きまぐれ日記(2)

目次


2000年7月19日(水)

金沢美大の集中講義を終えて

 7月11日〜14日・17日〜19日、通算7日間、金沢美術工芸大学で文化人類学の授業を担当した。題して「鯨類と人間―イルカとクジラの文化人類学―」。午前9時から12時までのあいだに2回休憩を入れ、実質50分授業を3コマ行う形をとった。初日の出席者48名、最終日の出席者49名、最も少ない日はちょうど真ん中の7月14日で31名を数えた。最後に記念写真を撮ったが、9名は待ちきれず退散したようである。顔が隠れないように心がけたつもりだが、4人ばかりそうはいかなかった。最前列にもっと並んでもらえばよかった。手前の標本は、能都町宇出津で捕れた現生カマイルカの骨標本である。骨標本の実物を講義室に持ち込んだのは最終日だけだったが、これが意外と好評だった。

夏休み明けに提出してもらうレポートの課題は、主題「鯨類と人間」のもとにサブテーマを自由に一つ設定し、その目的または主旨を述べるとともに、展示構成を考え、もっとも中心をなす事項を一つ選んで解説文を書く。ただし、展示のどこかに「縄文時代のイルカ漁」または「古代のクジラ漁」を登場させ、それに必要な復元画を作製する、というものである。どんなレポートになるのか楽しみにしている。

なお、出席カードの代わりに毎回書いてもらった質問・意見・感想は、なかなか面白い。この授業内容について好意的な感想を述べたものが多いが、いささか皮肉をこめたものも見受けられる。たとえば、「先生がすごく楽しそうに幸せそうに講義をなさっているのが印象的ですが、その楽しさについて行けなかったことが残念でなりません」という感想には頭を掻いてしまった。


2000年6月14日(水)

テュートリアルの学生たちと

水曜日のW限〜Y限は、テュートリアル式の少人数学習の時間だ。第1学年の場合、グループのメンバーは学期ごとに替わり、テューターは学生メンバーの指導教員をも担当する。セミナー室でのグループ学習が終わって自由な学習時間に移るときに中庭でこの写真を撮った。出身地はいっしょにならないように配慮されており、このグループの場合、石川、富山、神奈川、京都、大阪、兵庫とさまざまである。息子や娘と同じくらいの年頃の学生たちと接するいまの心境は、やはり30、40代の頃とはだいぶ違っている。その心境の変化は、経験の深みという点で、教育職にいる者としては総じてプラスに働いているように思う。毎年、フレッシュマン、いやフレッシャーたちと交流しているよさもある。が、あるときどっと疲れが出て心身ともに落ち込んでしまわないように要注意、という感もないわけではない。

2000年4月29日(土)

浜辺の歌

ゴールデンウイークの初日、たまった仕事を片付けるために“出勤”。が、あまり天気がよいので、陰気くさい部屋にこもっているのはもったいないと、遅い昼食のあとに内灘の浜を散歩することにした。大学校舎の裏手にあるグラウンドと遊園地の間を縫って大通りに出ると、これに並行して海側に遊歩道がいつのまにか整備されているのに気づいた。ところどころに丸太を組んで造った展望台があり、砂丘畑の向うに浜辺と日本海の広大な光景を望むことができる。アカシアの木々は若芽がほころんだ程度で、遠目にはまだ枯れ木の風情であるが、下草は青々と茂り、道路沿いには大根の花が咲き乱れている。河北潟の放水路に沿って防波堤まで降りると、ちょうど若者が魚を釣り上げようとしているところに出くわした。体長20cmばかりのアイナメだった。「しまった!釣竿を持ってくればよかった」などと思いながら、波打ち際をあてもなく散策した。おのずと口ずさむのが「浜辺の歌」。この歌詞をGreg Irvinさんがみごとに英訳し、歌っている( Japan's Best Loved Songs of the Season, The Japan Times, 1998)。その英訳詞は、Come Walk along the Shoreと題したもので、日本流の歌詞と西洋流の歌詞を比較するにはちょうどよい。人類学の最初の授業に教材として使い、「両歌詞を文化人類学的に比較検討せよ」という宿題にしたくらいである。

金沢ひまわり平和研究室 きまぐれ日記  筆者 平口哲夫