故・植木光教先生のこと


2009年6月6日に逝去された植木光教世界連邦運動協会会長・世界連邦推進日本協議会会長のことについて、追悼の言葉を述べさせていただきます。

左の写真は2008年10月25日に東京で開催された第27回世界連邦日本大会の懇親会で撮影したもので、右端が植木先生、中央が森山眞弓世界連邦日本国会委員会会長(当時)です。

2007年10月20日に世界連邦運動協会石川県連合会が主催して、世界連邦運動石川50周年記念シンポジウムを開催したとき、本来ならば植木先生にご講演いただくはずだったのですが、沖縄での行事出席を優先せざるをえない事情が生じて、当時世界連邦運動協会理事長代理・国際委員長だった高木旭氏が代わりに講演なさいました。

そこで、2009年11月22日に開催される第28回世界連邦日本大会(金沢2009)にはぜひとも出席していただきたく、世界連邦運動協会の理事会や総会でお会いするたびに念をおしてお願いしていたのですが、残念ながら適わぬことになってしまいました。

東京での会議の席でお会いする機会が増えるにしたがい、植木先生の私に向ける眼差しが期待をこめたものになっていったように感じられました。実際、「よろしくお願いしますよ」と何度か声をかけられたのです。ですから、ご逝去のあと、ほんとうに何としてでも金沢での世界連邦日本大会を成功させ、ご意志に報いたいと思いました。幸い多くの方々のご協力、ご尽力があって、第28回世界連邦日本大会は約600名の参加者をえて成功裏に終えることができました。

ご生前、植木先生のことについてあまり存じ上げなかったのですが、先生を追悼する会で皆様による追悼の言葉を伺っていて、先生のことを大いに見直したのでした。また、インターネットで検索し、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に「クリスチャンでもあったため、東京大学YMCA代表も務めた」と記されているのを見て、えっと驚いたのでした。実は私、東北大学基督教青年会の渓水寮に学部4年間寮生として過ごし、大学院博士課程に在籍中、2年間だけ主事として再度寮生活をした経験があったからです。

世界連邦運動関係に限らず、もっといろいろお話しを伺っておきたかったと残念に思う次第です。


金沢ひまわり平和研究室   筆者 平口哲夫