日本海セトロジー研究会第12回大会
口頭発表要旨



目次


O1 佐渡海峡における佐渡汽船乗組員の鯨類目撃記録―1994年4月〜2000年12月―


本間義治(新潟大学医学部第三解剖学教室)・古川原芳明(佐渡汽船高速船部)


佐渡航路(新潟〜両津,寺泊〜赤泊,直江津〜小木)に,カーフェリーボート(C)に加え,ジェットフォイル(J)が就航したのは1977年5月からで,翌年9月には早くも未知物体との衝突事故が起こり,2001年5月現在までに9回の衝突が発生している.この中には,明らかに鯨類との接触が数例含まれている(本間ら,1998;Honma et al., 1997, 1999).そこで,佐渡汽船では海上浮遊障害物に対する監視体制を強化し,障害物情報の記録を取り続けてきた.しかし,指定航路の定刻航海という枠の中で,鯨類種別判定の訓練を受けているわけでもない乗組員としては,障害物を発見すると,船体と乗客安全のため,回避操船を行わなければならない.したがって,クジラ類(大凡の全長4m以上)とイルカ類を区別するのが精々で,種名が確実に査定されたものは1例もないというのが現状である.1994年4月以来のこれらの記録は,視界の効く日中に限られることも加わって,科学的の精度に多少の問題はあるが,佐渡海峡における鯨類の出現状況と行動を,相当な程度に示していると思われる.そこで,今回はこれらの記録を総括し,さらに経年的,月別(季節的),時間帯別,航路別に解析した結果を報告したい.

 まず,経年的にみた場合,目撃回数の突出して多い年は,1997年度の新潟・両津航路と,1998年度および1999年度における直江津・小木航路である.月別には,3〜7月の間に多く,4〜5月に集中している傾向がみられるが,真夏には少ない.11〜2月までの冬季には,FとことにJの就航便数が減少することや,日照時間の短いこと,さらには波高が高いことも加わって,目撃例が極めて少なくなる.時間帯別には,就航時の朝から晩までいつでもみられるが,午後の2〜3時頃にピークがあるとみなされる.小型F1艘が0〜2往復するにすぎない寺泊・赤泊航路は別として,新潟・両津航路はF2艘で6〜8往復,直江津・小木航路は2艘で2〜7往復;Jは新潟・両津航路が3艘で3〜11往復,直江津・小木航路が1艘で0〜2往復で,新潟・両津の方の就航数が多い.それにもかかわらず,鯨類目視例が直江津・小木の方で,しかも佐渡海峡の中央線よりも佐渡島寄りの方で多いことに特色がある.これを補強するように,ヘリコプターやヨットセーリング等からも,佐渡の小木〜赤泊沖合いにおける目撃情報が多い.ところが,Jの衝突は新潟〜両津航路のみで,Jの就航している世界各航路の中でも突出して多いらしい.そ の理由は,就航便回数も一因になっていると推察される.

 次に,イルカ類ことにカマイルカの群れの北上は春先に見られることが多く,5〜6月には大群に遭遇する.一方,1〜10数頭からなるクジラ類は春先から夏にかけて目視されることが多く,ヘリコプターやヨット・釣舟乗組員の写真撮影を伴う情報は,ツチクジラと判明しており,その他は,ゴンドウクジラ類である.これらの状況とは別に,鯨類の漂着体は1〜2月がイルカ類(主としてカマイルカ),3〜4月がクジラ類(主としてオウギハクジラ,次いでツチクジラ),大型定置網への入網は冬季(主としてミンク)に多いという記録が蒐集されている(本間,1990,1995;本間ら,1995,1996,1997,1998,1999;簑輪ら,2000).最近は,鯨類ことにイルカ類の目撃頻度が高まり,佐渡汽船では2000年度における記録をクジラ類に限ったが,まだツチクジラの遊泳方向がいずれであるかを確定するほどの資料は集まっていない.

O2 日本海セトロジー研究グループ発足以来の鯨類漂着データについて


山田 格(国立科学博物館),石川 創(財 日本鯨類研究所)


 1988年の日本海セトロジー研究会発足以来,ストランディングデータの収集は研究会の主要な活動の一つであった.1986年以降「鯨研通信」に日本全国を対象にした「ストランディング・レコード」の連載を始めていた日本鯨類研究所の活動と並行してデータ収集を開始した.その後,1993年頃からはデータ収集ならびに集計を担当していた演者らの間での情報のやりとりも密になり,現在では事実上データを共有している状態である.

 ストランディングデータの集計とそれに基づくデータの解析によって,散発的なケースレポートでは得られない理解ももたらされることになった.特に本研究会の中心的な話題となっているオウギハクジラの研究,あるいは最近になって検討の必要性が生じてきたハセイルカと思われるマイルカ属の問題など,本研究会の研究成果として意義深い.

 発足後のストランディングデータを集計してみると,報告件数は総計で約500件,年別に見れば少ない年で年間20件程度,多い年には70件ほどである.内容としては,クジラ目が約30種,食肉目(鰭脚類)約5種が報告されている.遡及的な集計結果では800件を越える報告・記録がある.

 元来ストランディング情報は,特殊な状況下にある個体についての情報であり,それが直接物語っていることをくみとることは極めて困難である.しかし,たとえば本州中部日本海沿岸でのイシイルカのストランディングが最近減少傾向にあることは,個体数の減少をある程度反映している可能性もあり,注意深く状況を見極める必要性が示唆されるように,ストランディングデータの慎重な解析結果は,我が国を取り囲む海やそこに棲む生物の状況を知る貴重な情報源であるとも考えられる.

 一方で,各地の現場で実際にストランディング対応に尽力している人々にとっては,報告の二重性,集計結果公表の形態などの点で満足のいくものではなく,何らかの改革を迫られているのが現状である.具体的には,協力者の負担を可能な限り軽減すること,国立科学博物館のウェブに迅速にストランディングデータを紹介するシステム作成と,日本海セトロジー研究会のウェブページを有機的にリンクさせていくことを計画している.また,新鮮な個体の病理学的検索を迅速かつ慎重に行うことにより,ストランディングの原因を解明するなどの成果も期待されるので,今後も会員各位をはじめ関係者の理解と協力を得てストランディングデータの収集と,調査を進めていきたい.その成果を,協力者をはじめとする地元あるいは鯨類研究者間で共有しながら,標本の有効利用を実現する体制づくりが今後の課題であろう.

 なお,本演題の内容を本年11月バンクーバーで開催されるBiennial Conference on Marine mammal Scienceで発表し,本研究会の活動を世界に紹介することを検討している.

O3 漂着鯨類に認められた脳病変の病理組織所見


島田章則(鳥取大獣医病理),澤田倍美(鳥取大獣医病理),森田剛仁(鳥取大獣医病理),安藤重敏(鳥取県立博物館),大池辰也(南知多ビーチランド)


【はじめに】 
 哺乳類の中枢神経系疾患(病変)は,一般的に1)代謝障害に基づく変性・壊死(例:酵素欠損による神経細胞内異常物質蓄積症),2)循環障害(例:脳出血,脳梗塞),3)炎症(例:ウィルス,細菌,寄生虫感染),4)腫瘍(例:神経細胞あるいはグリア細胞由来腫瘍,脳以外の臓器・組織に発生した腫瘍の脳への転移),5)奇形(例:水頭症)に分類される.鯨類においても同様の疾患・病変が発生しうる.海外の事例として漂着鯨類個体の脳病変についての報告がなされている.しかし,我が国においては,頭蓋を露出し新鮮な脳を病理学的に検査することが極めて困難な状況にあることから,鯨類の脳病変についての日本からの報告は乏しいのが現状である(Uchida K. et al., 1999).
 今回,過去6年間の漂着鯨類個体の病理検索の過程で遭遇した脳病変の病理組織像を報告する.また,それらの所見と漂着との関連について考察する.

【材料と方法】
 症例1:コマッコウ Kogia breviceps,♀,成体,平成9年,鳥取砂丘漂着
 症例2:スナメリ Neophocaena phocaenoides,♀,成体,平成11年,知多半島漂着
 いずれも,肉眼解剖実施後,脳を含む全身諸臓器を病理組織学的に検索した.また,症例2については,抗脳心筋炎ウィルス抗体を用いた免疫組織化学的検索を実施するとともに凍結組織材料からのウィルス分離を試みた.

【結果および考察】
 症例1:延髄薄束核におけるスフェロイド(軸索の膨化)形成.大脳および小脳白質における瀰漫性のグリア細胞増生.これらはいずれも加齢性の非特異的変化と思われる.大脳白質に囲管性単核細胞浸潤像(一カ所)が認められた.一般に,本所見はウィルス感染時あるいは中毒などの急性代謝障害時に,非特異的変化として認められることが多いが,本個体における病理学的意義は不明である.
症例2:大脳および小脳の実質に多数の囲管性単核細胞浸潤像およびグリア細胞増生像が見られた.心筋組織内には,心筋の巣状壊死を伴う広範な単核細胞浸潤像が認められた(非化膿性脳心筋炎).哺乳類の脳および心筋の両者に炎症を起こす脳心筋炎ウィルス (picorna viridae, cardiovirus) 感染も含め検討したが,今回,確定診断はできなかった.

引用文献
Uchida K, Muranaka M, Horii Y, Murakami N, Yamaguchi R, Tateyama S. 1999. Non-purulent meningoencephalomyelitis of a Pacific striped dolphin (Lagenorhynchus obliquidens). The first evidence of morbillivirus infection in a dolphin at the Pacific Ocean around Japan. J. Vet. Med. Sci., 61:159-162.

O4 黒部海岸(富山湾)へ上陸したゴマフアザラシの病理組織学的検索続報


本間義治・牛木辰男・人見次郎・武田政衛(新潟大医3解)・吉田 毅(富山県庁)・加野泰男(魚津水族館)


【目 的】
 すでに本研究会第10回大会で発表し(本間ら,1999),原著論文にも記したように(Honma, et al., 2000),1998年3月2日に富山湾黒部市石田漁港へ上陸したゴマフアザラシ幼獣(推定年齢2〜3歳,♂)は,衰弱著しかったので,吉田・加野らが手当てをした甲斐なく,翌日死亡した.そこで,死因を追求するため4日に剖検し,臓器は10%フォルマリンで固定して本間へ送られ,組織学的検索に供した.観察の結果,肉眼で異常の認められた胃の膨隆には印環細胞癌(粘液細胞性腺癌)と付随する硬性癌,腎には腺腫が発生しており,胃癌が主要病因と推定された.その際,他の消化管病理像以外に,リンパ節に大食細胞が異常に増殖し,活発な食作用を示していたので,さらに他器官組織への転移を予想し,精査してみた.その結果,胃門リンパ節に顕著な腺癌が生じていることが分かり,早速平成13年日本水産学会春季大会にOHP使用という制限の下で報告したが,今回は35mmスライドによって別の角度からも紹介したい.

【方 法】
 リンパ節その他をブアン氏液で再固定の上,常法によってパラフィン切片を作成し,主としてHEの二重染色とMG−AFの四重染色を施して検鏡した.

【結果と考察】
 胃リンパ節には,上述の皮質部における大食細胞の増生活動のほか,皮質部に接する髄質辺縁部(結合組織性の小柱,毛細管,髄索―リンパ節や大食細胞を含む―から成る)に発達した腺細胞塊が観察され,腺癌と診断された.この腺塊の中には,大小様々の腔所がみられ,腔内にはAF陽性物質が検出された.これは,粘液性腫瘍細胞が産生したムコイドが貯留したものである.腫瘍細胞の中には,肥大化したり,崩壊したり,液状化したりして,やはりAF陽性を示したり,コロイド滴を含んだりしているものがあった.しかし,適用した染色法では細網細胞は認め難かった.
 腫瘍細胞塊は,立方状ないし低柱状で,1列に並んで腺房状や濾胞状構造をとったり,時には脂肪組織様構造を呈した.腫瘍細胞は,明確な核膜に囲まれた中央位の核をもち,核内には明瞭な染色質塊とポンソーで濃く赤染される大きな仁があることを特徴とする.また,ごく希に有糸分裂像が認められ,注目を惹いた.髄質に介在する間質組織も,癌化しているのが観察された.さらに,皮質部では,リンパ系の細胞は少なかったが,メラニン顆粒は髄質より多かった.
 胃や腸に発生する腺癌は,恒温動物で時たまみられ,ことに鰭脚類などと共に食肉目に属すイヌ類の♂に多く,その像はヒトのび慢性型によく似ているといわれている.しかし,海生哺乳類の腺癌は多数の論文に当たってみたが報告されていないようであり,今回の標本が初めての記録と思われる.このように,漂着海生動物の組織学的研究は貢献するところが大きいので,今後も継続実行する必要がある.

O5 2000年5月以降日本海沿岸およびその周辺地域に漂着した海棲哺乳類の肉眼病理学的調査報告


田島木綿子,林 良博(東京大学大学院農学生命科学研究科)


【はじめに】
 国立科学博物館が拠点として行っている日本沿岸に漂着した海棲哺乳類調査の一部を前回の研究会で報告した.今回は2000年5月以降,報告された日本海およびその周辺海域沿岸に漂着した海棲哺乳類のうち,特に演者が深く関与した肉眼病理学的調査を報告する.

【症 例】
 肉眼病理調査を実施した頭数/報告された頭数:鯨類;10/34頭,鰭脚類;2/2頭
 クジラ目:オウギハクジラ4頭,スナメリ2頭,ハナゴンドウ1頭,カマイルカ1頭,ハンドウイルカ1頭,ミンククジラ1頭,鰭脚目:オットセイ1頭,ゴマフアザラシ1頭

【調査結果】
 今回報告する症例は全て単独漂着であった.

混獲と判断した個体 通し番号 発見日 発見場所 性別 体長(cm)
スナメリ A 010207 山口県下関市 オス 104
スナメリ B 010313 山口県山口市 オス 159
カマイルカ C 010314 石川県能都町 オス 158+α
                                                                                  
 認められた肉眼病理所見のうち直接の死因として挙げられる肺水腫(A,B)および肺気腫(C)について若干の考察を付け加える.それとともに他の臓器に認められた所見等を報告する.

その他 通し番号 発見日 発見場所 性別 体長(cm)
オウギハクジラ D 010119 青森県市浦村 メス 498
オウギハクジラ E 010322 青森県大間町 メス 496
オウギハクジラ F 010410 石川県志賀町 オス 478
オウギハクジラ G 010416 新潟県佐渡郡真野町 メス 296.3
ハナゴンドウ  H 010121 石川県穴水町 メス 332.5
ハンドウイルカ I 010225 富山県氷見市 メス 196
ミンククジラ  J 010501 山形県鶴岡市  メス 475(推定)
ゴマフアザラシ K 010125 山形県鶴岡市  メス 98.5
オットセイ L 010109 青森県鰺ヶ沢町 オス 192
                     
 複数個体に認められた所見は,肺水腫(溺死);6例(D,F,G,J,K,L),高度削痩;3例(E,H,L),全身性リンパ節腫大;3例(H,I,L),胃内外来性異物の存在;4例(E,F,G,K)がある.さらに,各症例ごとの所見を紹介し,若干の考察を付け加える.

 今回の調査に際し情報提供および現地で特に御協力を頂いた団体および個人の方々(順不同)
青森県,北津軽郡市浦村,西津軽郡鰺ヶ沢町,古川政幸氏,鳳至郡穴水町,のとじま水族館,山形県立博物館,加茂水族館,羽咋郡志賀町,大場聡氏,長澤一雄氏,富山市科学文化センター,平口哲夫氏,氷見市,富山県,氷見土木事務所河川班,氷見市海浜植物園,のと海洋ふれあいセンター,下北郡大間町,北海道大学鯨類研究会,浅虫水族館,大谷内久氏,佐渡郡真野町,新潟県,野田栄吉氏,東北ハクセイ,鶴岡市,山形県,下関市立しものせき水族館.

O6 オウギハクジラ属Mesoplodonの吻部の化骨形態


長澤一雄(山形県立高畠高等学校)・大場 總(元山形県立博物館)


 オウギハクジラ属は,加齡とともに吻部の背側正中部が隆起する特徴的な化骨が進むことが知られている.これは吻央化骨( mesorostral ossification: Heyning,1984)とよばれ,日本海の現生オウギハクジラMesoplodon stejnegeriにおいても観察される.そして顕著な化骨現象は,しばしば日本海海底から産するオウギハクジラ属Mesoplodonの化石において,コブ状に大きく隆起する特異な形態としてもみられる.現生種において,このようなコブ状の隆起をもつ種はないが,こうした加齢に伴う化骨現象は,アカボウクジラ科Ziphiidaeのなかの本属の特徴のひとつであろう.今回は特に吻央化骨を中心として,オウギハクジラ属化石と現生オウギハクジラの頭骨について骨学的比較検討を行った.検討した化石は,山形県立博物館標本を主体として,一部国立科学博物館標本を参考とした.オウギハクジラ類の吻部を構成する骨は,上顎骨,前上顎骨,鋤骨,口蓋骨等である.これらは,加齡ととも化骨と癒合が急速に進んで一体化し,より堅硬に変化する.

 オウギハクジラ属化石:吻部形態や基本構成は現生種と同じであるが,いくつか異なる特徴をもつ.背面の隆起が最も特徴的であり,吻基部付近において縦長のコブ状を示し,正中部を割って大きく発達する.そして前方に向かって急に高さを減じ,前上顎骨の間に狭く楔状に接するか,または前方の前上顎骨の隆起と一体化する.コブ状の隆起は,やや非対称で,隆起の中心がやや右に片寄る.これはオウギハクジラ属の鼻骨周辺要素の非対称性と整合的である.吻基部の強い隆起部は,現生種との比較によって鋤骨と考えられる.吻基部の両翼には上顎骨がある.吻前方要素には前上顎骨があり,化骨の進まない個体はあまり隆起せず,正中で縫合して吻部前方を構成する.腹面の吻基部においては,特徴的に上顎骨が左右に分けられて,正中部に鋤骨がやや広く露出する.この形態は欠損のためかも知れないが,観察した化石ではすべてに現れており,原形を示している可能性が大きい.これは,背面のコブ状の隆起に対応した腹面構造のようにみえる.口蓋骨はみられない.吻部腹面の前方は,やや不明瞭な縫合によって左右の上顎骨が正中で接するかあるいは癒合し,主として上顎骨によって構成さ れようにみえる.前上顎骨が癒合しているかは不明である.上顎骨の縁辺には,痕跡状の小さな歯槽が小孔や細溝状をなしている.

 現生オウギハクジラ:吻部の隆起形態は,化石ほど大きく発達せず,鋤骨が縦長の隆起を形成する.加齢の進んだ個体では吻基部側の隆起がやや大きく,前方へ向かってなだらかに高さを減ずる.前方では鋤骨が楔状に前上顎骨と接するか,これと一体化して隆起部を構成する.この化骨がより進行した個体は,鋤骨と前上顎骨は完全に癒合して,化石と同様に縫合が不明となる.隆起を形成する化骨過程は,鼻孔前の篩骨の前進と硬化,鋤骨と前上顎骨の一体化と隆起,などの過程が同時に進行した結果と考えられる.化石に化骨過程も基本的には同じであるが,とりわけ鋤骨の化骨と隆起が異様に進行したものだろう.腹面においては,歯槽の痕跡は弱く不明瞭である.吻部前半部にかけては,上顎骨を分けて前上顎骨が明瞭に露出し,正中に鋤骨が狭く露出する.化骨の程度によって,鋤骨と前上顎骨との縫合は不明瞭になる.吻基部では,上顎骨の後端に小さな口蓋骨が縫合し,さらにその後部に翼状骨が接している.化石のように,腹部の基部腹面に鋤骨が露出する部分はない.化石のこの鋤骨の露出は,吻央化骨の急速な進行に関わって,腹面で鋤骨が上顎骨を割って発達してきた結果かも知れな い.

O7 オウギハクジラの歯の萌出完了時期に関する一考察


新井上巳(東京医科歯科大学大学院 医歯学総合研究科),長澤一雄(山形県立高畠高等学校),山田格(国立科学博物館 動物研究部),高野吉郎(東京医科歯科大学大学院 医歯学総合研究科)


 オウギハクジラMesoplodon stejnegeriは下顎に特徴的な一対の歯をもち,成熟雄でのみ萌出する.今回,成熟の度合いが異なるオウギハクジラの歯の成長層を観察し,個体により萌出時期が大きく異なることを示唆するデータを得たので報告する.

 各標本は硬組織切断機を用い長軸方向に頬舌面で切り出した後,厚さ50μmに研磨し非脱灰研磨標本とした.これを観察した後,脱灰してヘマトキシリン染色標本とした.一部の標本は作業の都合上ポリエステル樹脂に包埋し,非脱灰研磨標本のみを作製した.

 非脱灰研磨標本ではセメント質に透明層と不透明層の対からなる成長層が確認され,その形成過程は次の3段階に分けることが出来た.すなわち生後すぐに形成される細く明瞭な透明層から成る第1段階,細く明瞭な透明層と太く境界不明瞭な透明層が交互に現れる第2段階,そして厚さと概形の不定な薄い透明層が連続する第3段階である.

 成長層の観察の結果,萌出方向の移動距離が個体および萌出時期により異なり,第3段階に至るまでの期間が個体により異なることが示唆された.すなわち,歯の萌出完了相当時(第3段階開始期)の年齢は,個体により異なる可能性があることが示された.

O8 日本海沿岸に漂着する代表的な鯨類の形態について


山田 格(国立科学博物館)


 これまでに日本海沿岸各地で広義のストランディングが報告されたクジラ目の種は29種である.今後もストランディングデータを集計していくうえで,種の同定,性別の判定,年齢あるいは性状態などの生物学的情報をより正確に把握することが重要である.今回は,これらの種の外部形態あるいは骨格形態について,一部骨格標本を供覧しながら概説する.

頭骨の供覧を予定している種:

コマッコウ科 (Family Kogiidae)
コマッコウ (pygmy sperm whale, Kogia breviceps
オガワコマッコウ (dwarf sperm whale, Kogia breviceps

アカボウクジラ科 (Family Ziphiidae)
オウギハクジラ(Stejneger's beaked whale, Mesoplodon stejnegeri)

マイルカ科 (Family Delphinidae)
ハンドウイルカ (bottlenose dolphin, Tursiops truncatus
マイルカ (common dolphin, Delphinus delphis
マイルカ(ハセイルカ) (long beaked common dolphin, Delphinus capensis
カマイルカ (Pacific white-sided dolphin, Lagenorhynchus obliquidens

ネズミイルカ科 (Family Phocoenidae)
スナメリ (finlessporpoise, Neophocaena phocaenoides
ネズミイルカ (harbour porpoise, Phocoena phocoena
イシイルカ (Dall's porpoise, Phocoenoides dalli

O9 余市町豊浜の稲荷神社に置かれていた鯨骨


水島 未記(北海道開拓記念館)

 鯨類の骨(鯨骨)が寺社の境内などに静置されている例が,日本では少なからず知られている.吉原友吉(1977)の「鯨の墓」には数例が紹介されているほか,近年もセト研の本間義治氏や平口哲夫氏により報告されている.鯨骨を置いた目的はそれぞれの場合で異なるが,その地域に住む人々の鯨類に対する考え方を示すものとして注目される.

 北海道の日本海沿岸,小樽市の西隣の余市町でも,豊浜という集落にある小さな稲荷神社の境内に古くから複数個の鯨骨が置かれていた.さらに,近年になって,社殿内の厨子の中から別の鯨骨が見つかった.調査したところ,境内におかれていたのはシャチの頭骨2個体分,社殿内で発見されたのはミンククジラとネズミイルカ科(おそらくネズミイルカ)の頭骨であることがわかった.

 これらの鯨骨が置かれた理由は,今のところ記憶している人がいないため正確なところはわからない.吉原(1977)によれば,鯨に関わる記念物が建てられた理由には,鯨の供養のためというものが多い.豊浜の場合も,寄り鯨の供養のために置いたということも考えられる.しかし,ミンククジラとネズミイルカについては,厨子に収められ社殿内に安置されていたという点を考えると,鯨そのものの供養のためというより,稲荷神社に対して奉納されたものであるのかもしれない.豊浜はかつて鰊(ニシン)漁で栄えた場所であり,北海道日本海側の鰊漁場においては,近世から漁の神は稲荷神社である傾向が強いとされていることを考慮すると,大漁感謝,あるいは大漁祈願などの理由で奉納されたものという可能性もある.しかしながら,同じ厨子内で「恵比寿神社」と書かれた棟札も発見されている.この棟札が頭骨に関連するものだとしたら,むしろこの鯨骨こそが「エビス」としての御神体そのものであったということになる.

 また,吉原などの報告している鯨骨製の記念物はすべてヒゲクジラのものと考えられ,境内におかれていた鯨骨がシャチのものだったことは興味深い.加えて,アイヌ民族との関わりを考えると,この鯨骨がシャチのものであるということはさらに重要な意味を持つ.アイヌ民族は,寄り鯨利用のほか,捕鯨も行っていたことが知られている.しかし,鯨類の中でもシャチは別格な存在で,位の高い「沖の神」とみなされていた.地元の郷土史家によれば,余市アイヌの某氏が昭和初期まで毎年豊浜に出かけて「沖の神」の祭事を行っていたそうである.このシャチの頭骨が境内に置かれた理由は,このようなアイヌのシャチに対する信仰と関係している可能性もある.最初に置かれた理由が別のところにあったとしても,少なくともある時期には余市アイヌにとって信仰の対象となっていたことは確実である.

 ほかにも,北海道内にこのような鯨骨製の「記念物」があったという情報が数例あり,今後調査を進める予定である.

O10 セント・ヴィンセントおよびグレナディーン諸島国バルリー のコビレゴンドウ捕鯨―予備報告―



浜口 尚(園田学園女子大学短期大学部)


【はじめに】
 発表者は1991年以降,セント・ヴィンセントおよびグレナディーン諸島国(以下,セント・ヴィンセント国)ベクウェイ島におけるザトウクジラ捕鯨の調査研究に従事しており,その内容の一部はセト研第10回大会(1999年)において報告している(浜口 2000).一方,同国セント・ヴィンセント島バルリーでは,コビレゴンドウや各種イルカ類を対象とした捕鯨が行われており,発表者は昨年(2000年)より調査を開始し,現在資料を収集中である.今回は予備報告という形で現在までに収集しえたバルリーの捕鯨に関する情報を提供したい.

【バルリーの捕鯨の歴史】
 バルリーでのコビレゴンドウ捕鯨は1910年頃に開始された.捕鯨ボートは全長20〜24フィート(6.1〜7.3m),元々は手漕ぎ・帆推進,5人程度のクルーが乗り,手投げ銛,ヤスで小型鯨類を捕獲した.1962年にショット・ガンの銃身の一部を切断,改造した捕鯨銃が舳先に据え付けられ,手投げ銛に取って替わった.1972年までに全ての捕鯨ボートがエンジン動力船となった.1960年代,コビレゴンドウは年間平均267頭捕獲されていたが,1970年代は年間平均117頭となった.捕鯨ボート数も1955年15隻,1968年12隻,1973年4隻と減少し,1978年から1983年までは2〜3隻を推移していた.1970年代以降のコビレゴンドウ捕鯨の衰退原因については,修繕費および補給品(弾薬,ロープなど)のコストの増大,燃料費の高騰,米国での「海産哺乳類保護法」(1972年)の制定が複合したものであったとされている.

【バルリーの捕鯨の現況】
 2001年3月現在,4隻の捕鯨ボートが稼動中.1隻に2〜3人が乗り組む.1990年以降,捕鯨に従事しているA氏(1963年生)によると,捕鯨は1月から12月のクリスマス前まで行われており,ほぼ通年操業である.コビレゴンドウが主たる捕獲対象で,各種イルカ類も捕獲する.2000年の捕獲概数はコビレゴンドウ75頭,オキゴンドウ25頭,イルカ類(ハシナガイルカ,バンドウイルカ他)350頭,シャチ4頭,ニタリクジラ1頭であった.A氏の捕鯨ボートは全長21フィート(6.4m),幅6フィート(1.8m),ヤマハのガソリン船外機を装備し,銛手,作業人,キャプテンの3人が乗り組む.捕鯨ボートの舳先には固定式の台座があり,そこに取り外し可能な捕鯨銃を装備,その捕鯨銃から鉄製の銛を発射する.銛はロープに繋がり,先には浮きが取りつけられている.その浮きが捕獲対象の逃走を妨げ,最終的にはヤスで仕留められる.捕獲したコビレゴンドウ,イルカ類は丸ごと仲買人に売却,仲買人が首都キングスタウンの水産市場に卸す.イルカ類は1ポンド2.50ECドル(110円)で市販され,住民の貴重なタンパク源となっている.

【おわりに】 
 バルリーでの捕鯨の調査は昨年より開始したところである.発表者としてはベクウェイ島のザトウクジラ捕鯨の調査と平行しながら今後も調査を継続し,セント・ヴィンセント国およびカリブ海地域の捕鯨文化の理解に多少なりとも貢献できればと考えている.


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