合は、司会秋山・発表夏島で通常どおり行う。 毎回提出してもらうレポートは、 400字以内にまとめ、上欄に学籍番号・氏名とセミナー年月日・回数を明記して提出すること。 b.発表と討論(司会:夏島、発表:秋山、「鯨類と海洋環境の汚染」)
 司会:前回は「鯨類の知能」ということで、冬野さんに発表してもらい、知能とはなんぞやということが問題になったわけだが、今回は海洋汚染について秋山さんに発表してもらう。
 秋山:鯨類の汚染については、1967年発表のネズミイルカDDT分析例が最初で、最近では北半球鯨類の重金属・有機塩素化合物汚染の報告がある。鯨類の回遊・摂餌行動には種固有の地理的範囲があるので、残留汚染物質の濃度は生活圏の海域汚染をそのまま反映している。有機塩素化合物による鯨類汚染は地球規模で広がっているが、外洋性の小型クジラ類では、南半球よりも北半球の種で汚染が進んでおり、とくに北半球温帯地域に生息する種で高濃度の汚染が検出されている。 PCBやDDTなどの保存性有機化合物が多種多様な自然生態系から検出されるのは、この種の物質が食物連鎖を経て効率的に濃縮されることによる。高等動物は鰓をもたないため、有機塩素化合物は餌経由で取り込まれる。鯨類のような哺乳動物では、出産・授乳などによって、生物濃縮は一層複雑になる。海棲哺乳類の重金属汚染は、一般に肝臓・腎臓、ときに骨・皮に高く、脳や脂肪組織で低い。いわゆる汚染元素のカドミウム・水銀・鉛は、母親から胎児への移行は少ない。 一般に重金属は胎盤や母乳を通しての母児間移行量が少ないため、濃度に雌雄差は認められない。しかし、血液や 肝臓などの、いくつかの体液や臓器では性差がある。雌は、妊娠・授乳あるいは休止期であるかによって、肝臓中の金属濃度が大幅に変動することがある。カドミウムは肝臓よりも腎臓に高濃度の蓄積を示し、肝臓中カドミウム濃度の増加とともに腎臓中の濃度が増加する。ヒトの場合で肝臓中カドミウムの濃度が約40ppm 以上、海棲哺乳類で約20ppm 以上を示すと、尿中のβ2-ミクログロブリンが異常値を示す。これは腎障害発現の目安とされているので、鯨類にも腎臓障害発現の可能性があるということになる。 鯨類における有機塩素化合物蓄積の実情は切実である。摂餌により多量の有機塩素化合物を取り込み、授乳を通してそれを次世代へ受け渡す。重金属の取り込みには難点があり、餌生物の濃度あるいは量がそのまま生物の吸収量になるわけではない。鯨類は、毒性影響に対してかなり敏感なことが示唆されており、おそらく環境汚染物質の長期毒性がもっとも心配される動物であろう。
 司会:今の発表について、何か質問は? 鯨類は食物連鎖の頂点に立つから、鯨類に汚染物質の蓄積がもっとも大きくなるということなのか。
 春川:生物でならった食物連鎖の話しで理解できることだ。
 司会:そうすると、クジラを食べる人間はもっと危ないということになるのでは。
 冬野:どんな物質がどの部位にどうして有害なのか。
 秋山:どうもうまく答えられない。
 司会:筋肉にはあまり蓄積されないようだが。 冬野:それなら肉を食べても安全というわけか。
 秋山:たくさん食べればあぶないのでは。
 冬野:長期毒性とはどういうことか。
 司会:体内に蓄積されても薄まることがないから、慢性的にということではないか。私は秋山さんから前もって発表原稿をコピーさせてもらって読んでおいたのだが、難しい言葉がいろいろあって、よくわからなかった。
 秋山:実は私もよくわかっているわけではない。
 平口:秋山さんが発表のために利用した論文の執筆者には、海獣類のシンポジウムで会ったことがある。鯨類は重金属を無害化する能力が高いが、鰭脚類はあまりその力がないので悪影響を受けやすいということだ。だからといって、クジラの肉を食べても安全だということにはならないかもしれないが。
 司会:長期毒性ということが話題の中心となったところで、今回は終ることにする。

  c.コメント
 平口:司会者は、せっかく前もって原稿を読んでいたのだから、わかりやすい発表となるように打ち合せをしておけばよかった。このような内容の発表を聴いただけで理解するのは困難だ。発表者は、きれいな原稿に仕上げたのだから、コピーをみなに配布した上で説明するほうがよい。わからないことをそのまま発表するのではなく、自分で理解したことを発表するように。理解できない点については、課題として提示すればよい。 この論文は専門的で1年生には難しすぎたかもしれない。配布資料の「漁業と海洋汚染」のほうが一般的でやさしい。これには、近代的な漁具・漁法による混獲が海獣類にとって脅威となっていることが重点的に取り上げられており、併せて海洋汚染のことも問題にしている。むしろ、こちらの資料を中心にレポートし、補足的にこの論文を紹介したほうがよかったのではないか。
 冬野:能都町のイカ流し網の規制が新聞に掲載されていたが、なぜ問題になっているのか、この資料を読んではじめて理解できた。


 [第4回セミナーについてのレポート]

◇ 春川:(前略)主題は、工業化にともなって、我々人間が出している有機塩素化合物(PCB)や重金属などが鯨類にどのような影響を与えているのか、というものだ。PCBの鯨類に対する影響については、授乳をうけているクジラ、つまり低年齢層のクジラに対して大きいということだったが、この理由は、母クジラが取り入れたPCBが母乳の時点で濃縮されているからであろうということだった。 重金属の影響については、筋肉では鉄がたまりやすい、皮にはニッケルがたまりやすい、などの結果だけがわかっていたけれど、それについての理由はわからなかった。 しかし、上の二つに共通することは、食物連鎖によって有害物質が体内にたまり、体の機能をおかしているということだった。そして、同じことが人間にもいえるということで結論がついた。
◇夏島:(前略)司会者としては、もっとうまく話をまとめられたらよかったのだが、たどたどしい進行となったことを反省したい。 まず、発表者との打ち合せである。今回、前日に発表の原稿をもらったが、数度読んだにもかかわらず、よくわからなかった。具体的にどうわからなかったのか発表者に聞けばよかったのだが、それをしなかったため、あのように進行がもたついたのだろう。そのことから、発表する人は遅くとも2日前に司会者に原稿を渡し、打ち合せをすると良いだろう。 次に、討論では、挙手の習慣がついていず、どうしても挙手をせず話しだす事が多かった。そのため、人の話がまだ終わっていないにもかかわらず、話しだす場面がしばしばあったので、注意したい。(後略)
◇秋山:今日の発表は私だった。(中略)先週が健康診断であったことも手伝って、ダラダラと調べてしまった。不幸なことに、今回発表したことは、自分が納得いくまで理解して自分のものにしたわけではなかったので、自分でも恥ずかしかったし、先生を含めて聴いてくれていたみんなに悪い気がした。 先生がおっしゃったように、専門的な事柄から入るのではなく、もっと身近な事から入って、順を追って深く調べれば良かったと思う。(後略)
◇冬野 この日の朝刊に、イカ流し網漁が前面禁止になるので、今回が最後の出漁、という記事が出ていた。 たしかに流し網漁は、目的以外の生物も捕らえてしまうから、資源の枯渇につながるかもしれない。しかし、国連会議で前面禁止が決定されるほどのことだろうか、少し大げさすぎではないかと思っていた。それが、今回のセミナーで大問題であることがわかった。流し網には魚介類だけでなく、鯨類もかかっていたのだ。目撃者がいないなら、黙っていれば他の人には知られない。広くて証拠の残りにくい海で起こることだから、今まで問題になりにくかったのだろう。 最近、海洋に限らず様々な場所での環境汚染の報告をよく見る。情報が知らされないよりは知らされた方がよい。隠しきれないほど汚染がひどいのかもしれないと考えると、安心してもいられない。想像を絶する大きさ、速さで環境汚染は進んでいるようだ。


5)5月26日(火)W限 上山田貝塚の見学

(車で宇ノ気町上山田貝塚の見学に出かけた)

 平口:内灘砂丘は古砂丘、新砂丘が垂直に重なって形成されているので、標高20メートル以上の高さになっている。現在砂丘一帯を覆っているニセアカシアは、明治以降の植林によるもの。干拓前の河北潟水面は、現在の3倍の広さがあった。
 冬野:あのビニールで覆った作物は?
 平口:スイカだろう。そのほか、サツマイモやタバコなども植えられている。下にビニールを敷いて、水田化されたところもある。
 冬野:そのビニールが宅地造成でじゃまになっているという話しを聞いたことがある。
 平口:砂丘の海側は飛砂・塩害で宅地にはあまり向かないのだが。アッ、何か動物がひかれて転がっている。
 冬野:毛の色からするとネコではなさそう。
 秋山:うちらのとこじゃ、めずらしくないことだ。イタチではないか。
 夏島:タヌキでは?
 平口:ちょっと道を間違えたので戻ることにする。
 夏島:そこに見える西田邸というのは?。
 平口:西田幾多郎という有名な哲学者の生家だ。記念館があるけど、今回は時間がないのでまたの機会に。 
 平口:上山田貝塚は縄文時代前期、いまから5000〜4000年前の遺跡だ。現在、貝塚から河北潟汀線までは2km、海岸線までは3km。貝塚形成時、潟はもっと貝塚に近いところまで広がっていただろうが、海岸線までの距離はいまとほとんど変わりがなかった。粟崎近くの砂丘上から発見された最古の遺物は、縄文時代前期後葉の土器だから、貝塚の時期には潟としての基本的な形は出来上がっていたことになる。このように植栽などされてしまうと、貝塚らしくなくなってしまうが、よくみると貝殻の破片が落ちているだろう。
 秋山:これですか。 
 平口:そうだ。これはオキアサリという、海産の貝だ。でも、この貝塚の貝の主体は、イシガイという、小川のせせらぎに棲んでいる淡水産の貝だ。次に多いのが沼のような淀んだ水域にいるタニシ類。潟や河口のような汽水に棲んでいるヤマトシジミも多い。魚類もコイやフナなどの淡水産が主体をしめている。あそこで仕事をしておられるのが、土地を提供された吉田さん。台地の上に登ってみよう。
 冬野:公園みたいにきれい。
 平口:国指定の史跡公園として整備中。縄文時代の住居跡はまだ発見されていないが、古墳時代初頭の竪穴住居が発掘されている。その竪穴住居は、焼失住居といって、焼けた材が崩れ落ちた状態で発見された。床からは玉類の未製品も発見されており、玉類の工房跡と考えられている。
 夏島:焼けたあとは、そのまま放棄したということか。
 平口:そうだ。立て直した場合は、複数の竪穴が切りあって発見されるはずだから。
 平口:次の時間に遅れると大変だ。最後の時間にセミナーがあると、そんな心配なく出かけることができるのだが。
 冬野:あまり急がなくてもいいですよ。永久に出席できなくなると困るから。
 平口:それはいえる。


 [第5回セミナーについてのレポート]

◇夏島:貝塚というものは知っていたが、見学したのは初めてである。調査の段階であらかたの貝はすべて掘られているのかと思っていたら、ほぼ現存に近い状態だったのでよかった。遺跡の貝はどれも白かったので、永い年月の間に表面が変質したのだろうか。貝塚だけでなく、住居跡も見学できてよかった。工房であったと思われるその遺構は、火事によって失われたのだろう、ということだが、ここ以外にこのように火事で失われたとわかる住居は出土したことがあるのだろうか。土器も出土したということだが、それは他の場所へ移されて見ることができなかった。残念である。さほど遠くでもない場所に、このような重要な遺跡があったとは、北陸に住んでいながら知らなかった。自分の目で直接見学でき、今まで具体的イメージがわかなかった貝塚や住居跡というものがわかった。あとは、見学時間がもう少し長ければ、ということが残念である。
◇秋山:(前略)まず、何気なくその貝塚があることに驚いた。上まで登ってみる前に、説明に目を通した。その貝塚から縄文式土器が出土したという。どんな土器だったのか、非常に興味をもった。 私は、貝塚といえば、もっと形のあるものだと思っていたので、パラパラと落ちていた貝を見たときには、少しがっかりした。貝塚はその時代の人々の生活をあらわしている、というようなことを聞いたことがあるが、彼らはいったいどういう生活をしていたのだろう。今日のように見学するのは好きなので、多くの遺跡を見に行きたいと思った。
◇冬野:50分で行ってこれるほど近いところに遺跡があるとは思わなかった。また、その場所が一般の家の庭先という感じだったのも意外だった。土地の所有者が、碑をたててしまうほどの理解者でよかった。遺跡が所有者を選んだのだろうかと思ってしまった。 時間がほとんどなくて、見学ではなく、散歩をしたような感じもしたが、それでも、実物を見られたという満足感が得られた。もっと資料を多く読んでから、もう一度ゆっくり見学したい。出土品も見てみたい。遺跡が近いところにあったのも意外だったが、入りくんだ道すじの土地が近くにあったのも意外だった。内灘町は直線道路ばかりで落ちつかなかったので、ほっとしてしまった。本題とは関係ないところにも目がいってしまった。


6)6月2日(火)W限 日本人は鯨類をいかに利用してきたか

a.発表と討論(司会:秋山、発表:夏島、「日本人は鯨類をいかに利用してきたか」)
 司会:今回は、日本人が鯨類をどのように利用してきたかということについて、夏島さんに発表してもらう。
 夏島:日本人が鯨類をどのように利用してきたかを調べてみて、その利用の仕方の多様性に驚かされた。肉から脂肪まで13種類にわけて利用されていた。「鯨一頭をうれば七浜賑わう」というのも納得がいく。 クジラの利用法も、科学や産業の発達とともに変化していった。たとえば、鯨油は、明治20年代までの利用法よりも数種類、用途が増えている。しかし、鯨油の場合、利用法は多様化したが、とれる量はさほど差がない。これは、発展がみられないというよりも、早くから研究されつくされていたということではないか。それほど、鯨油は貴重なものだったのだろう。日本人は、四つ足の動物を食用とするのは一般に禁じられた歴史があるため、海産物の利用が盛んであった。とくにクジラは珍重されて、数世紀以上にわたって食用として利用されてきた。現代でも多様な調理法があり、クジラが親しまれていることがわかる。クジラは日本にとって、食文化の重要な一部になっている。 第二次世界大戦後から新たに鯨肉を多量に食べるようになったが、それはタンパク資源の不足と、全国的に普及した学校給食のせいであろう。私も小学校低学年の頃によく鯨肉が出た記 憶がある。第二次世界大戦終了から1960年頃まで、鯨肉の入手は容易であり、捕鯨とかかわりのない人々も鯨肉を食べるようになった。鯨を食べなければ、栄養失調で死亡する人が大勢でただろう、と言われるほどだ。しかし、捕鯨反対の声が高まるにつれ、鯨肉が手の届かないものになりつつある。これは、日本の食文化の一部が崩れることを意味する。 捕鯨禁止によってどのような打撃をうけるか。まず、クジラで生活してきた人々の経済的打撃と精神的打撃。鮎川という町では商業部門の総売り上げが60%も減っている。捕鯨は祖先から受け継がれてきたものであるから、その伝統を失うことは祖先に対する敬いの念を怠ることにもなろう。捕鯨禁止によって、いくつかの町は活気を失い、日本文化としての捕鯨技術も落ちぶれてしまう。 日本ではクジラがいかに文化、特に食文化に組み込まれていたかがわかる。クジラの代用品が開発されているとはいえ、鯨肉そのものに代わるものはない。確かに、現代は、牛肉や豚肉などのタンパク源は豊富だ。しかし、クジラを食べることは、日本人にとってかけがえのない文化となっているのである。
 司会:捕鯨をやめることは、捕鯨で生きてきた人々にとって、経済的にも精神的にも打撃となることがわかった。以上の発表について、なにか質問は?
 冬野:資料掲載の「IWCと捕鯨モラトリアム」の結果はどうなったのか。
 夏島:これは参考までに紹介しただけで、結果については調べていない。
 春川:資料の表の「鯨とその他のタンパク源に対する1人あたりの需要」における「鯨の占める割合」とはどういう意味か。
 夏島:「年間1人あたりの動物タンパク摂取量」のうち「年間1人あたりの鯨肉摂取量」が何パーセントを占めるかということ。
 春川:クジラが日本文化の一部に組み込まれているというのは、どういうことか。
 夏島:日本人の生活に密着しているという意味だ。
 司会:ほかに質問がないか。ないようならこれで終ることにする。 
 平口:ちょっと待って。司会者は質問がないか聞くだけではなく、発表内容を要約し、問題点を指摘し、議論を発展させていくように。まだ事実確認のための一般質問が終ったという段階ではないか。
 司会:夏島さんは小学校の給食で鯨肉を食べたことがあるということだが、私は全然経験がない。みなさんはどうか。
 冬野:私自身は給食で食べたということはない。
 春川:小学校4年頃まであった。
 司会:春川さんはどこの出身?
 春川:神戸。
 夏島:私は富山。海に近いところの人は経験があるのでは?
 司会:私は福井で海に近いけど経験がない。
 冬野:私は群馬。
 夏島:特においしいとは思わなかったが。月1回は給食に出た。
 春川:こちらは、おいしいといって、取り合いになったほどだ。ケチャップあえなどにしたのが出た。
 夏島:こちらも揚げて、ケチャップをつけて。
 冬野:缶詰の大和煮なら食べたことがある。それから、大阪の料理屋でサエズリを食べたこともある。昨日、近江町市場で、鯨皮を売っていた。買ってみようか、どんなふうに料理するのか聞こうと思ったが、結局やめてしまった。 

 b.コメント
 平口:同世代でも鯨食について経験がだいぶ異なる点が興味深い。同じ北陸でも違いがあるのはなぜだろう。能登半島内浦から富山湾にかけてはクジラの水揚げが多いところだったので、鯨肉が富山の市場に出やすかったのではないか。
 冬野:神戸はどうなのか。和歌山あたりからくるのか。
 平口:和歌山もそうだが、門司にも捕鯨の基地があった。西日本一帯が捕鯨の盛んなところだったし、そもそも神戸、大阪、東京などの大都会では全国どこからでも運ばれてくる。 私などは、学校給食でも食べたが、それより家庭で食べることが多かった。いまのように、牛肉や豚肉に恵まれていたわけではないから。一般家庭に安く出回るのは、質のよくない部分なので、とくにおいしいとは思わなかったが、食べられなくなると、あの味がなつかしく思うものだ。鯨肉がおいしいかどうかは、どんな種類のクジラの、どの部位を、どんなふうに料理したかによっても違ってくる。大学生時代、寮母さんが安く仕入れてきて、てのひら大の鯨肉を叩いて柔らかくし、それをニンニク醤油にひたしてから、カツにしてくれた。これは、たいへんおいしかった。真脇遺跡の発掘調査中に旅館で食べた鯨肉の刺身も最高においしかったよ。


 [第6回セミナーについてのレポート]

◇春川:(前略)発表内容は、まずはじめは、クジラは肉から脂肪まで13種にわたって利用されるほど多様性があるということと、鯨油の摂取量は明治20年代と現在とあまり変わっていないという二点だった。 中心課題は、日本人は昔からクジラを食用として利用してきて、第二次世界大戦後、食糧危機、とくに動物性タンパク質の不足ということもあって、クジラの食用消費量がピークになり、今から約10年程前に捕鯨禁止により消費量がほとんど無しというふうになったということだ。 そして、討論内容は、捕鯨禁止の話から、今までクジラを食べたことがあるかないかという話になり、ないという人もいれば、ある人はある人で、それぞれの経験をもっていた。 主題からはずれるが、この狭い日本にも多くの流通路があるのだなと思った。
◇夏島 日本人がクジラを食用とすることで非難をあびている今、日本人がどのようにクジラを利用してきたか知るのは大切なことである。 明治20年以前とその後との比較は、どれだけ多く使うようになっていったかの比較にもなった。しかし実際、ほかにも使われているものがあったのかもしれないのに、それ以上調べることができなかったのが残念である。 発表こそしなかったが、文楽の人形の首などのなめらかな動きはセミ鯨のヒゲを使っているからで、他のものだとこうはいかないと聞いたことがある。確かめることができなかったので、発表しなかったのだが、これが本当にそうならば、数十年後には文楽という日本文化のあり方に影響することになるかもしれない。そこで、クジラのヒゲにかわるものが出来たらいいが、そうもうまくいかないだろう。 この発表でもう少し調べたかったのは、食文化以外のつながりである。次に機会があったら、そのことについて調べたい。
◇ 秋山:(前略)鯨類の利用法も、その部位によって、様々なものがあり、知らなかったことが多々あった。日本人が鯨肉を食用として好んでおり、戦後の日本人を支えたのがクジラということも知らなかった。(中略) 私だけ鯨肉を食べたことがなかった。給食になぞ出たこともなかったし、食卓にのぼったこともなかったからである。地域的に食べないからだろう。(後略)◇冬野 今回は、日本人の、鯨類の利用法についてであった。知っているものも幾つかあったが、まとめて見てみると迫力がある。無駄なく利用されてきたことがよくわかる。歯ぐきや肺まで食べてしまうとは驚いた。 発表文中に、学校給食に鯨肉が出たことがある、という記述があって興味を持った。年齢が近くても、地域が違うだけで食生活は大きく変わるようだ。セミナーの後で、ある人にクジラを食べたことがあるかどうか聞いてみた。答えは、食べたことがない、だった。そして、固くてまずいんだってね、とつけ加えた。終戦直後の食料というイメージがあるのだろう。これは、この人だけの意見ではないと思う。 クジラを食料としてきた日本でさえ、食べたことのない人が増えている。 これでは外国から捕鯨反対の圧力をかけられても反論しにくいのではないだろうか。日本の捕鯨は、外国だけでなく、国内の無関心や誤解のためからも滅ぼされてきたのではないか。


7)6月9日(火)W限 鯨類の進化と形態

 a.発表と討論(司会:秋山、発表:春川、「鯨類の進化と形態」)
 司会:前回の夏島さんの発表は、いろいろ新しい事実を知らされ、おもしろかった。今回の春川さんの発表は、なかなか難しそうなテーマだが、たぶんわかりやすく報告してくれるものと思う。
 春川:鯨類は、全生涯を水中で過ごす唯一の哺乳動物だが、なぜ鯨類だけが大昔に海に戻ってしまったのか。その理由の一つに、陸上に食物が少ないために、水中の豊富な食物を求めて水中生活に移ったものと思われる。最初はカワウソのように水陸両方の生活に適応していたのが、しだいに水中生活のみをするようになったのだろう。 クジラの先祖は、有蹄類または食肉類の先祖と同一のものであるといわれており、いずれにせよ大昔のクジラは、体もあまり大きくなく、完全に陸上生活をしていた。このクジラの祖先をムカシクジラまたは古クジラ、原始クジラと呼ぶ。おそらく5000年前ごろのメソニックス類から由来したもので、ラチス海沿岸で水陸両種の生活をしていたのだろう。ある時期に急速に水中生活に移行したが、このことによって音響探知(ソナー)能力が備わるとか、体毛が失われるとか、手が胸鰭に変わるといった著しい変化が生じたと考えられる。 ムカシクジラは、不完全な頭骨と顎骨により知られており、復元された頭骨の大きさは30〜35cmで脳容積は小さい。後頭部矢状隆起、頬骨弓はよく発達している。聴骨は現生クジラに似て水中での補聴に役立 ったものとみられる。すでに後肢は退化し、尾鰭が発達していたか、または、後肢を使用し、尻尾もあった。ヘビ状の体形で、比較的小さい頭と長い胸郭をもち、胸鰭は肩帯および肘関節にも可能性を保持しており、深度を調節する舵としてでなく、何か他の作用を行なっていたようだ。これは現生クジラとの大きな相違点である。 このような特徴をもつムカシクジラ類は、始新世で終り、漸新世にはハクジラとヒゲクジラに分化し、進化していった。その最も特徴的な進化は、鼻孔が後方に移動していったことだ。これに伴い、頭骨背面の骨と上鼻孔の位置も変化した。 ヒゲクジラは、一般に大型で小さい種類でも成体で6mに達する。出生時までには口蓋陵に由来する鯨ヒゲが形成される。鯨ヒゲが発達したために、ヒゲクジラ類は、口が体長の4分の1をしめるほど大きくなった。そして、このヒゲを利用して、オキアミを主食としている(ハクジラ類は、イカや魚を食べている)。ハクジラ類の現生種は、左右の鼻道が皮膚に開口する部分で合一し、鼻の穴は1個である。ヒゲクジラ類は2個。ほとんどが小型で、大部分がイルカと呼ばれている。雄のほうが雌より大型で(ヒゲクジラはその逆)、一 夫多妻(ヒゲクジラは一夫一妻)の生活をし、大群を形成して回遊するものが多い。
 司会:胸郭とは?
 春川:肋骨など胸部を覆っている骨格のことだ。
 平口:胸椎、肋骨、胸骨からなっているね。
 夏島:始新世とか漸新世とかいうのは?
 春川:地質学的な時代区分で、始新世は約6600〜4300万年前、ぞの次に漸新世がきて3600万年前ころまで続く。
 平口:人類文化史の講義で配布した年表が参考になるから、とってない人にあげよう。
 夏島:いただきます。
 司会:有蹄類とは?
 春川:ひづめのある哺乳類で、ウマなどの奇蹄類とウシなどの偶蹄類などに分けられる。おもに草食。
 夏島:鼻孔が後方に移動した理由は?
 春川:水面に出てきたときに呼吸しやすいのではないか。
 平口:長く潜水したあと、浮上して大量の空気を吸い込んだり、吐き出したりしなければいけないからね。
 夏島:クジラの鼻の穴はどのくらいの大きさか。
 平口:相当大きいようだ。遠洋水産研の人から聞いた話だが、調査船に乗っていて、接近してきたクジラにカメラを向けていたら、突然潮を吹いたので、全身ずぶぬれになった。しかも、海水ではなく、鼻汁のようなネバネバしたものだったそうだ。潮を吹くというけれど、あれは呼吸気であり、しかも体液がまじっているというわけだ。
 夏島:口蓋陵とは?
 春川:解剖の本にも出ていないのでよくわからないが、上顎の歯ぐきのあたりの高まりではないか。
 司会:秋山さん、何か質問は?
 秋山:べつにありません。
 司会:それでは、これで終ります。

 b.予定
 平口:司会・発表当番が一巡したので、来週からいよいよ鯨類関係の文化的な面について、ふた組の発表をしてもらう。漠然と調べるのではなく、的をしぼって、問題の答えを追究した結果を報告するように。


 [第7回セミナーについてのレポート]

◇春川:(前略)大まかな内容は、なぜ鯨類のみ水中生活に戻ったのか、そして水中生活に戻った初期のクジラとは、いったいどのようなものだったのか、それからどんな分化をしていったのかというものだった。 調べてわかったことは、鯨類は陸より水中の方が食物が多いのでそれを求めて水中生活に戻った。クジラの祖先はムカシクジラと呼ばれていて、現生クジラには面影はない、オキアミなどを食べるヒゲクジラ類と魚やイカなどを食べるハクジラ類に分化していった、というようなことである。 今回は、いつもよりみんな質問や話を進めてくれたので、セミナー自体はうまくいったような気がする。(後略)◇夏島 鯨類の進化については、まだ明らかにされていない部分が多い。鯨類の祖先が何であったについての説は、そうではないかという推測にすぎず、断定はできない。ただ、鯨類が陸から海へというのは間違いないのではないか。 今回の発表では、進化過程というよりも形態の方がよくわかった。クジラのヒゲと呼ばれる部分がブラシのようなもので、海水と食料となる小動物を分けるためのものであるということ、クジラの潮吹きと呼ばれる行為が呼吸であ ることなどを知ることができた。 ただ、時代などの説明図があった方がわかりやすいので、資料をつくる段階でそのあたりを考えたらよかったと思う。分布地域の説明にも地図等があればもっとわかりがよかっただろう。進化と形態となると専門的な事もあり難しかったと思われるが、何か一つテーマを定めてそれについて調べれば、もう少しわかりやすかったのではないか。
◇冬野:今日は「鯨類の進化と形態」だった。難しい題材だ。私がとりくんだ「鯨類の知能」と同じくらいではないかとも思う。 なぜ鯨類の祖先が海へ戻ったのかは、よくわからないままである。確実なのは、海に戻ったという結果だけだ。また、資料にあった鯨類の系統図を見て、正直言ってあきれた。疑問符や破線だらけだからだ。この図からだけでも、未だに鯨類が謎だらけの生物であることがわかるような気がする。 海に戻った後の、鯨類の適応はすばらしい。体毛をなくし、手を鰭に変えた。肺呼吸をすることからは逃れられなかったが、呼吸をするのに少しでも楽なように、鼻孔を後退させた。潜水病にならないというのも驚くべきことだ。このことは、外見以上に、陸上の哺乳類と鯨類とを分けていると思う。
◇秋山:(前略)ことに驚いたのは、クジラの祖先が有蹄類あるいは食肉類の先祖と同一のものであるということだった。ということになると、大昔は今のように体が大きかったわけでなく、完全に陸上生活をしていたので、現在のクジラの面影はまったくなかったことになる。 そこで、いったいどのような環境がムカシクジラを今のように進化させたのだろうか、という疑問がわいた。 さらに驚いたことは、鼻孔が後方に移動していったことだった。これは呼吸に便利だからということであり、なるほどと思った。 難しい言葉もなかったわけではないが、進化について理解できたと思う。


8)6月16日(火)W限 民族による捕鯨の違い、捕鯨の歴史

 a.発表と討論T(司会:夏島、発表:秋山、「民族による捕鯨の違い」)
 司会:今回は、秋山さんから各民族の捕鯨を比較した発表をしてもらう。
 秋山:アラスカの北極海沿岸には、毎年夏に豊富な餌を求めて多数のクジラが回遊してくる。そのうち、ホッキョク・セミクジラは、接岸性、遊泳速度が遅い、巨大、死んでも海底に沈まないなど、狩猟対象としては理想的な特徴を備えている。エスキモーにとって、捕鯨とは、大量の鮮肉を供給する経済活動であり、捕獲と獲物の処理分配を通じて、多くの人々が集まり共同で働く社会活動でもある。また、自らの優れた能力を人々に示すための、名誉ある活動でもある。キャプテンは、舟は父親譲りであるが、能力と信頼は自身の努力で得なければならない。鯨肉は、それに携わった人々全員に分配され、一般の村人にも分配される。エスキモーにおいて、捕鯨は人々に重要な食料を供給するとともに、リーダーの影響力と結びつき、成員間の絆を強める働きをしている。 ヌートカ・インディアンの捕鯨の対象となるコククジラは、セミクジラよりも小さく、死ぬとすぐ沈んでしまう。そのため、巨大な杉の丸太をくりぬいて、かなり大きく頑丈な舟をつくる。エスキモー同様、出漁前に入念な精神的準備をキャプテンひとりだけで行なう。エスキモーと違うのは、分配量が各自 の社会的序列に応じて決められることである。また、彼ら独自の方法で、捕鯨が社会の中に統合されている。 日本の場合、江戸時代初期までに基本が形成され、網取り式捕鯨の成功とともに、西日本各地に伝播して、高度に発達した。さらに、明治の近代化の過程で、西洋から新しい科学技術を導入して再び発達し、多くの社会的経済的変化を経ながら、今日まで維持されてきた。エスキモーやヌートカと比べて、処理加工や、鯨肉の分配・消費などの点で、大規模で複雑なレベルに達している。そこまで発達した捕鯨としては西洋諸国の近代捕鯨があるが、それは鯨油生産を目的としたもので、近代になっても食肉生産のための活動という側面を失っていない日本とは、まるで違っている。社会的、儀礼的な要素が多く含まれている点において、日本の捕鯨はエスキモーやヌートカの捕鯨に似ている。
 春川:ヌートカはどこに住んでいるのか。
 秋山:バンクーバーからワシントン州北端にかけて。
 冬野:ヌートカの出漁儀礼とは、どんなことをするのか。
 秋山:キャプテンがひとり山の中へ入り、けわしい崖を登ったり、冷たい水の中に体を浸すなどして、超自然的な力の加護を求める。 司会:荒修行というか、精神的高揚をはかるわけだ。 
 冬野:コククジラとはどんなクジラか。
 平口:この本、『鯨とイルカのフィールドガイド』をどうぞ。
 司会:読んでみて。 
 冬野:体色はほぼ全身灰色で……。
 冬野:沈む種類と浮く種類があるのはどういう違いによるのか。
 司会:先生のほうから。
 平口:セミクジラは皮膚の脂肪層がとりわけ厚いので、死体が浮きやすい。
 司会:先祖代々伝えられ、生活に密着した捕鯨は、なかなかやめられないのでは。

  b.発表と討論U(司会:冬野、発表:春川「捕鯨の歴史」)
 春川:7世紀頃、ノルウェーのフィヨールドに住んでいた人々が小舟と槍を使ってクジラをしとめる技術を身につけるようになり、9世紀までには、ノルウェー北部の海で組織的な捕鯨の集団ができていたらしい。 10世紀前半では、バスク人がノルウェーから伝えられた捕鯨技術を使ってビスケー湾沿岸で捕鯨を始めた。また、バスク人は、世界ではじめて捕鯨を産業として利用した。ランプ用の油とコルセット用の鯨ヒゲを主産物として、ビスケー湾は数世紀間繁栄した。16世紀までにはビスケー湾のクジラはとりつくされてしまったので、造船技術や航海技術の発達による船の大型化と遠洋航海が可能となったことに伴い、バスクの鯨捕りは、アイスランドからグリーンランドの海まで出かけるようになった。 16世紀後半〜17世紀を中心に、イギリスやオランダが北方航路開拓の目的で北極方面へ行ってみたところ、クジラが豊富に生息していたところから、イギリス、オランダともに1610年頃に捕鯨船を北極海に送ったことにより、大西洋における古式捕鯨の黄金時代が始まった。 ヨーロッパ諸国がその捕鯨に参加したが、とくにオランダの進出がめざましかった。最も盛 んに捕鯨が行なわれていたスピッツベルゲン島につくられた、オランダの町、スミーレンブルグの繁栄ぶりは、当時東南アジアでオランダによって建設されて繁栄を極めたバタヴィアをもしのいだ。 18世紀、イギリスは国の奨励策によって頭角を表し、1788年にはついにオランダを抜いて最盛期を迎えた。アメリカでは、16世紀後半ぐらいからナンタケット島付近で捕鯨を始めていたが、1715年頃からマッコウクジラ漁で栄えることになり、ナンタケット島は世界でも有名な捕鯨の根拠地になった。16世紀から18世紀にかけて繁栄した捕鯨も乱獲により、19世紀からは衰退していく一方になった。 日本では、1570年頃に愛知県の三河で8隻の船にのって銛を使った捕鯨が行なわれており、1670年頃には網取り式捕鯨が行なわれていて、この方法による捕鯨は日露戦争のときまで続けられていたらしい。 なぜヨーロッパ人は、捕鯨のために乗組員を1万5千人も出したり、19世紀までに捕鯨が衰退してしまうほどクジラにこだわっていたのだろうか。豚の油でもよかったのではないか。
司会:現在捕鯨に反対している国もかつては大いに捕鯨をしていたことがよくわかった。
 夏島:ビスケー湾はどこにあるのか。
 春川:スペインのバスク地方だから、フランスとの国境近くの海だ。
 平口:この地図で示してごらん。
 司会:ビスケー湾でとっていたクジラの種類は?
 春川:それについては調べていない。
 秋山:スピッツベルゲンの位置は?
 春川:ノルウェーの北方の北極海にある島だ。
 夏島:どうしてそこに拠点をおいたのか。
 春川:その付近にクジラがたくさん生息しており、捕鯨場の近くで処理する必要があったからだ。
 秋山:バタヴィアとはどこにあるのか。
 春川:東南アジアのどこかだ。
 平口:その地図で調べてごらん。
 司会:なんだ今のジャカルタのことか。

 c.コメント
 平口:時間がないので、討議はこのへんで終わりにしたい。春川さんの発表の最後の疑問については、これまでのセミナーで話されたことの中に答えが見つけられると思う。鯨油は大量に産し、質がよく、食用から燃料、機械油まで多様な目的に使用できるので、経済的価値が高い。石油資源の開発や植物油の多量生産が始まるまでは、鯨油に大きく依存していた。豚の油ではとても対応できない。

 d.予定
 平口:このセミナーは動物考古学をテーマとしているけれども、なかなか本題にはいれないまま、来週で終りという段階に来てしまった。そこで、次回は、「縄文時代のイルカ捕獲活動」という、私の書いた論文をたたき台にして、日本の捕鯨の起源について考えてみよう。 司会秋山・発表冬野と司会春川・発表夏島の組合せで行なうが、全員が前もってこの論文を読んでおくこと。この論文は一般向けに行なった講演の原稿を書きなおしたものなので、あまり難しくはないはずだが、発表者はこの論文を読んでわからなかった点を調べ、ふたりで相談して発表内容を決めること。他の人も問題点をおさえておくように。


 [第8回セミナーについてのレポート]

◇夏島:民族捕鯨についての発表は、日本とヌートカ・インディアンやエスキモーとの比較がよかった。民族捕鯨として発表されても具体的にはよくわからなかったが、後の討論で疑問点がわかったのでよかった。 近代捕鯨についての発表は、「なぜ鯨でなければならないのか」という副題がついていたが、前に鯨類の利用法について調べたとき、クジラの代用とされているものがあったことを思いだした。それを見る限り、食用以外ではクジラを利用する必要性がないようだった。この疑問は、「なぜ鯨をとるのか」ということにつながるだろう。そのあたりのことをもう少し知りたかった。 それと、やはり地図を資料として使ってほしい。今回は両方とも地理的要素がはいっていたので、文章だけではわかりにくかった。このような発表のとき、地図等の資料は多く使うといいだろう。
◇秋山:(前略)日本の捕鯨が、西欧諸国やアメリカのものとは違うということは少し知っていたが、詳しくは知らなかった。 エスキモーやヌートカ・インディアンと日本の捕鯨には、何か精神的に清いものがあると思った。それはどれだけ、より生活に密着しているかだと思う。簡略ながらも、民族による捕鯨を理解することができた。 春川さんの発表した「捕鯨の歴史」の副題「なぜ鯨でなければならないのか」についてであるが、クジラは体が大きく、油ならコストの割には多くとれて、利用範囲が広く、効率的だからだと思う。私の発表の中にも近世捕鯨に関することがあったので、春川さんの発表からもその答えを知りたかった。
◇冬野:(前略)民族によって捕鯨の方法、対象となる鯨類は違っても、その役割の重要性は変わらない。危険で、多くの人手を必要とする作業であるために、人々の結びつきを強くする。また、少しでも能率をあげるために、漁具や技術が発達して、これも文化の一部になってきたことだろう。 日本の場合、近代化が進んでも捕鯨はすたれず、捕鯨のスケールも大きくなった。捕鯨禁止の圧力がなければ、ずっと続いていったのではないだろうか。捕鯨はたんに食料供給の手段だけではないからだ。


9)6月23日(火)W限 縄文時代のイルカ漁と漁業の地域性、真脇遺跡出土のイルカ類とその習性・漁法 

 a.発表と討論T(司会:春川、発表:夏島、「縄文時代のイルカ漁と漁業の地域性」)

 夏島:捕鯨の起源をなすイルカ漁は、各地の漁業の特色と密接な関係があるので、まず、縄文時代の漁業の地域性について取り上げることにする。 縄文時代と聞いて思い出すのは、縄目模様の土器ではないだろうか。この土器が証明するように、この時代は縄の使用が多かったようだ。縄を編んで出来るものに網がある。漁業に今でもよく用いられる網は、このころの漁業にもすでに用いられていたらしい。資料の図にあるように、漁網錘(網を沈めるためのおもり)の出土は全国的である。そのことからも、網漁の分布がわかる。 縄文時代が網による漁業ばかりかというとそうではない。釣針による漁業も存在した。しかし、その分布は太平洋側に集中している。この図から、東北地方の太平洋側が釣漁業の中心であったことがわかる。東北の次ぎに関東地方が多いのは、東北と隣接しているためにその影響を受けやすかったからだろう。 漁網錘出土遺跡数分布図と釣針出土遺跡数分布図とを比べてみると、その分布範囲に違いがあることに気づく。北陸地方では、釣針が出土した遺跡がほとんどないのに、漁網錘は出土している。関東や東北では両方出土して いる。銛の分布も釣針と同様の傾向があり、北陸では出土していない。北陸では網による漁業が盛んだったのであろう。 縄文時代の漁業の捕獲対象物は地域によって様々で、詳しくは調べることができなかったのだが、釣針と網とでは、捕獲する魚もやや違うらしい。つまり、地域によってよく食された魚が違っていたことになる。海流等の関係もあると思うが、この違いは現代の漁業にも共通しているのではないか。そうすると、縄文時代の漁業に今の漁業の元となるべきものがあると言えよう。
 司会:網漁の方が釣漁よりも全国的なのは、網漁の方が簡単だからではないか。暖流と寒流が重なる太平洋側で釣漁が発達したのだと思う。
 冬野:舟で沖に出て釣りをしたのか、それとも岸辺で釣りをしたのだろうか。
 司会:寒流と暖流が重なるところでは魚類も豊富なので、沖に出ることもあったのではないか。長野県、岐阜県など海のないところで漁網錘が出ているというのはどういうことか。
 平口:実は、夏島さんが引用した本では、縄文時代の遺跡からよく出る礫石錘、すなわち偏平な河原石の両端を打ち欠いてえぐりをつけた石錘は、漁網用ではないとしている。しかし、私は礫石錘も漁網錘だと考えているので、漁網錘は、この図よりもさらに広範囲に濃密に分布していることになる。ほかに、切目石錘、土器片錘、有溝石錘など、いろいろ種類があり、海辺か河川か、砂泥底か砂礫底かといった漁場の違いや、地引き網か投網かなど網の種類などによっても、おもりの使いわけがあった。巨大な石錘は碇として用いられたのだろう。時期的な変遷もある。海のない県で漁網錘が発見されるのは、別に不思議なことではない。内陸の河川や湖でも漁業は行なわれたのだから。

  b.発表と討論U(司会:秋山、発表:冬野、「真脇遺跡出土のイルカ類とその習性・漁法」)
 冬野:真脇遺跡から出土したイルカの種類と割合は、カマイルカ62%、マイルカ32%、バンドウイルカ4%、ゴンドウクジラ類2%である。このうち代表的なもの3種について特徴を述べることにする。 *カマイルカ 体長2.1〜2.2m。数百〜千頭の群をなして回遊することが珍しくない。20〜30頭、 100頭くらいの小群で行動することもある。日本近海における捕獲は、主として突棒船によるもので、群の大部分を捕獲することは少ない。伊豆半島などで行なわれている追込み漁法では、取り網で遠まきに脅しながら湾内に追い込もうとしても、群の指導的存在が一度網を飛び越えると、他のほとんどのイルカもそれに習って逃げてしまう。また、強大な雄イルカが数頭で網の弱い部分に突っ込み、網をかみ破り、この穴から群が逃走してしまうこともある。現代でもこのようであるから、縄文時代では非常に効率が悪かったに違いない。
 *マイルカ 体長 2〜2.15m。日本では、九州から北海道にかけて回遊するが、沿岸に近寄ることはまれ。九州及び沖縄では生息数が多いが、本州に回遊してくるのは100〜200頭の小群が多い。沖合いでは、漁船などの船首にできる波に戯れて波乗りをするので、これが突棒漁法の対象となる。カマイルカに比べて捕獲しやすいかもしれないが、マイルカは沖合性といわれている。日本海側・太平洋側を問わず、よく遺跡から出土する理由は、マイルカも時には沿岸に近寄ることがあるからなのか、それともかつては沿岸性が今より強かったからなのか、意見の違いがある。
 *バンドウイルカ 体長2.65〜3mが普通だが、3.7mに達するという説もある。太平洋にのみ分布し、特に日本近海に多く分布する。数頭ないし数百頭の群が多く見られるが、ときに数百頭の群をなす。ある一定区域に定住することもあるらしい。人間にはなれやすい。10ノット(18km)くらいの速力を出す船によくつき、船首波に乗っているのが観察される。
 縄文時代の捕獲方法は、三つに大別できる。 (1)網取り法 追込み漁のみならず、建切り網、取り網、定置網など、なんらかの網を用いる方法を総称する。 (2)突き取り法 民族例でいう突棒漁に相当するが、ここでは銛ばかりでなく槍を使用する場合も含めている。 (3)射殺法 民族例では鉄砲。縄文時代については弓矢が想定される。 真脇遺跡では網そのものは出土していないが、石錘が出土している。重い中・大型品については、小規模な定置網や刺し網、小型品については瀬網、刺し網、地引き網、投網などに利用されたと考えられる。丸かごの底面とみられる編物が出土しているので、網を作る技術も十分あったといえよう。 陸獣類の骨はわずかしか出土していないのに、石槍は多数出土し、イルカ骨の最多出土層における石器の中でも高い出土の割合を示している。このことから、石槍もイルカ漁に使われたと考えられる。
 司会:マイルカが沖合性なのに遺跡からよく出る理由についてだが。
 冬野:発表したように、二つの見解がある。
 平口:縄文時代のイルカも現在のイルカも基本的には同じだろうが、生息域には違いがあったかもしれない。現在は、漁船の活動や海洋汚染などの人間による影響が大きく、イルカ本来の生態をかき乱しているかもしれないから。それと、能登半島の先端から富山湾にかけては、深い海が岸近くまで迫っているから、沖合性のイルカも沿岸に近寄りやすいということも考えられよう。時間がなくなったので、これで終りにしたい。

  c.その他
 (1) 今日のセミナーについてのレポートと、今学期セミナーについてのアンケートは、明日中に提出すること。
 (2) セミナー全体の経験をもとに、「捕鯨は是が否か」について自分の意見(総合レポート)をまとめてくること(横書き400字詰め原稿用紙1枚半以上2枚以内)。
 (3) 反捕鯨運動を展開しているグリーンピースと、捕鯨を守ろうとしている日本捕鯨協会の、2団体の主張を示した資料を配布するので、レポートの参考にすること。
 (4) レポートは、書かなくて済むことは出来るだけ省略し、原稿枚数を最大限有効に使用すること。
 (5) レポートとは別に、セミナー全体についての感想を同様の原稿用紙1枚以内にまとめること。
 (6) 動物の種名は、カタカナで表記すること。
 (7) パラグラフを適切に立てて書くこと。
 (8) 文献を引用する場合は、編・著者名、書名または論文標題、発行年(西暦)を付記すること。
 (9) 総合レポートと感想文は、7月13日(月)までに提出すること。 [第9回セミナーについてのレポート]
◇春川:(前略)夏島さんの発表の主題は、縄文人がどの地域で、どのような方法で漁業をしていたかということだった。網取りをするための石のおもりが全国的に出土していることから、網取り漁業は全国的に広がっていたことがわかるが、東北・関東地方を中心に釣針も出土していることから、このあたりの地域では釣漁業も行なわれていたのだろうということだった。 冬野さんの発表の内容は、縄文時代ではどのようなイルカがとれていて、どのような漁法でとっていたのかということだった。イルカの習性を利用して網でとったり、または飛び道具でとるなど、様々な捕獲方法があるということだった。
◇夏島:縄文時代のイルカ漁ということだが、縄文時代の漁には網と銛・釣針等が使われた。網の使用については、土器の模様で縄目があるように、土器の底に網目がついていた例と、網のおもりとなる石錘の出土によってわかった。イルカ漁については、自分の調べはできていなかったが、真脇遺跡では網と槍が用いられたようだが、銛を用いた地域もあったと先生よりお聞きした。今日の発表で、イルカ漁が北陸(富山湾岸)で盛んだったのは、富山湾が谷のように急に深くなっているため、イルカが岸に近寄りやすかったからだということがわかった。以前の発表の、富山ではつい最近まで、給食に鯨肉がでたということと関係があるのかもしれない。このイルカ漁から捕鯨へと発展していったのだろう。とすると、縄文時代のイルカ漁は日本の捕鯨のルーツではないか。それ以前はどうだったのだろうか。(後略)
◇秋山 (前略)私は、縄文時代には、縄目模様の土器が示すように、縄の使用が多いとは思っていたが、網が使用されていたとは思いつかなかった。東北の三陸付近の潮目が漁業の中心なので、この地域では釣針なども多く出土するようだ。網そのものの出土はないが、石錘の大きさが網漁法の種類や漁場の特徴を語っている。中・大型品は定置網・建網などに、小型品は地引き網・投網などに利用されていたようだ。 今日わかったことは、縄文時代の漁業に今の元となるべきものがあり、縄文時代からの特色がずっと受け継がれてきたということだった。
◇冬野 発表用に資料を見ていたら、2カ月ほどの間、鯨類について学んでいたはずなのに、鯨類そのもののことがよくわかっていないことに気づいた。そこで、今回のテーマと関係づけられるようにしながら、鯨類そのものについて調べてみた。本来ならはじめのうちにやることだったかもしれないし、それ以前に個人的に調べておけばすんだことかもしれない。自分が知らないからといって他人も知らないと思うのは危険だ。 では、なぜこれをしたかといえば、調べていておもしろかったからだ。興味深い文が数多くでてきたので、脱線してしまうことがしばしばあった。結果として脈絡のない発表になってしまった。もっと明確な目標をもって取り組むべきだった。


10)総合レポート「捕鯨は是か否か」

◇春川:「クジラにの知能」について中途半端に終ったので、そのことに少しふれながら捕鯨問題について書きたいと思う。 現在、捕鯨国と反捕鯨国の意見が全く反対なのでいろいろもめているようだ。捕鯨国(特に日本)または捕鯨賛成者の意見は、高い知能をもつクジラを殺してはいけないというなら、普通の動物、知能の劣る存在は殺してもよいということになり、これは一種のナチス的な考えで人種差別にも通じるのではないか、また、日本人は野蛮だとか、クジラがかわいそうというのは、あくまでも西洋人の、クジラを特殊視する感情的な生物観や肉食習慣に基づいているのではないか、というようなことである。 一方、反捕鯨国(特にアメリカ)または捕鯨反対者は、形態的・機能的な面からみて、クジラの頭脳は高度に発達していて、進化の程度は人類に匹敵しているとか、人類と似た社会生活を送っているとみなす。つまりクジラを人間と同等と考えるべきだと主張する。また、クジラを殺す方法が非人道的で残虐だと糾弾している。 このように捕鯨国と反捕鯨国が対立しているが、自分は反捕鯨の意見に賛成である。なぜなら、現在日本では、クジラを食べな くても我々の食生活には全くといっていいほど影響はないし、クジラの利用法は多々あるといっても、科学技術の発達で材料類はカバーできているし、また、安く大量に提供するために、マグロ同様、とりすぎのような気がするからである。 こういうわけで、クジラでなければいけないという理由がない以上、捕鯨は行なわれない方がよいと思う。
◇夏島:(前略)捕鯨反対の運動が高まってきたのは、最近のことである。特に米国での反対は多く、敵意さえ感じられる。しかし、反対理由にはかなり矛盾点がある。 捕鯨反対を叫ぶ人は、「クジラはヒトの次に頭のよい動物。それを殺すなんて。」とか「クジラは数が減っている。保護するには捕鯨をやめるべきだ。」と言う。だが、何を基準に頭脳のよしあしを決定するのかはっきりしない。また、かつて米国、日本等多くの国がクジラを乱獲した事実があるけれども、現在、その数は種類によっては回復している。乱獲を始めるわけでもないのに、頭数の減少が叫ばれるのでは、捕鯨国は乱獲するものと決めつけてしまっているようなものだ。そこには、捕鯨そのものとは別の次元の感情問題があるのではないか。 生物は生態系の一環として管理されるべきだ。(中略)クジラを保護するのなら、クジラにかかわるすべての生物を保護しなければならない。そこまでしなくてはならないほど、クジラの頭数が減っているとは思えない。捕鯨と保護の両立は可能ではないか。 捕鯨を考える上で大切なのは、クジラをとる理由の正当性だろう。エスキモーのようにクジラをとら なければ生活できない、という理由は、日本の場合、ほんとうに少数にしかあてはまらない。米国と日本での人口比で考えると、エスキモーも日本の捕鯨村の人々も同じくらいだろう。しかし、エスキモーに許されても、捕鯨村では許されない。日本は豊かな国家と見られているため、クジラ以外にも食べる物があるだろうというのが、許されない理由かもしれない。 反捕鯨国は、捕鯨国がなぜクジラにこだわるのか理解できない。クジラに代わるものが出てきたから、何もクジラにこだわる必要はないではないか、というわけだ。日本の場合、鯨肉を食用としており、クジラでなければならない理由がある。 しかし、反捕鯨の立場の人が抱く疑問もわかるので、どちらがいいとは断言できない。この問題は、感情に流されず、地球全体として考えるべきである。(後略)
◇秋山:捕鯨は是が否か―正直言って、今まであまり考えたことがなかった。しかし今は、日本人にとって捕鯨が必要であると考える。というのは、やはり、捕鯨あるいはクジラそのものが、「経済大国」と呼ばれるようになった日本の影の立役者だからである。捕鯨は日本独自の食文化を確立し、「戦後の日本を救ったのがクジラである」と言っても過言ではないだろう。 また、北米のエスキモーのように、日本にもクジラを生活の糧としている人々がいる。にもかかわらず、米国人は鯨類の大脳の大きさを一つの根拠として、彼らの知能が他の生物に比べて優れていると考え、ヨーロッパ諸国も、日本に反捕鯨を訴えているのが現状である。 ところが、こういった考えは一変するかもしれない。R・フランク(1992)によれば、多くの海洋哺乳類が実際には絶滅の危機にさらされているわけではないことが知られるようになり、陸地がますます貴重なものになるとともに、世界の人口がさらに増えて食糧資源がいっそう減少し、飢えた人々に食糧を確保する問題が一段と深刻になるにつれて、米国人の意識は変わるだろう、という。また、米国人が自分達の主観的な見解を世界の 他の社会に対して押しつけることを正当化する根拠が今後ますます減少するだろう、と強調している。(後略) 
◇冬野みどり まず反捕鯨論者への疑問を書いてみたい。頭が悪いとは断言できないにしろ、明確な事実であるかのように「クジラは頭がよい」と断言するのはどういうことだろう。頭が悪ければとっていいというわけでもないだろうに、知能を一番の理由として捕鯨に反対する人がいるのは確かだ。鯨類の頭数についてもはっきりしない。反対者は減っているといい、賛成者は増えているという。どちらかが嘘をついているか間違っているかだから片方だけを非難するわけにはいかない。しかし、自分の利益がかかっていたらそんなに慎重になれるのかと言いたいほど、反対者は用心深い。 今年のIWC総会でも、商業捕鯨は再開できないことになった。アイスランドは脱退表明をし、ノルウェーは商業捕鯨再開宣言をした。他国の目ばかり気にしているように見える日本でさえ、今回の総会で脱退を示唆したという。これは、IWCの大勢が一方的であるのを示すと同時に、捕鯨で生計をたててきた人達が現在、いかに苦しんでいるかを示すものであろう。 だが、こういった強硬な態度を見てはじめて実態を知るという状況も異常である。国際的に理解を得ようとする前に、国内 で理解を得るべきではないのか。ただでさえクジラを資源として見る機会は減っている。さらに最近の、流行めいた環境保護活動の象徴としてクジラ(鯨類)が使われている。受動的でいれば反捕鯨者になってしまうほど、情報が偏っている。 「生計がたてられない人間とクジラのどちらが大切か」、「自国の文化を捨てろというのか」と問うてみたい。(後略)


11)感想

◇春川:大学に入るまで鯨類については全く勉強していなかったせいか、1学期の最後までとまどってばかりだったが、いろいろなことを知ったと自分では思っている。 たとえば、クジラの知能(どの程度もっているか、はっきり結論は出なかったが)、回遊するものとしないもの、歯をもっているものとヒゲをもっているもの、鯨類の利用法、そして捕鯨問題の深刻さなどなど、本当に多くのことを学んだ。 このことから、テレビやラジオでクジラの話題が出てくると耳を傾けるようになった。また、関心をもてるようになったものが一つ増えたのでよかったと思う。
◇夏島 捕鯨が反対される理由は何か、ということからクジラに関して興味がわいた。それにはクジラについて知らなくてはならない。それぞれの発表から、食肉以外ではそれほど影響を与えないようにみえる。しかし、縄文時代のイルカ漁から最近の捕鯨まで、その流れは連綿と続いており、今後も容易に断てるものではないだろう。 遺跡を見学したとき、土にまぎれてある白い貝の多さに海とのつながりの深さを知った。正直言って、縄文時代にイルカが食されていたということ自体、驚きであった。時間があれば、出土した土器等も見たかった。 捕鯨に対する疑問から、クジラそのものに対する興味へと変わっていった。クジラはまだ知られていない部分が多い動物である。最近、精神的な病気をイルカでもって治療する方法について聞いた。本当にイルカはそのような働きをするのだろうか。鯨類について調べてみて、どこかヒトと近いところがあるように思えた。
◇秋山:一番の感想は、やっぱり大変だったということであろう。友人に聞いてみても、当セミナーほど調べるところはなかったようだ。 毎回のレポート提出もそうだったが、アンケート調査にも書いたように、“書く”ということがそれほど苦にならなくなったし、苦手な“話す”ということにも幾分プラスになったのではないか。発表と司会を何度も繰り返して、改めて会話力は大切だと思った。 50分という短い時間だったし、無理ではあるが、もっと資料館や遺跡を見に行きたかった。大変なこともあったが、興味のもてた題材だったし、初めて知ることも多かったので、楽しかったというのが本音である。
◇冬野 このセミナーを受ける前から鯨類に興味をもっていた。といっても、もっぱら捕鯨に関することに対してである。ゆえに、捕鯨以外の観点から鯨類を見ることができたというのが一番の収穫であった。 捕鯨反対論者と同様に、私にとっても捕鯨は死活問題ではない。そのためか、私も自分が一番批判している感情論での主張をしがちである。それをいかに客観的に主張できるようになるか、という意気込みがあったせいか、何をしても結局捕鯨問題に戻ってしまったのが難点だった。 もう一つの収穫は、レポートを多く書いたことである。時間に追われたり、主張したいことがまとまらなかったりして、ろくなものにはならなかった。時間をかけてもそれがほとんど文章に反映されていない。レポートを「書いたこと」だけを収穫とするのは悪いことだが、主張したいことが伝わらない文章を書いているのでこうなってしまった。


12)アンケート調査結果

(1) 興味:大いにもてた(2名)、ふつう(2名)、もてなかった(0名)
(2) 難易:やさしい(0名)、ふつう(0名)、むつかしい(4名) 
(3) 方法:とてもよかった(0名)、ふつう(4名)、よくなかった(0名) 
(4) 時間:長すぎる(0名)、ちょうどよい(2名)、短すぎる(2名) 
(5) 効果(複数選択可) 
 読書力:あった(1名)
 作文力:あった(2名)、とくにあった(1名)
 会話力:あった(1名)、とくにあった(1名)
 思考力:あった(3名)
 マナー:あった(2名)


2 考 察

1)アンケート調査結果に対する自己評価

 (1) 興味:全体的にかなり興味をもって取り組んでくれたという印象をもつ。ただし、学生の関心が鯨類そのものとか、現在の捕鯨問題に傾きすぎたため、主題の動物考古学という点では内容が希薄になってしまった。動物考古学的な話は最終回になされたのであるが、期末試験が近づいていることから、セミナーに対する学生の気持ちが浮ついてしまったということも一因しているかもしれない。 
 (2) 難易:アンケート調査結果では、全員が「むつかしい」に○印を付けていた。レポートや感想文によれば、選択したテーマ自体が難しいという場合のほか、毎回レポートを提出したり、発表や司会を当番制で何回も担当したことが難しいという印象を与えることになったようだ。また、学生の話によると、テーマによっては、適当な参考文献に乏しいということも戸惑いの原因になったように思われる。 
 (3) 方法:学生同志の討議をもっと活発にするための工夫が必要だ。毎回提出するレポートは、口述討議の不十分を補う役割を果たした。第2学期開始までにまとめた記録集は、担当教員がセミナーのあり方を検討するためだけでなく、受講者全員に配布することにより、学生自身の反省材料・参考資料として活用することができる。 
 (4) 時間:発表・討議・コメントを十分に行うためにも、また、学外見学などを行うためにも、1回50分は短すぎる。カリキュラム全体のバランス上、どうしても50分にとどめざるを得ない場合でも、自主的な延長が可能なように最終時限に設定するのが望ましい。逆に、制限時間に比べて量が多すぎたともいえる。総合セミナーの目標にふさわしい締めくくりをする余裕がなくなってしまったのが残念だ。 
 (5) 効果:読書・作文・会話・思考・マナーの各項目において、各人に程度の差はあれ効果があった。教務通達に示された評価基準は、目標到達度30点、積極性30点、協調性30点、出席度10点(計100点)であるが、このうち目標到達度については、筆者の判断で作文 10点、会話10点、マナー10点の配分とした(読書・思考は作文に含めて評価した)。その結果をみると、マナーについては全員8で問題はないが、作文の目標到達度3・5・7・8、会話の到達度3・5・6・7であるから、作文と会話については目標到達度6に満たなかった学生が4名中2名いることになる。到達度の判定は、絶対評価と相対評価を組み合わせて行なった。

 

2)セミナーのテーマと展開

 セミナー「動物考古学―鯨類と人間―」は、医学部第1学年生を対象に歴史・人類学系の講義を担当している筆者にとって、いろいろな意味で妥当なテーマであると自画自賛している。その主な理由は、第1に、筆者の専攻分野の一つが動物考古学であり、現在、遺跡出土鯨類の研究に従事していること。第2に、日本における生物学的な鯨類研究は、医学部解剖学分野の研究者によって先触れがつけられ、一つの大きな流れを形成していること。第3に、鯨類学のもう一つの大きな流れである水産学的研究は、環境や食生活の問題を介して、人間の健康や病気の問題にも関連してくること。第4に、捕鯨問題に端的に表れているように、鯨類と人間の関係は文化的・社会的・経済的問題となっており、これをテーマにすることは医学に必要な総合人間学的な眼を養うのに役立つこと。第5に、鯨類は、水族館のイルカショーなどを通じて一般に親しみがもたれているとともに、知的好奇心や探求心を刺激するのに打ってつけの動物であること。 第2回めのセミナーのときに、捕鯨について賛否を問うたところ、4人とも賛成の意思表示をした。『C・W・ニコールの海洋記』を読んだ後であったから、 日本人の捕鯨を支持する著者の明快で説得力のある見解と魅力的な人柄に影響されて、賛成に回った人もいるかもしれない。ところが最終レポートでは、一人が反捕鯨に転じ、一人が反捕鯨にも理解を示すようになっている。最終段階でグリーンピースなどの反捕鯨の主張を読んだことが影響しているのかもしれない。ただし、その反捕鯨に転じた理由は、セミナーで扱った問題全体を十分検討した上での結論とはなっていない。フィードバックして討議する機会があれば、より充実したセミナーとなったであろう。

 

3)テュートリアルとの比較

 本学においても、問題解決能力と自主学習能力を向上させるために、少人数グループ教育の一環としてテュートリアルの導入が検討されている。従来行なわれてきた教養セミナーまたは総合セミナーからテュートリアルへの移行は、中間的な方式を採用することによって無理なく達成できるのではないだろうか。 今回筆者が行なった少人数セミナーでは、従来よりも学生主体をつよく打ち出しているが、担当教員の発言がテュートリアルにおけるテュータの場合よりもまだ大きなウエートをしめている。最小限の口出しで済む工夫をすることにより、実質的にテュートリアルに移行することができるであろう。 テュートリアルでは、テュータは課題・学習内容の専門家でなくてもよく、テュータを補佐するコテュータが専門家の立場からテュータに助言を与える場合があるという。しかし、専門家でなくてよいといっても、それは程度問題であろう。とくに第1学年を対象とした一般教育のテュートリアルにおいては、テュータ自身がなじみやすい課題・学習内容であるほうが意欲的な取り組みとなり、グループの雰囲気をよくすることにもつながるのではないか。 したがって、少なくとも本学の医 学部一般教育においては、共通の教育目標のもと、共通の方式でテュートリアルを行なうにしても、課題については、各グループごとになるべくテュータの専門を活かした設定をするのが現実的であろう。


まとめ

 本論は、平成3年に大学設置基準が改定され、一般教育課程の編成が大幅に自由化されたことにより、今後のカリキュラムに大きな変更が予想されるという、流動的な情勢においてまとめられた。また、日本の医学教育においてはまだ一般化していないテュートリアルの導入が本学で検討課題となっている時点での執筆でもある。 本学一般教育においては、開学当初から少人数グループ教育の利点に注目し、セミナー方式でそれを実行してきたが、実際の運用については、各担当教員の自由裁量に委ねられる部分が大きかった。ある種のテュートリアル方式は、担当教員の裁量に一定の制限を加えるという管理的な性格をもっている。いずれの方式にせよ、一長一短があるのであるから、新方式の採用にあたっては、短所克服の手だてを準備して実行に移すべきであろう。 筆者が今回試みたセミナーは、文字どおりセミナーの範囲を越えるものではないが、テュートリアルへの漸次移行の可能性、あるいは既成のものとは異なるテュートリアル方式の実現可能性を念頭において実施したものである。 なお、実施記録における学生のレポートは、主として下記の文献を引用または参考にしている。学生 のレポートというものは、だいたい換骨奪胎が巧妙ではなく、一見して“著作権侵害”に当たるような箇所もある。著者各位にあられては、本論の趣旨をご理解いただき、なにとぞご寛恕いただきたい。

参考文献

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金沢ひまわり平和研究室 平口哲夫執筆の文献  管理者 平口哲夫